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明治妖妖記 幽霊騒動  作者: ながとみコケオ
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糸井小間物問屋

 糸井さんは、京橋区で小間物を扱う問屋を営んでいる。小間物を仕入れて小間物屋や東京府民に売る傍らで、簪や櫛などを異人に売る商いもしている。元は日本橋近くだったが、明治五年二月の和田倉門内の旧会津藩邸から出火した、火事以降に建てられた銀座の煉瓦街から少し離れた場所に店を移した。築地の居留地に程近く、糸井さんの思った通りの商売をするのに打って付けなのが今の場所だ。

 柴一を揶揄いながら二〇分かけて焼けた日本橋の町を抜け、延焼を免れた町を通って日本橋まで歩く。明治五年に掛けられた青い木橋から見える水面を眺めながらゆっくりと渡り、銀座の煉瓦街へと歩く。華やかな銀座の煉瓦街に入り、途中で築地の居留置の方へと行く道に曲がる。銀座の煉瓦街と築地の居留置の中間辺りに大きく糸井小間物問屋と掲げられている看板が見えた。糸井さんの店に着くと、喜助は躊躇なく暖簾を潜る。柴一も、喜助に倣うように店に入った。

 店の中では、品の良さ気な、親子程歳が離れているだろう女性が二人、櫛に目を向けどれを買うか話している。女性達に品を勧めている手代が、別の櫛を見せては品の良さを伝えている風景は、江戸の頃と大差ない座売りだ。

「糸井さん居るかい」

 女性達から少しだけ距離を置いて喜助は、手代の五郎太ごろうたに声を掛けた。糸井さんは、殆ど表に顔を出さない。

「旦那様でしたら、奥でお嬢様と話されてらっしゃいますが」

 喜助が糸井さんと知り合った後すぐに丁稚奉公を始めた五郎太を、喜助は会う度に可愛がっていた。お蔭で喜助の顔を見ると疑うことすらせずに、糸井さんの所在を教えてくれる。

「そう。すぐに終わりそう」

「どうでしょう。私も聞いているわけではありませんから、何とも」

「だろうね。柴一、残念。真乃ちゃんに会えないねえ」

 糸井さんの店に来る途中から、仏頂面になったままの柴一は無言でそっぽを向いてしまう。

須堂すどう様。また、柴一を揶揄ったんですか。いい加減に止めてあげないと、可哀想ですよ」

「やーだ。柴一の反応が可愛いから、止めない」

 仏頂面で喜助を睨んだ柴一を見て、五郎太が苦笑いを浮かべている。喜助にとっては、何時もの光景だ。

「五郎太。須堂様に、上がって頂きなさい。旦那様がおっしゃられただろう。須堂様が来られた時は、必ず奥座敷にお通しするようにと」

 帳面を見ていた番頭が喜助達に気付いたのだろう。言葉をかけると、五郎太はそうです、そうですと思い出したように声を上げた。

「須堂様。ご案内しますから、どうぞお上がり下さい」

「じゃあ、遠慮なく」

 五郎太に言われ、遠慮と言う言葉を知らないかのように喜助が上がる。喜助に続いて上がった柴一の表情は喜助には見えないが、不思議そうにしている雰囲気は感じる。

「親父、いっつも思うんだけど、何で無条件に通してもらえるんだよ。俺が簪持って行く時は、表までしか行かねえのに」

「それはね、糸井さんと相思相愛だから」

「んなわけねえし」

「すぐに気付くかな。面白くない。柴一と暮らす場所を探してたら、糸井さんが危ない目に遭ってたんだよ。で、助けたから、糸井さんの所に行くと奥に通してもらえるの」

「でもよお、住む場所糸井さんに探してもらったんだろ。だったら、糸井さんも借り返してんじゃねえか」

 店の間を抜けて庭の廊下へ喜助と柴一を通しながら聞いていた五郎太が、くすりと笑った。

「旦那様が須堂様をお通しする本当の理由、知ってます。あれですよね」

「五郎太は知ってるんだ。真乃ちゃんの許婚のこと」

「はい。もちろんです」

 途端に、柴一の雰囲気が驚いていることを伝えた。内心、素直すぎと思いながら喜助は、ちらりと柴一を見る。

「柴一。良いこと教えてあげる。真乃ちゃんの許婚はね」

 満面の笑みを見せて、喜助は柴一を指した。指された柴一は、狐につままれたような面喰った表情で喜助を見上げている。満面の笑みから、満足げな笑みに変わった喜助はくすくすと声を押し殺しながら柴一を見た。

「う、そ」

「やっぱりいっぺん、死んでこい。くそ親父」

 噛みつかんばかりの勢いになって言った柴一を見やりながら、喜助は面白くて仕方ないと表情に出したまま笑っている。

「何で五郎太さんまで一緒に揶揄うんだよ」

 喜助に言った後、ふくれっ面になった柴一は五郎太に文句を言っている。申し訳なさそうにしつつも笑っている五郎太は、両手を合わせてごめんと謝っている。

 糸井さんの店に来た時は、五郎太が柴一と真乃の相手をしてくれるのだ。柴一と五郎太が兄弟のように仲が良い為、喜助と一緒になって柴一を揶揄う時がある。それだけ、柴一が素直すぎるというのも一理あるだろうか。

「随分、楽しそうですね。須堂様」

 笑い声が聞こえたらしい、二つ先の仏間から糸井さんと真乃が顔を出した。

「柴一ちゃんの声、こっちまで聞こえたじゃない。本当、声大きいんだから」

 穏やかな表情で柴一を見る糸井さんは今年四九歳で、どっしりとした体格と、柔らかい物腰が特徴的だ。店の旦那らしい風格とでもいうのか、喜助は糸井さんを見る度に人だった頃に仕えた人のことを思い出す。対照的に、娘の真乃は明るく活発的な印象を与える少女で、島田髷に結った髪の後ろに桃色の玉簪を挿している。真乃と同年代の娘達が挿す飾り簪をしないのは、昔から男を尻に敷いてしまう程気が強く、柴一が幾度となく言い負かされてしまっているのを肯定しているようだ。

「大きいって言うな。親父らが揶揄うから」

「柴一ちゃん。そんな風に言うから、余計揶揄われるんじゃないか。もう少ししゃきっとしなよ」

 真乃に言われては、柴一も言い返せない。不完全燃焼しているような表情を浮かべて、庭の方へ視線を向けてしまった。

「真乃。柴一にあまり苦言を呈していると、嫁に貰ってもらえなくなるじゃないか」

 先程の会話が聞こえていたのか、糸井さんがにこやかに真乃に言っている。

「あら、大丈夫よ。柴一ちゃんは、ちゃんと私の婿になるんだから。柴一ちゃんの尻叩いて、ちゃんと働いてもらうのよ」

 真乃の言葉を聞いて、喜助も五郎太も思わず吹き出してしまった。二人して柴一を見る。

「柴一、良い奥さんが見つかって良かったね。お婿さんにしてもらえるって。真乃ちゃんが女将さんになったら糸井さんの店も安泰だし、そうなったら柴一は番頭くらいで頑張らないとねえ」

「でしたら、私が柴一の補佐をしますよ。お人好し過ぎて、頼りない処がありますからね」

 喜助と五郎太に言いたい放題言われて、柴一の顔は不完全燃焼から仏頂面へと変化してしまった。

「三人ともそろそろ止めてあげないと、本当に柴一が拗ねてしまいますよ」

 収拾がつかなくなると判断したのか、糸井さんが頃合いを見計らって口を出す。

「そうだね。口を聞いてもらえなくなったら、それこそお父さん暇で死んじゃうし」

 くすくすと笑いながら喜助が言うと、柴一は仏頂面のまま拗ねたような視線で喜助を睨んだ。

「拗ねないんだよ、柴一。そうだ、後で簪を見とくれよ。他の職人のだけど、柴一が見て貰うと値も付け易いんだ」

 柴一の機嫌をとるように言った五郎太に、柴一は仏頂面ではあったものの頷いて見せる。

「真乃。柴一と暫く話しておいで。私は、須堂様と話すことがあるから」

「お父様、私達も聞いちゃいけないの」

 喜助と話すことがあると糸井さんが言う時は、依頼がある時だけ。お茶を飲むだけなら、話すことがあるとは確実に言わない。依頼がある度に、柴一も真乃も席を外させる。二人が余計な首を突っ込ませないようにする為だが、真乃にとっては不満らしい。

「真乃。聞きたい気持ちは分かるがね、これは須堂様の仕事だからお前達には聞かせてあげられないのだよ。我慢おし」

 真乃が不満げにはいと返事をすると、糸井さんは喜助を見て奥座敷に行くように促す。頷いて見せて喜助は、柴一を見た。仏頂面は直っていないが、真乃と五郎太を見る視線は拗ねているようには見えない。小さく笑みを浮かべて、先に歩き出した糸井さんの後を追った。

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