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頭痛い…
昨日は柏木さんに合わせてビールを飲み過ぎてしまった。
「涼ちゃん大丈夫ー?」
幽子が心配気に顔を覗き込んでくる。
「あー大丈夫。そっちはどう?」
「んー変わりないよ?あ、でもあの子やつれてきたかも」
問題大有りじゃないか。
そして相変わらず車内に首だけ出すそのスタイルはどうにかならないのか。
「暫く幽子を枕元に立たせない方がいいか」
「やったー!お仕事お休み?」
嬉しさのあまりか、首だけではなく上から手が突き抜けてきた。
*****
「真犯人が違うってどういうことですか?」
「かもしれないっていう可能性の話です」
今日も悲壮感を漂わせている女は、ハンカチを握りしめテーブルを挟んで身を乗り出して来た。
あまりの近さに体を仰け反らせて逃げるが、逃げる分だけまた身を乗り出してくる。
「…少し落ち着きましょう?」
ね?と苦笑いで女に言うと、慌てて元の位置に座り直した。
「実は、あの少年の母親が息子さんを刺したんじゃないかって話がありまして」
「本当ですか?」
あれから刺したとされる少年の母親を調べてみたが、なんとも怪しい。
俺も柏木さんの見解と同じく、母親が犯人ではないかと思っている。
「あくまで可能性の話でして、確証はありません。それでも報告はしておいた方がいいかと思いまして」
初めて耳にしたのだろう。明らかに動揺している女の目が忙しなく動いている。
「どうしますか?あの少年はもしかすると犯人ではないかもしれませんが」
正直、少年の精神状態があまりよろしくなかった。
暫くは枕元に立たせず、幽子に様子を見させていたが日に日にやつれているらしい。
今また幽子を枕元に立たせることで、どのような結果になるか予測ができない。
「それなら、母親の方にも枕元に息子を立たせてください」
この女ならこう言うと思っていた。
「申し訳ありませんが、同じ依頼者からは依頼を受けないようにしておりまして」
「どうしてよ!?お金ならあるわ!」
女がすごい剣幕でテーブルから身を乗り出してくる。
「そういう問題ではありません。嫌いだからと片っ端から恨み屋の依頼をして後悔するのは貴方自身です」
「私は後悔なんてしないわ!」
「宮田さん、息子さんの死を悼む気持ちはわかります。息子さんを奪った人を憎む気持ちも。でも、憎んでばかりいては生きてはいけません。今日は一度帰られて、依頼を取り下げるのか考え直してください。全てとはいきませんが、依頼金一部はお返しできます」
女は泣き崩れ、落ち着いた頃におそらく旦那さんであろう男が迎えに来た。
*****
この周辺には街灯が少ない。
真っ暗な道を自動販売機の光を頼りに歩く。
今日も飲み過ぎたかしら。自宅のアパートまでフラフラと歩いて来たが、タクシーでも使えば良かった。
視線の先に何かが煌めいた気がしたが、猫でもいるのだろうと階段に足を掛けた。
ドンッと背中に何かがぶつかり、身体が大きくよろめく。
後ろを振り返ると、女が俯いて立っていた。
「ちょっと!気を付けなさいよ!」
少し呂律が怪しかったが、それだけ言ってよろめいた身体の体勢を立て直す。
そのままもう一度階段に足を掛けようとしたところで、背後から狂ったような笑い声が聞こえた。
異常な笑い声にもう一度背後を振り返ると、女が血の付いた包丁を持っていた。
ジワリと自分の脇腹から血が流れる感覚。
私は転がるように階段を駆け上がって…
*****
結局、女からの連絡はなかった。
「涼ちゃん!!ニュース見て!!」
コーヒーを淹れる為に席を立ったところで、幽子が騒ぐ。
「何だ?どうかしたのか?」
幽子と一緒にテレビを覗き込む。
「ねぇ、この女の人って前来てた人じゃない?」
テレビには、2日前に事務所に来た女が映っていた。
ニュースの見出しには『恨みの末の犯行か?』と書かれており、刃物で刺された被害者、そして加害者は死亡したらい。
「これって…あの少年の母親か?」
あの女は夜中まで待ち伏せをしていたらしい。
被害者が帰宅したところを背後から何度も刃物で刺しているところを、たまたまタクシードライバーが発見して通報。
警察が到着する前に女は自殺した。
女は、被害者が動かなくなった状態でも永遠と刺し続けていたとタクシードライバーが話す。
パソコンやテレビで情報を集めていると、速報が入った。
「涼ちゃん!!」
こんな結末を迎えるとは想像もしていなかった。
*****
被害者の母親が加害者の母親を刺すという事件から2カ月が経過した。
「涼ちゃんのせいじゃないよ」
幽子が俺の顔を覗き込んで言う。
あの日、速報で入った情報には、少年院で例の少年が自殺したとあった。
施設の人の話だと、彼は最後に「翔くんは許してくれない」と呟いたそうだ。
施設の何人かは、彼の側に男の子がいたと証言しているらしく、報道は刃物で刺された少年の「呪い」と騒ぎ立てた。
被害者、加害者共に死亡している為、最初の事件で少年が誰に刺されたのか真相は分からない。
警察は再捜査はしないとして、この事件は片付けられた。
被害者側から一転、加害者となった女の旦那の元に香典として大金が送りつけられた。
名前は特に記されておらず男は不思議に思ったが、息子に続き奥さんも失った男には全てがどうでも良かった。
「ねぇ涼ちゃん、恨み屋止めたら?」
「は?なんで?」
涼ちゃんはいつものようにコーヒーを飲みながらニュースをチェックしている。
いつもと変わらないように見えるが、あれから涼ちゃんは少し元気がない。
涼ちゃんは強がりなので相談をしてくれることはないが、時々あの事件の資料を眺めている。
「向いてないと思うなぁ」
寝転びながら涼ちゃんの様子を伺う。
「じゃあお前失業だな」
「え、それは困る。幽霊雇ってくれるところなんてないもん。あ、涼ちゃん、お客さんだよ!」
耳を澄ませば階段を上ってくる音がする。
どうか今回のお仕事は涼ちゃんを悲しませることがありませんように。