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明治妖妖記 幽霊騒動  作者: ながとみコケオ
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時は過ぎて

 明治一四年一月二六日、神田松枝町から出火した火事は、強風に煽られながら勢いを増し、神田、日本橋を灼熱の炎で包み込んだ。勢いは衰えることのないまま墨田川を越えて本所、深川方面にまで広がり、夜の東京で火の海を人々に見せつけながら家屋を焼失していった。


「下れ、邪魔だ」

 警官達が野次馬と化した人だかりを、遠ざけている。喜助は野次馬を避け、後ろから様子を眺めていた。

 朝一番で人が死んでいると、警官達が走っているのを見かけた。家で仕事を始めようとしていた柴一を無理矢理連れて警官達の後を追いかけて、焼けた神田まで来たのだ。

「柴一。見えてるかな」

 着いてから野次馬達の中に姿を消した柴一は、まだ戻って来ていない。一八歳になる柴一の背は、大樹で生まれ育った喜助よりも頭一つ以上低い。野次馬と化した人々と柴一の身長が変わらない為、柴一が人混みの中に入ると見つけられなかった。

「暇なんだよね。柴一が帰って来ないと」

 暇な間は、野次馬達の話を聞く。ちらほらと辰吉たつきちが殺された、殺したのは誰なんだと聞こえる。

「辰吉って、何処かで聞いた気がするけどなあ」

 何処で聞いたのか懐の中で腕を組んで考えてみるが、喜助には思い当たる節もなく、すぐに溜息を一つ吐いて止めてしまった。記憶の量が多すぎて、考えても簡単に出てこない。記憶が鮮明ならすぐに思い出せるが、曖昧な記憶は少し考えただけでは出てきてくれないのだ。

 右側の人だかりが妙な動きをしていることに気付いて、喜助はじっと見詰めた。人を掻き分けて外に出ようとしている者がいると気付いたのは、見える頭が野次馬達の頭の間を少しずつ動いているから。戻って来たと思いながら、喜助は出てくるのを待つ。しかし、すぐに何だと思う。出て来たのは丹前を羽織り、縦縞の小袖に前掛け姿の見知らぬ男で、何処かのお店の手代らしい。ちらりと喜助を見たが、気にする様子もなく和泉橋の方へ歩いて行ってしまった。

 どうも、間違え易くて敵わない。江戸時代から居職の者は、縦縞に前掛け姿が多い。明治に入っても服装は大して変わらず、錺職である柴一と間違えそうになる。そのせいか、喜助と出かける時は前掛けを外すように言っているものの、柴一は時折前掛けを着けたまま出かけてしまうのだ。確か、今日は前掛けを外していた筈と思いながら、先程のお店の手代らしい男が小さくなるのを見ていた。

「何見てんだよ」

 逆の方向から声を掛けられ、視線を向けて喜助は態とらしく溜息を吐いた。

「柴一だと思ったら、人違いだったんだよ。それより、何処から出て来たの」

 見上げている柴一の視線は何でと言いたげだったが、聞き返さずに左側を指した。

「向こうの方が、空いてたんだよ。だから、向こうで見て来た」

 成程、右側は人が多すぎて柴一が行くには大変だ。人が空いている所の方が、本人も見易かったのだろう。

「で、どうだった」

「殺しだとさ。首の辺り、ばっさりやられてた」

「そう」

 相槌だけを打って、視線を野次馬達の方へ向ける。

「親父の出番なしだろ」

「どうだろうねえ。糸井いといさんの所に依頼が来ないなら、出番もないけど」

「刃物で切られた痕だから、普通に警官が下手人捜すんじゃねえの」

「そうかもね。でも、俺が気にしてるのは、下手人じゃなくて」

「神田の幽霊。でもよお、神田の幽霊の仕業じゃあなさそうだぞ」

 喜助の視線は、相変わらず野次馬達の方に向けられている。気にはなるが、下手人が人なら喜助の出る幕はない。

「まあ、良いか。柴一、帰るよ」

「へーい」

 野次馬達から背を向けて、喜助は早々に歩き出している。柴一が適当な返事をして、後ろを歩きだした。

「なあ。糸井さんの所、寄らねえのか」

「別に用事ないけど」

 柴一の言葉に興味なさげに答えて、喜助はふと足を止めて柴一を振り返った。

「何、何。真乃まのちゃんに会いたいから、寄れとでも言いたいの」

 糸井さんの一人娘、真乃は、小さい頃から柴一と遊んでいた。幼馴染の柴一は、どうも真乃のことが気になるらしい。

「ちょっと待て。何で、真乃に会いたいからって話になるんだよ」

「だって、真乃ちゃん可愛いし」

「誰も、可愛いとか言ってねえし」

「小さい頃から、真乃ちゃんをお嫁さんにするって言ってたよね」

「何で、小せえ頃の話持ってきてんだ」

「そりゃあ、柴一が可愛いから」

「一八の息子に向かって、可愛いって言うな」

 揶揄うとすぐに仏頂面で喜助を睨む柴一は、可愛いというよりも素直なのだと思うが、如何せん喜助自身が素直でない。つい、柴一に可愛いと言ってしまうのだ。内心素直すぎると思いながらも満面の笑みを見せて、喜助は仕方ないなあと顔に出してみる。

「可愛い息子の恋路の為に、一肌脱いであげましょう」

「可愛いって言うな、恋路って言うな、脱いでんじゃねえ」

 町を行きかう者達が柴一の怒鳴る声に驚いた様子で見ているが、喜助は構いもせずに再び背を向けて歩き出した。

「まあ、可愛い息子の為でもあるけど、神田の幽霊も少し気になるしね」

「あのな、可愛い連呼するなよ。ったく。幽霊が気になるって、最初から言えば良いじゃねえか」

「柴一が素直すぎるから、揶揄いたくなるんだよ。揶揄われたくなかったら、もう少し騙すくらいしたら」

 呆れた顔をして、柴一が喜助を見上げた。

「親騙してどうすんだ。っつうか、親父こそ普通に接するくらいしろよ」

「やーだ。面白いから止めない」

「あっそ」

 喜助の横に駆け寄った柴一に満面の笑みを見せて、焼け跡だけが続く日本橋を歩く。神田から京橋へ行くには、日本橋を通った方が近い。今の歩調でいけば、三〇分から四〇分くらいで到着するだろう。

「おかしいよねえ。確かに気配はするのに、出てこないって」

「何が」

 少々揶揄い過ぎたのか、幽霊の話を忘れているらしい柴一が不思議そうな表情をして聞き返した。

「柴一。何がじゃなくて、神田の幽霊だよ。すっ呆けてる」

「急に話変えるから、話に付いていけねえんじぇねえか」

「よく言うよ。そろそろ柴一が反論出来なさそうだから、態々話を変えてあげたのに、変えなくても良いの」

「幽霊が何」

 喜助の言葉を聞いた途端に、柴一は慌てて聞き返している。予想していただけに、内心笑みを浮かべながら喜助は態と視線を柴一から外した。

「真乃ちゃんは、いるかなあ」

「どっちの話だよ」

「幽霊でも、真乃ちゃんでも良いけど」

「幽霊でお願いします」

「話に付いていけないって、文句言ったくせに」

「気のせい、気のせい」

 柴一もこれ以上からかわれたくはないのだろう、喜助の言葉を慌てて否定している。良いけどねと呟いて、喜助は未だに焼け焦げた臭いのする日本橋に視線を向けた。

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