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金色の魔法使い  作者: 小島もりたか
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六月二日(火) 午前七時

 彼の朝は目覚まし時計の音ではなく、かといって母親がお玉でフライパンを叩く音でもなく、母親の殺気と何かが枕に突き刺さる音から始まる。


「おはよう、春斗」


 目を開けたと同時に母の挨拶と枕が破かれる音が耳に入る。小学生の頃からの習慣のためか、寝起きの一撃目は無意識に最小限の動きで避ける様になっていたが、やはり心臓に悪い。

 二撃目を避けつつ起き上がると、自分の枕にキノコの様にお玉が生えているのが目に入った。

 母は毎朝春斗の枕と布団に穴を開けてはそこを綺麗に修繕している。直すのも手間であるし、止めればいいのにといつも思うがそれを口にしたことはまだない。


「おはよ、母さん」

「今朝はいつもより反応が遅いね。寝るの遅かった?」

「別に、普通」


 なんだか妙な夢を見たような気はするが、内容は全く覚えていない。

 時折みるその夢は春斗の印象に強く残るが、目覚めてみるとその内容は全く思い出せない。ただ少し変わった出来事が起きる日に、その夢を見ている気がする。


 ――今日何かあるのか?


「何ぼーっとしてるの?」

「なんでもない」


 恵は依然として殺意を込めた攻撃を止めない。春斗はそれを仕方なく最小限の動きでかわしていく。

 別に母が本気で締め上げようとしている訳ではないことは知っているが、毎朝――土日・祝日に至るまでどうしてこうして襲撃されるのか、春斗は今一つ理解していなかった。


 母親が自分を本気で嫌いだと思っている訳ではない――寧ろとても大切にされていることは知っているし、自分も母親のことを大切な人だとも思っている。だがどこにでもいる一般的な自分にどうしてこんなことをするのだろう?


 普段通り、枕にお玉が生えてから丁度十分が過ぎた所で母の襲撃は終わった。

 六月初旬、空気もかなり暖かくなってきたこともあってか、気がつくと春斗の寝巻は皮膚にへばり付く程汗を含んでいる。触覚的には気持ち悪いし、嗅覚的にも気分は良くない。

 母は薄く流れた額の汗を手の甲で拭うと、満足したように頷いた。


「汗一杯かいたでしょ、シャワー浴びてきたら?」

「そうする」


 母のその余裕のある様子に春斗は言葉が少し素っ気なくなる。

 春斗ももう高校二年生だ。体力も筋力もとうに母を超えているはずなのに、いつまでも汗を多く掻かされ、息もより荒げさせられているのは春斗だ。思春期の男子としては悲しい所がある。

 そんな春斗の気持ちを察したのか、シャワー上がりに母にしては珍しくアドバイスをしてきた。


「いつまでも防戦一方だから疲れるのよ」


 しかしながら、格闘家を目指しているわけではない春斗には不要なアドバイスだ。でも自然と疑問は口から吐き出された。


「なんで?」


「攻撃は最大の防御って言うでしょ」

「いや、母さんに暴力なんて無理だよ」

「男前に育って……」


と言って母は照れた。意外と照れた。

 だから「かといって息子に暴力を振るのはどうかと思う」と付け加えて言うのは止めておく。藪から蛇が出かねない。


「でもね春斗、男の子はね、強い方が格好いいのよ、モテるのよ」


 春斗は嫌な話しになってきたと思うと、自然と顔が引きつった。


「いや、モテなくていいから」

「顔のつくりは悪くないんだから、ガールフレンドの一人や二人いないものなのかしら?」

「いや、二人は二股になるから」

「母さん女手独りで寂しいわ」

「紅葉さんに失礼だなぁ……」


 紅葉さんこと山下紅葉は母の料理に魅了され、約二年前から恵が経営する喫茶店『さくら』で棲み込みで料理の修業をしている料理人の卵だ。


「紅葉ちゃんは別枠よ」

「はいはい。というか、僕の方が『男手独り』だから」

「あ、そうだったわね」


 茶目っ気を出して返してくる辺り、何も後ろめたさを感じていないなと嘆息しつつ、春斗は朝の身支度を始めることにする。


「そういば、いつまで朝の『アレ』続けるの?」


 恐る恐る、しかしできるだけさり気なく聞こえるように問いかける。


「んー、まだまだかな」

「まだまだって……」


 春斗は返答に肩を落とした。朝から自分の息子に殺意を向けるなど家庭内暴力もいいところだが、自分の部屋に勝手に入ってくるのは止めて欲しいと思う年頃になってきている。

 春斗も思春期真っただ中なのだ。

 春斗的にはその辺りを察して欲しいのに、母はそんな話どこ吹く風で春斗の表面上の会話の続きしかしない。


「春斗ってまだまだ弱いんだもの。そんなんじゃあ、いざって時に自分の守りたい人を守れないわよ」

「守るって……普通、そんな場面ないでしょ」

「いつ何時、何が起こるか分からないのよ、これが」

「まあそうかもしれないけど……」

「弱いことは、時に耐えがたい悔しさを生みだすのよ」


 真剣な表情の母を見て、今回の説得も不可能だと悟り春斗は逃げるように階段を下りた。

 一階は喫茶店になっている。

 いつも通り厨房で忙しなく動き回っている紅葉の姿が見えた。

 何かが焼かれる音が響く中、卵と砂糖の混ぜ合わさった甘い匂いやカレーに使う香辛料など様々な匂いがする。

 春斗が紅葉に声をかけると、威勢のよい返事が返ってきた。


「もう少しでできるから、座って待ってて!」

「はーい」


 カウンター席に座ると、卵と砂糖の匂いが更に強くなる。

 朝食に検討をつけつつ数分間待つと、紅葉が急いで朝食を運んできた。


「待たせちゃってごめんね、はい、どうぞ」

「ありがとうございます、いただきます」


 有難く紅葉の作ったフレンチトーストに手を伸ばす。できたてのフレンチトーストはまだかなり熱かったが、冷ましつつ口に含む。細かい味はあまり分からないけど、取敢えずかなり美味しい。


「カレーの味が気に入らなくて、色々手を加えてたら遅くなっちゃった」

「全然遅くないですよ」

「いやいや、朝の数分は貴重だから」


 そう言って笑う紅葉は寝起きが非常に悪く、毎朝起きるのに苦労している。


「毎朝よく頑張れますよね」

「好きだからね。それに師匠に仕込み任せて貰えてるんだから、眠さも我慢できるかな」

「好きなことでも、僕には無理ですね」

「いやいや、春斗君も本当に好きなこと見つけたら、それくらい頑張れる様になるよ」

「そうかなぁ……」


 快活に笑う紅葉に春斗は首を捻る。何かに夢中になって頑張る自分が今一つ想像できないでいた。


 店の開店は十時からだが、紅葉は毎朝五時から仕込みを始めている。母にとっては趣味で開いている店なので、そこまで気合いを入れて仕込みをしなくてもいいのだが、紅葉は任されてからその習慣をずっと続けている。

 料理が好きだからといっても、そう簡単に続けられることではないと春斗は思う。そんな無理なことをやってのけてしまう紅葉やそんな紅葉に師匠と呼ばれる母の非凡さをみて、春斗は何度も自分は平凡中の平凡だと認識していた。そして心底安心していた。


 ――やっぱり僕は普通だ。平凡中の平凡だ。何も心配はいらないんだ。


「何ぼーっとしてるの?」


 本日二度目の母の台詞でふと我に返る。春斗が気がつかない間に、母が厨房まで下りてきていたらしい。


「そうやってずっとボヘェってしてるから、彼女もできないのよ」

「なんだよいつもはそんなこと言わないのに」

「師匠、春斗君は放っておいてもそのうちできると思いますよ!」

「春斗には番犬がいるから無理なんじゃないかしら」

「あー、晴希君ですね。納得しました」

「ちょっと待って紅葉さん。晴希が番犬って意味分からないですから」


 今まで二人の会話で何度も『晴希が番犬』という会話がなされてきているが、その理由を納得できたことがなかった。晴希は春斗の中学以来の親友だが、晴希に守られ続けている覚えは、春斗にはまったくなかった。春斗の行動に対して、ああだこうだ言ってくることは何度もあるけれども……。


「高校でも一部のそういうのが好きな女子生徒の話題になってるみたいだし……納得ね」

「紅葉さん……本気で勘弁してください……」


 紅葉は春斗が通う私立桜庭学園高等部には通ってはいないが――そもそも、今年二十四歳になる――店が高校の近くにあるので、比較的高校生との交流も多い。したがって常連の桜庭学園の生徒から高校の話を聴く機会が多かった。

 晴希とそういう仲になっている自分を想像して弱る春斗に紅葉は楽しそうに笑い、母も笑いを堪える。


「とりあえず、それくらい仲が良く見えてるってことだよ」

「まあ……はい……」

「晴希君は彼女いないの?」

「う~ん、今はどうだろう……」


 母の質問に春斗は歯切れ悪く答えた。

 仲が良いと言えど限界があるわけで、春斗も晴希の行動を全て把握している訳ではなかった。特に恋人については、恋人ができても晴希は自分から報告しない節がある。


「そうか」

と言い、紅葉は面白そうに含み笑いをして見せた。

 春斗は紅葉を睨みつけるが、紅葉は全く気にしない。


「今度そんな話題話してる生徒がいたら、全っ力で否定しておいてくださいね!」

「おっけー、おっけー」

と脱力感満載の返事をする始末である。


「といいますか、ムカつくけど晴希はモテますから。彼女が変わる周期は早い気がしますけど、結構女子から人気ですから」

「ふ~ん」


 含み笑いを再びする紅葉に、更に問い詰めようとしたところで、母から声が掛る。


「春斗、時間大丈夫なの?」

「あ……」


 時間を確認すると、遅刻する程ではないがいつもの出発する時間より五分程遅れてしまっていた。遅刻しないとは分かっていても普段より遅れてしまうのは、どうしようもなく焦ってしまう性分を春斗はしている。


「行ってきます!」


 慌てて家を駆け出る春斗に、母は「吉報を待ってるわ」と言葉を投げかけた。



 ***



 春斗の母――恵は駆け足で店を出ていく息子を見つめた。

 太陽の光を反射して真っ白に光る制服のシャツが眩しい。


「師匠が春斗君を女の子の話しで虐める所、初めて見ました」

「あらそう?」


と言い、改めて思い起こしてみると、確かに自分は春斗に恋人ができたことがないのに対して、あまり弄ったことに気がつく。そもそも恵は自分の息子に彼女ができないことに対し、特に興味がなかったのだ。

 恵は高校時代に恋人ができる、異性からもて囃されるという経験より、一生に一度、心から大切に思える人を心から大切にする、という経験こそが大切だと考えていたからだ。


「そうね……なんだか、今日そこを弄らないと、二度とそこを弄る機会がない気がして……」

「女の勘ですね!」


 恵は紅葉の言葉に曖昧に頷く。

 これは単純に『女の勘』ではなく、『恵の勘』だった。

 確かに恵は女性ではあるが、あまり女性としての勘は当てにしていなかった。恵は自分の中に女としての直感ともう一つ、別の部分を核にした直感があることを知っていた。またその塩梅は紅葉には分からない部分であることも知っていた。


「二度とってことは、春斗君は今日『運命の人』に出逢うってことですか?」


 少し茶化したように言う紅葉に恵は頷き、微笑んだ。


「そういうことに、なるわね」


 そして――そこの部分の直感は不思議と外れたことがなかった。

 恵は春斗が出て行った店のドアの先を眺めた。

 大きく息を吸う。様々なカレーのスパイスの匂いが、鼻腔を擽った。


「青春ですね」


 紅葉が呟いたのを聞いて、また一つ微笑む。


 ――今日のご飯は赤飯にしよう。


 春斗の驚いた顔を想像すると、不思議とまた口元がゆるくなった。

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