依頼
喜助の背後で、柴一達が話しながら廊下を歩く気配がした。依頼がある時、子供達は店の間の隣にある中の間で話が終わるまで時間を潰す。話が終わって柴一に声をかける時は、大抵他の錺職人が作った錺と柴一が作った錺を見比べたり、時には小さな品評会を開いてみたりしている。時折、熱が入り過ぎてしまい、喜助が声をかけても気が付かない事があるくらいだ。また気付かないんだろうなと思うと、喜助は小さく笑みを溢した。
「どうなさいましたか?」
角を曲がってから喜助の笑みに気付いた糸井さんが、足を止めて振り返る。同じく足を止めた喜助が視線を糸井さんに向けて、満面の笑みを浮かべた。
「話が終わった後の事を考えていたんだ。きっと柴一は話に夢中になって、俺が声をかけても気付かないだろうなって思ってね」
「柴一も、夢中になれる程熱心な性格なのでしょう」
穏やかな笑みを浮かべて、糸井さんが言葉を返す。
「熱心なのはいいけど、もう少し周りは見てもらわないと。一緒にいる俺の方が心配になるよ」
「須堂様は、柴一が可愛くて仕方がないと見えますな」
「可愛いよ。俺は可愛いから構いたくて仕方ないけど、柴一は構うなって言わんばかりに文句言うんだよね」
「それは、柴一も成長しているのではないでしょうか」
糸井さんの言葉に成長ねと呟いて、喜助は柴一との会話を思い出す。
「その割には、ここに一人で品を収めるのに一〇人以上に声をかけられて、その度に立ち話して戻るなんて、人が良過ぎて断るって事を知らなさすぎる。成長以前に、断る術くらい覚えておいてほしいね」
喜助の言葉に、糸井さんが小さく噴いた。
「柴一も断れない性格ですからね。優しい子に育ったということでしょう」
「糸井さんは前向きだなあ。俺には、糸井さんみたいな考え方は出来ないや」
再び歩き出した糸井さんに感心しながら呟いた喜助は、互いの袖に腕を通しながら歩き出す。
石畳が敷かれた庭の奥にある紅葉に雀が止まっているのだろうか、囀りが聞こえる。何時来ても静かだと思いながら、喜助は庭に視線を向けた。
石畳の小道をつつじが案内するように植えられ、楓が秋の頃に色を添えられるようにつつじの奥に植えられている。石畳の途中を印すように置かれた燈籠のすぐ後ろに小さめの紅葉が植えられ、奥には倍の大きさの紅葉が見える。
秋には紅葉狩りが出来そうだと思いながら、喜助は奥座敷の戸を開けて入った糸井さんの後に続いて入る。袖から腕を出して戸を閉めると、座敷の真ん中辺りに置いてある下座の座布団の上で胡坐をかく。
糸井さんが上座の座布団の上に正座をすると、庭の音を聞く。
依頼の話をする時は、何時も暫くの耳を澄まして待っている。子供達に聞かれないようにと、糸井さんが配慮してのことだ。
柴一には大筋で話しているが、首を突っ込んだことはない。柴一自身が首を突っ込もうとは思っていないのか、喜助が依頼で出かける時、大抵柴一は眠ってしまっている。起きていても、柴一が付いて来るとは一度も言ったことがない。幼い頃から仕事だから連れて行けないと言い聞かせていたせいか、単に柴一は興味がないだけなのか、柴一が付いて来ない理由はどちらかだろう。
糸井さんの方は、真乃に聞かれたくはないらしい。真乃の性格上、聞けば好奇心で首を突っ込んでくるだろう。娘の性格を分かっているからこそ、聞かせたいとは思わないようだ。
長火鉢の炭が、小さく弾ける音だけが部屋の中に聞こえている。
「依頼が来ていそうだね。神田の幽霊かな」
頃合いを見計らって糸井さんに聞くと、穏やかな笑みが返ってきた。
「須堂様は、感が鋭うございますな。御察しの通り、幽霊の依頼が参りました」
笑みを浮かべたまま言った糸井さんは、喜助の顔を真正面から見据えた。
「先日の大火から、神田と日本橋で幽霊が出ると噂されております。男と女の両方が出ると言われておりまして、何度も目撃されております」
「幽霊が、複数現れてるってこと」
糸井さんの言葉を聞きながら、喜助は面倒になりそうだと思う。
「その様でございます。男の幽霊は神田で見られることが多いようでして、今朝殺された辰吉も幽霊に切り殺されたと噂されております」
「幽霊に、ねえ。柴一に骸を見て貰ったけど、刃物で首をばっさりだったらしいよ。刃物で切られた時点で、俺は人の仕業だと思ったけどね」
喜助の言葉に、糸井さんは目を細めた。
「おや、須堂様はもう今朝のことを知っておいででしたか。依頼人は、辰吉を殺したのが人であろうと幽霊であろうと構わないようです。依頼自体は、幽霊が出るという噂をなくして欲しいとのことでございました」
どうやら、幽霊の噂が出ないようにするのが今回の依頼の目的らしい。辰吉の件は警官に任せるつもりだった分、喜助は面倒臭そうな表情を見せて糸井さんを見た。
「それから女の幽霊ですが、日本橋の焼け跡付近で良く見られているようでして、白い着物を頭から被っているので顔を見た者がいないとか。ただ、長い髪は金の髪だということでございました」
「金の髪の、幽霊か。聞いたことないけど」
「ええ。女の幽霊は、見た者の目の前で消えるとか。決まって、強い風が吹くそうですよ」
面倒そうな表情を仕舞って、喜助は両腕を互いの袖に通した。見た者の目の前で消えるのなら、幽霊だと思っても良い。しかし、どこか引っ掛かる。
「金の髪の女の幽霊。決まって強い風が吹いて消える、か」
「中には女の幽霊に問いかけられた者もいるようでして、刀取りを知らないかと聞かれたそうです」
糸井さんの言葉に、喜助は弾かれたように視線を合わせた。
「ちょっと待って。どうして、刀取りを探すの」
「そこまでは、私にも」
糸井さんが、分からなくて当たり前だ。柴一を助けた時に一度遭遇しただけの刀取りだ。金の髪の女の幽霊が刀取りを探す理由が分からない。女の幽霊が、どうして刀取りを探しているのだろうか。
刀取りを探しているのなら、刀取り自体が出てこないとは到底言い切れない。もし柴一のことを覚えられていたら、柴一が襲われる可能性は十分考えられる。絶対に柴一を関わらせる訳にはいかない。
「本当、面倒臭い依頼が来た」
一言呟いて、喜助は視線を糸井さんから外すと、口を閉ざした。