六月五日(金) 午後六時三十分
春斗は机に突っ伏し、晴希は難しい顔をしながらスマートフォンを弄っている。
夕日が教室を赤く染めている。開けた窓から、野球部のものらしき掛け声が小さく入ってくる。
「なんでだ……」
春斗は窓から入る野球部の声に負けそうな程小さな声で呟いた。杖ごと机を軽く叩く。
結局、一度も魔法が成功することはなかった。理由はやはり、呪文がまともに言えないせいだった。
「なんかもう、ここまでくると一種の呪いみたいだよな……」
「春斗に呪いなんてかかってないけどな」
たとえ話に真顔で答えられて春斗は少し口を尖らせる。
「真面目に答えんなよー」
「うるせー、俺もその心配するぐらい、魔法使おうとする時だけ見事に噛みやがって」
「何もない時は言えんのになー」
「一種の拒否反応だよな」
「何のだよ?」
春斗は机に突っ伏した。体育の授業でマラソンを走った後よりも疲れている自分に気が付く。
「魔法に対する」
「あー……確かに」
顔を腕に埋めながら春斗は頷いた。
確かにそうかもしれない。『魔法使い』なんて特別そうな人間に自分は心底なりたくない。そう思っているから使えないのかもしれない。
「――なあ、やっぱり僕、魔法使いには向いてないんだよ」
そう言うと、晴希に強く頭を叩かれた。何するんだと睨むと、むすりとした顔がそこにあった。
――しまった、本気で怒らせた?
時々よく分からなくなる晴希の地雷を踏んでしまったかと、春斗は内心焦ったが、晴希は怒りを鎮めるように目を閉じると、ゆっくり立ち上がって窓の外を覗いた。
野球部のかけ声を背に、晴希の顔が赤く夕日に照らされる。銀色の髪に夕日の色が映える。
「今日はもう終わりにするか」
「そうだな」
頷き、春斗も窓辺に寄る。晴希が何かを熱心に眺め始めたからだ。
春斗は窓辺まで行って、妙に納得した。晴希の視線の先には、リレーのバトン渡しの練習をする高等部の硬式野球部がいた。嫌な予感がして晴希に気づかれないように後ずさりをしたが既に遅かった。
「そういや、来週体育祭だな。俺らも練習するか?」
春斗が嫌がることを見越して、笑いながら晴希が言う。
「本気リレーのか? どうせ体育で何回か練習させられるだろ?」
「いやいや、何てったて一位獲ったらサクラ千ポイントだぜ? 現金にすると千円分! この時こそ、日頃手を抜いている運動をきっちりとするべきだろ。本気出せよ、本気を!」
サクラとは、桜庭学園のみで使用できる電子マネーだ。学園内での売買はこのサクラでのみ行われている。
桜庭高校の体育祭では毎年、総合得点が学年首位だったクラスの生徒と本気レースで一位を獲った生徒チームにサクラ千ポイント――現金千円相当――が授与される。提供はもちろん、本気マートだ。
そんな経緯もあって、毎年体育祭は各クラス本気だが特に本気レースの参加者は本気でメンバーを精鋭化する。しかし昨年もだが、体育祭の本気リレー参加者の欄にやる気のない春斗の名前が何故か記入されている。
春斗自身が書いた覚えはない。犯人は分かりきっていたが……。クラスの連中も犯人が勝手に記入したことに怒ることもない。
勉強面ではあまり頼りにされた記憶はないが、こと運動に関しては何故かクラスの連中からも頼りにされる。何事も平均が良い春斗にとってはあまり嬉しくない話だった。
「僕より他に足早くて参加したいやついるだろ? 安部とか」
「お前自覚したくないみたいだけど、運動神経だけはピカイチだからな? 特に反射神経と瞬発力な。体力測定の五〇メートル走なんか断トツだからな」
「まあもう確定されてるから良いけどさあ……なんで勝手に書くかなあ」
「無理矢理でも春斗の才能を発揮できる機会だしな」
「休んでいいか?」
「別にいいけど、後のことは保障しかねる……」
暗に『酷い目に遭わせてやる』と言われてしまい、春斗は諦めたように溜息をついた。
視界の端にクスクス笑っている光が見えた。
***
課外授業がない日の普段の予定通り、瑞樹はコロの散歩をしていた。普段通りの散歩コースである桃川の土手道を歩く。
近頃は不思議なことがよく起こった。人が横切ったと思って振り返っても誰もいなかったり、誰かに呼びかけられたと思って振り返っても誰もいなかたり、苛々している時に部屋の照明がチカチカしたり、英単語の小テストの予想が全て当たったり……。
他に起きた不思議なことやその原因を考えながら歩いていると、先日ピアスを拾った場所を通りかった。
ピアスを拾った時には存在した本気マートのレジ袋はなくなっていた。軽いので風に飛ばされたのかと周囲を探すが見つからない。
ゴミなんてしばらく落ちた場所にあり続ける物という印象があったので、一瞬ないことを不思議に思ったが、そもそも落ちていたゴミが何日ぐらいでどうなるかなんて考えたことがなかったので、不思議でもなんでもないものかと気が付く。
――そういえば、ピアス拾ってからだ。
よくよく考えてみると、不思議なことはピアスを拾ってから起き始めたことに気が付く。
現在、拾ったピアスは瑞樹のスマートフォンのイヤホンジャック用のアクセサリーに改造され、使われていた。ピアスとして使用しなかったのは、単純に耳に穴を開けるのが怖かったからである。でも始終身につけていたいため、常に持ち歩いているスマートフォンのアクセサリーにするということで落ち着いた。
制服のポケットからスマートフォンを取り出し、ピアスだった物を見る。アクセサリーとしての形は変わってしまったが、相変わらず美しい石だった。
――これのせい?
学校で自慢してみたが概ね好評だった。ただ、聡子だけにこっそりと実は拾い物だったことを自白したら、何故高価そうな物を警察に届けなかったと怒られた。それ以来、自慢は自粛している。
その石の名は瑞樹の周りの人間は誰も知らなかった。そもそも石なのかも怪しい。どんなにインターネットで探しても、学校や市の図書館で探してみても、名前を見つけることができなかった。
石じゃないのかなぁ、そんなことを太陽の光で石を透かそうとしながら考えてみる。
もしかしたら凄く高性能な新型のディスプレイみたいなものなのかもしれない。現に石の中の光は、絶えず緩やかに変化していた。石を光で透かしても、向こう側は見えない。
「――?」
ふと視線を感じて辺りを見回す。
渡良瀬橋の歩道から瑞樹の方を見ている人がいた。身長が低く太っている男は昨日も本気キチを食べながらこちらを見ていたが、今日は身長の高い痩せ形の男が増えていた。芸人のコンビのような二人はこちらを見ながら何かを話している。
気持ちが悪いと思った。
瑞樹が立ち止まって見ていると、二人が瑞樹の方へ向けて歩き始めた。
「コロ、走るよ」
リードを軽く引っ張ると何事かとコロは瑞樹に顔を向け、そのまま瑞樹に引っ張られる形で小走りに走り始めた。
何となく嫌な予感がした。
あの人達に捕まってはいけない気がした。
後ろは振り返らなかった。
しばらく、あの散歩コースは使わないことを心に決めた。




