深淵の緑
緑の瞳持つものは、王家。その目深緑の色。王の証は、その目に現れる生命の輝き。
私の時代になると、王族特有の緑も薄いものになっていた。私の瞳は、翠と言っても差し支えないだろう。保守派の王のもと、王族として、娘として、私はいずれ外交のために国を出るのだろう。
彼とよく過ごした思い出の場所、湖に足を踏み入れる。嫁いでしまえば、もうここには来れないのね。私がこうしていると、決まって彼が諌めてくれた。
「姫様! お怪我をします」
今回も、彼が見つけてくれた。彼が慌てて私に駆け寄ってくる。息が上がっているから、急いで探してくれたのだろう。
「足、怪我しますよ。風邪もひいてしまうかもしれませんから」
自らのマントをかぶせた。
「姫様、出歩くなら私を呼んで下さいと何度も言ってますが」
「いいじゃない。もう戦争なんて、100年近くしていないのだから。この国は平和よ」
「残党がいるかもしれないのにですか?」
「あなたがいれば、大丈夫よ」
私が笑った時、彼が顔をしかめる意味が分からなかった。彼の長い前髪も、気にしていなかった。
私が成人を迎える、16歳の誕生日、父はパーティを開いた。私はその日、目の色同じ、薄い翠のドレスを着て、踊った。父と、兄と、そして彼と。彼は、その日とても優しかった。触れる手が優しくて、私は育ちすぎた思いを隠すのに必死だった。その時、すでに婚約者は決まっていた。だから蓋をした。
深夜、何かの物音に目を覚ます。ドアを激しくノックする音があった。私が入室の許可するのも待てないと、侍女が入り込んでくる。
「姫様、隠し通路はご存知ですね? こちらに食料などは詰めております。どうぞ、早くお逃げ下さい!」
「待って、今何が起こっているの? 近衛は、彼は……」
「お願いですから、早く!」
そこに彼は入ってきた。黒く長い前髪が、ゆらゆらと揺れる。彼は無事だったようだ。
「アルバート! 助けに来てくれたのね。今何か起こっているの。一緒に行きましょう」
私はふらふらと彼の元に進む。彼は長い髪の下で、うっすらと嗤った。何か、違和感を感じた。
「姫様、危ない!」
気がつけば剣が私に迫っていて、終わりだと思った瞬間、何かが私の頬に飛んだ。何かしらと手を拭うと、血だ。侍女が私をかばって、斬られた。嘘だ、彼がそんなことするはずがない。
「姫様……逃げて……」
「イヤよ、死なないで! アルバート! どうして、どうしてこんなことを!?」
アルバートの血にまみれた剣が恐ろしい。よく見れば、彼の鎧には血がいくつもかかっていた。彼は、歪んだ笑みで、前髪をあげる。深い、深淵の緑があった。瞳は正当なる血筋を表すかのように、虹彩がチカチカと金の光を放つ。数代前に途絶えた光だった。
「エリーザ、ついてこい」
乱暴な彼の言葉は初めて聞いた。私は、抵抗する手段もなく、牢屋に入れられた。夜着でいるためか、見張りの兵士の目が怖い。寝てしまえば、それが最後のような気がして、自らを抱きしめた。人の気配を感じて顔を上げると、上質な服に着替えたアルバートがいた。
「お前たち、席を外せ」
「はっ」
牢屋の中に彼が入ってきた。知らない男のようで、あんなに狂気を閉じ込めた目は初めてで、怖い。
「姫様、知ってるか? この国は、属国になる契約がされていたんだ」
「何を言っているの? そんなの嘘よ」
「姫様が嫁ぐはずだった国と、そういう契約がしてある。国の財政は、国を売ることで補われようとしていたんだ」
「嘘よ……」
「何も知らない愚かな姫だな」
腕を捕らえられ、堅い石畳に押し倒される。荒々しく、唇を奪われた。ピリッとした痛みを感じると、唇から血を流していた。首筋を味見するように舐められ、噛まれて痛い。痛みに抵抗する手段もなく、夜着が破られた。異性の目に晒したことのない胸を、彼は鷲掴みにする。
怖い。身体が震えて止まらない。
気づけばすべてが終わっていた。身体の節々が痛い。
私は何も知らなかった。財政について、まったく知らなかった。彼は良い王なのだろう。城の国庫を開き、そして城内の無駄な装飾品も売り払い、国の財政を立て直したそうだ。私は王族と言うことさえ、おこがましい存在だったのだ。父も、母も、兄も、もういない。私一人だ。
彼は頻繁に牢屋に通う。ここで話す彼が、本当の彼だったのだと、今では感じる。石畳に押し倒されるのも、慣れてしまった。
「もう、抵抗はしないのか?」
「どうして? 好きなようにすればいいわ。 私には、それしか価値がないのだから」
「クソッ!」
彼に平手をされた。彼は怒りに息を荒くしていた。そして、目には困惑、悲しみが見えたような気がした。どういうことだろう。もっと知りたかったのに、彼が深い息をついた時には、目に何の感情も見えなくなった。
「興が冷めた」
そもそも、父母兄を殺しておきながら、どうして私を殺さなかったのだろうか。どうして。
「あんな女、殺してしまえばいいんです。反乱の元になりますよ」
「それは許さない」
「なぜですか。潜伏期間中に、情が移ったとでも言いますか」
「五月蝿い。黙れ」
アルバートは壁を打ちつける。彼は潜伏期間の話をことさら嫌った。まるで、大切な思い出であるかのように、固く口を閉ざすのだ。彼の部下は失言に気付き、すぐに謝った。彼の威圧感に負け、何処かへ去っていった。
そんなこと、俺がよく分かっている。だが、俺には殺せなかった。確かに彼女を愛しいと思った俺もいるのだから。血族の悲願だということも、分かっている。分かっているのに、理性で抑えつけているのに、彼女を求めてしまう。感情が支配できない。
彼は身にくすぶる熱を閉じ込めた。
なぜ、私は生かされているのだろう。分からない。毎夜、牢屋で抱かれ続けたためか、妊娠したらしい。部屋が移された。あれよあれよといううちに、男の子が生まれた。彼と同じような目の持ち主。正当な後継者を産んだ。私の地位は、知らない間に側室となっていた。
「ひっ……! どうして、また私の部屋に……っ」
「なんだ、妻の元に通ってはいけないのか」
「私は後継者を産んだから、用済みだと思ったのよ」
腹ただしい。俺が抱いた理由を、ただ後継者を産ませるためと思っている。そんな、単純な理由ならどれほどよかっただろうか。
「私は役目を果たしたわ。もう、やめ……んっ!」
否定ばかりする口など塞いでしまえばいい。彼女を抱く最中、せめてもの抵抗にと背中に爪をたててきたことに笑いがこみ上げる。何度でも、お前の意志をくじいてやる。もはや、ただの恋情とはいえない、ドロッとした感情に成り果てていた。
「毎日通われて、仲がいいですね」
侍女に起き上がれない身体を、清められる恥ずかしさったらない。愛されてなどいるわけがない。分からない。今も変わらず部屋を訪れる意味が分からない。
「どうして、正室をとらないの? 私なんて抱いても面白くないでしょう?」
「うるさい」
しばらくして、第二子を妊娠していることが分かった。女の子だった。娘も、正統な深い緑の眼の色をしていた。キラキラと輝く目が私も欲しかった。ふと、逃げたくなった。こっそりと抜け出す。思い出の場所、湖に足を踏み入れる。懐かしい。私がこうしていると、決まって彼が諌めてくれた。
「エリーザ! やめろ!」
また、今回も彼が見つけた。彼は無理やり腕を引っ張って、岸まで連れて行く。
「子に障るだろう。お前も、風邪をひく」
自らのマントをかぶせた。あの日みたいね。なのに、立場も、何もかも変わってしまった。
「さぞ哀れでしょう。以前は姫として囲われていたのに、牢屋に捕らえて。次は子を作らされて、いつの間にか側室にまでされて。もう、こんな生活嫌なのよ。殺してよ」
彼は深緑の目、虹彩をキラキラと輝かせて、私の頬を掴んで見下ろした。
「哀れだったさ。自分だけはのうのうと優雅に暮らして、民の苦しみも知らない。俺の一族がどんなに虐げられたか。あんたたち王族が憎かった。なのに、あんたは……エリーザ姫は純粋で、惹かれてしまって。殺せなかった。だから牢屋に入れた。お前しか抱きたくなかったから、抱いた。お前は俺に、殺せと言うのか」
目に、怒り、狂気、愛情、憎しみ、慈しみが浮かんでは消える。そして、残ったのは怒り。
「殺すはずがない。お前は俺に憎まれて、愛されて、苦しんで生きればいい」
「あなたは、私を愛してると言うの?」
「同時に憎い」
「ええ。私もよ」
相反する感情が自信の中に渦巻き、表裏一体の感情となる。憎くて、愛おしい。昔、彼に抱いていたささやかな恋情が遠い。もはや恋なんて生易しい感情ではない。
「そう……ね。あなたを憎んで、生きましょう。城へ、帰りましょうか。憎くて愛しい人」
「ああ」
二人手を取り合って、城へ進む。繋いだ手は、時には憎しみをもって強く握りしめられ、時には愛情もって優しく握られる。
アルバート王。革命王と知られる彼は、生涯正室をとらなかった。側室が一人だけいたと記述されている。のちの学者はこう考えた。正室にすることを情勢が許さなかったのでしょうと。そして、こうも言った。側室の元近衛兵だったために、好いていた可能性が高い。王の権力で正室にすることも出来たが、しなかったのは革命によって複雑になったからだろうと。ただ、彼女との間に多くの子を残しているため、彼の愛情の深さも伺える。
自分の世界を壊された王女の話が書きたくて、書きました。
愛情も、憎しみもドロっと混ざったものを書きたくて。
緑という色も、使いたかった題材です。
読んでいただき、ありがとうございました。