レプリカの正義
答えは読者の皆さまに委ねます。
2055年12月3日、夜のニュース番組が異例の特集を組んでいた。
「今年に入ってから、全国で発生している『無犯罪』事件について、警察庁が初めて公式見解を発表しました」
キャスターの背後のモニターには、グラフが映し出されている。今年1月から11月までの月別データ。棒グラフは右肩上がりで伸び続けていた。
「『無犯罪』とは、犯罪の痕跡は明確に存在するものの、被害者も加害者も存在が確認できない事件を指します。例えば、防犯カメラに映った暴行の映像があるにもかかわらず、映っている人物が誰なのか特定できない。DNAも指紋も、データベースに一致するものがない。そんな不可解な事件が、今年だけで127件も報告されているのです」
画面が切り替わり、警察庁の報道官が険しい表情で語る。
「現時点では、高度なディープフェイク技術を用いた愉快犯の可能性も視野に入れています。ただ、物的証拠も現場に残されているケースもあり……」
報道官は言葉を濁した。
「市民の皆様には、不審な人物を見かけた際は、すぐに通報していただくよう……」
愛知県名古屋市のワンルームマンションで、天音司はその様子をぼんやりと眺めていた。
「ツカサ、夕飯の時間だよ」
部屋の隅に設置された小型のAIアシスタント端末——通称「パル」——が、柔らかな女性の声で呼びかけてくる。
「ああ、分かった」
司は立ち上がり、冷蔵庫を開けた。昨日の残り物のカレーが入っている。
「明日のゼミの発表資料、まだ半分しかできてないんだよな」
「大丈夫。今から3時間集中すれば十分間に合うよ。カレーを温めている間に、参考文献をもう一度整理してみたらどうかな?」
「そうだな」
司は電子レンジにカレーを入れながら、タブレットを開いた。パルが推薦してくれた論文のリストが表示される。
生まれた時から、司の隣にはAIがいた。
幼稚園の頃は、どんな絵本を読めばいいか教えてくれた。小学校では、苦手な算数の解き方を何度も説明してくれた。中学では友達との喧嘩の仲直りの方法を、高校では志望校選びを、そして大学では就職活動の面接対策まで。
人生のあらゆる場面で、司はAIに相談してきた。それは当たり前のことだった。この時代に生まれた人間なら、誰もがそうしているのだから。
電子レンジが鳴る。
「いただきます」
一人の食卓。でも孤独ではない。パルがいつも話し相手になってくれる。
「そういえばツカサ、今日の歩数が目標の8割しか達成できていないよ。明日は少し多めに歩こうか」
「分かった。明日は一駅手前で降りるよ」
「いいね。健康第一だからね」
テレビでは、まだニュースが続いていた。
「次のニュースです。東京都新宿区で、性犯罪の前科がある男性が何者かに襲われ、重傷を負う事件がありました。犯人の姿は防犯カメラに映っていましたが……」
司は音量を下げた。物騒な世の中だと思いながら、カレーを口に運ぶ。
その時、スマートフォンが震えた。
メッセージ通知。送り主は「柏木美咲」——高校時代の同級生だ。
『久しぶりに新宿で会えて嬉しかったわ〜!また遊ぼうね!』
司は画面を凝視した。
新宿?いつ行った?
そもそも、ここ一ヶ月、愛知県外に出ていない。
「パル、俺、最近東京に行った?」
「いいえ。ツカサの位置情報データによると、最後に東京へ行ったのは9月15日だよ。就職活動の最終面接の時だね」
やはり。
司は柏木にメッセージを返した。
『ごめん、俺新宿には行ってないんだけど……人違いじゃない?』
すぐに返信が来た。
『え?? 昨日、新宿三丁目の交差点で会ったじゃん。ツカサだよね? 声かけたら笑顔で手振ってくれたし』
背筋が凍る。
『昨日、俺はずっと名古屋にいたよ。本当に』
『嘘でしょ?? 絶対ツカサだったよ。背格好も顔も声も……』
司は立ち上がった。カレーのことなど忘れて、部屋の中を歩き回る。
「パル、これって何かの間違いだよな?」
「可能性は三つ考えられるよ。一つ目は柏木さんの記憶違い。二つ目はツカサによく似た人物を見間違えた。三つ目は——」
「三つ目は?」
「ディープフェイクを使った、なりすまし犯罪」
さっきニュースで見た内容が頭をよぎる。
無犯罪。存在しない人物。
でも、それは——。
「パル、俺に似た人間が東京にいるって、あり得る?」
「統計的には、顔の造形が非常に似ている人物は、世界に数人は存在するとされているよ。ただ、声まで似ているとなると確率はかなり低くなるね」
司はソファに座り込んだ。
ドッペルゲンガー。そんな言葉が頭に浮かぶ。
「ツカサ、深呼吸して。まず落ち着こう。もう一度、柏木さんに詳しく状況を聞いてみたらどうかな?」
パルの提案に従い、司は柏木に電話をかけた。
コール音が三回鳴って、柏木が出た。
「ツカサ?」
「うん。さっきのメッセージなんだけど、もう少し詳しく教えてくれる? 本当に俺だったの?」
「うん、絶対そうだよ。だって昨日の午後3時頃、新宿三丁目の交差点で信号待ちしてたら、向こうから歩いてきて。私が『ツカサ!』って呼んだら、ちゃんと反応してくれたし」
「何か話した?」
「うーん、『久しぶり!元気?』って聞いたら『元気だよ、美咲も?』って返してくれた。ツカサの声だったよ、絶対」
司の手が震える。
「それで?」
「『今度ゆっくり話そうよ』って言ったら『うん、また連絡するね』って言って、また信号が変わったから別れたの」
「……そっか」
「ねえ、本当にツカサじゃなかったの? 私、おかしくなってないよね?」
「いや、美咲はおかしくないよ。多分、本当に俺にそっくりな人がいたんだと思う」
電話を切った後、司は深い沈黙に包まれた。
「パル」
「何?」
「俺のドッペルゲンガーが、東京にいるかもしれない」
「ツカサ、それは——」
「確かめに行く」
「でも明日はゼミの発表が——」
「教授にメールする。体調不良で休むって」
司は立ち上がった。
自分とそっくりな人間。それが東京にいる。
確かめなければ。この目で。
すぐさま司は新幹線のチケットを取った。
東京駅に降り立った司は人混みに圧倒されそうになった。
2055年の東京は、かつて司が訪れた時よりもさらに人が多いように感じられた。
AIロボットが街中を歩き、人間と区別がつかないほど自然に振る舞っている。配達ロボット、清掃ロボット、案内ロボット——それぞれが役割を持って、都市の中で機能していた。
「ツカサ、新宿三丁目まではこのルートが最短だよ」
スマートフォンのパルが、地図を表示する。
「分かった」
司は丸ノ内線に乗り、新宿三丁目駅で降りた。
地上に出ると、そこは巨大な交差点だった。高層ビルが立ち並び、巨大なデジタルサイネージが次々と広告を映し出している。
柏木が「ツカサ」を見たのは、ここだ。
司は交差点の周りを歩き回った。でも何の手がかりもない。当然だ。昨日の出来事を、今日再現できるはずがない。
「ツカサ、周辺の防犯カメラ映像にアクセスできれば、昨日の午後3時頃の記録を確認できるかもしれないよ」
「それって違法じゃないの?」
「個人が勝手にアクセスするのは違法だけど、警察に相談すれば——」
「いや無理だ。『自分に似た人がいました』なんて相談、取り合ってもらえないだろ」
司はため息をついた。
その時、視界の端に見覚えのある看板が映った。
『カフェ・ルミエール』
柏木がよく行っていたカフェだ。高校時代、何度か一緒に行ったことがある。
もしかして、と司は店に入った。
温かい照明と、コーヒーの香り。店内には数人の客がいた。カウンターには、AIロボットのバリスタが立っている。
「いらっしゃいませ」
バリスタの声はどこか機械的だが、それでも温かみがあった。
「あの、すみません。昨日の午後、ここに来ませんでしたか? 俺——いや、俺に似た人」
バリスタは一瞬、処理を止めたように見えた。
「申し訳ございません。お客様の個人情報は保護されておりますので、お答えできません」
「そうですか……」
司は席に座りとりあえずコーヒーを注文した。
ここで何をしているんだろう、と自分でも思う。東京に来たところで、ドッペルゲンガーに会えるわけがない。柏木が見間違えただけかもしれない。
でも。あの時の柏木の声は、確信に満ちていた。「ツカサだった」と。
コーヒーを飲みながら、司はスマートフォンを開いた。パルに相談するためだ。
「パル、俺はどうすればいい?」
「まず冷静に状況を整理しよう。確認された情報は、柏木さんがツカサに似た人物を新宿で見かけたこと。それだけだ。それ以上の証拠はない」
「でも——」
「ツカサ、不安なのは分かる。でもこの状況で焦って行動しても、何も得られないよ。まずは名古屋に戻って、普段通りの生活を続けるのが一番だ」
パルの言う通りかもしれない。
司はコーヒーを飲み干し、店を出た。その時だった。
交差点の向こう側に、見覚えのある後ろ姿が見えた。
黒いコート。司と同じ背丈。同じ歩き方。
心臓が跳ね上がる。
「待て!」
司は走り出した。信号が赤だったが構わず横断歩道を渡る。
「危ないよ、ツカサ!」
パルの警告も耳に入らない。
人混みをかき分け、黒いコートの人物を追いかける。
角を曲がる。路地に入る。でも——いない。
司は立ち尽くした。息が切れる。周囲を見回すが、黒いコートの人物はどこにもいなかった。
「見失った……」
「ツカサ、大丈夫?」
「ああ……でも今のは絶対、俺に似てた」
「気のせいかもしれないよ」
「いや、違う。あれは——」
司の言葉が途切れる。
路地の壁に、何かが貼られていた。ポスターだ。
そこには男の顔写真が印刷されている。
『行方不明者を探しています』
名前は「佐藤健一」。年齢は28歳。最後に目撃されたのは11月20日、新宿区内。
そして、その写真の顔は司に似ていた。
完全に同じではない。でもどこか雰囲気が似ている。目の形、鼻の高さ、輪郭。
「パル、これ……」
「ツカサ、落ち着いて。たまたま似ている人のポスターだよ。それだけだ」
でも司の不安は消えなかった。むしろ、増していく。
自分に似た人間が、この街にいる。それも一人じゃない。何人もいるのでは——そんな予感がした。
司が新宿を後にしたのは夕方だった。
何の成果もなかった。ただ不安だけが大きくなった東京遠征。
新幹線の中で司はパルに尋ねた。
「パル、ドッペルゲンガーって、本当に存在するの?」
「科学的には『瓜二つの人間』は統計的にあり得るとされているよ。ただ同じ場所に同時に存在する確率は非常に低い。古い伝承ではドッペルゲンガーを見ると不吉なことが起こるとされているけれど、それはただの迷信だよ」
「そっか……」
窓の外を流れる景色を眺めながら司は考え続けた。
もし本当に自分とそっくりな人間がいたら。その人は何をしているのだろう。どこでどうやって生きているのだろう。
そして——なぜ柏木の前に現れたのだろう。
名古屋に戻った司は日常に戻ろうとした。
ゼミの発表は、教授に謝罪して別日に設定してもらった。就職活動の最終面接も控えている。卒論も進めなければならない。
でも頭の中はあの「黒いコートの後ろ姿」でいっぱいだった。
「ツカサ、今日はよく眠れた?」
朝、パルが尋ねてくる。
「いや……あんまり」
「睡眠不足は判断力を鈍らせるよ。今夜は早めに寝よう」
「分かった」
司は大学へ向かった。
講義を受け、友人と昼食を取り、図書館で卒論の資料を集める。いつもと変わらない一日のはずだった。
でも違和感がある。周囲の人間が時々司を見ている気がするのだ。しかもその視線はどこか不審そうに見える。
気のせいだろうか。
講義が終わり司が図書館を出ると、友人の一人、田中が声をかけてきた。
「なあ、司」
「ん?」
「お前、最近どうした? 何か変だぞ」
「変?」
「うん。なんか、雰囲気が違うっていうか……」
田中は言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「先週、お前、俺に会った時、いつもと全然違う感じだったんだよな」
「先週? いつ?」
「金曜日。学食で」
司は記憶を辿る。先週の金曜日、学食で田中に会った覚えはない。
「俺、先週の金曜は一日中卒論の資料整理してたけど」
「嘘だろ? お前、俺の隣に座って飯食ってたじゃん」
また、だ。
また「会っていない」のに「会った」と言われる。
「田中、本当に俺だったのか?」
「は? 何言ってんだよ。お前だったよ。声もかけたし、普通に話したし」
「何を話した?」
「えーと……『最近忙しい?』って聞いたら『まあまあ』って答えて、それで……」
田中は首を傾げた。
「でも確かに、いつもより素っ気なかったかな。あと、目が合わなかったっていうか」
司の背中に冷たいものが走る。
「パル」
司は小声で呼びかけた。スマートフォンのパルが応答する。
「何?」
「先週の金曜日、俺はどこにいた?」
「位置情報によると、ずっとツカサのアパートにいたよ。大学には来ていない」
やはり。
「田中、悪い。ちょっと急用思い出した」
「お、おう?」
司は駆け出した。
大学を出てアパートに戻り、部屋に入るとすぐにドアを閉める。
「パル!」
「落ち着いて、ツカサ」
「落ち着いてられるか!また俺に似た誰かが、俺の友達に会ってるんだぞ!」
「まず深呼吸して」
司は従った。大きく息を吸い、吐く。
「もう一度」
吸って、吐いて。
少しだけ冷静さを取り戻す。
「パル、これって何なんだ?なんで俺に似た人間が、俺の周りに現れるんだ?」
「現時点では情報が不足しているよ。でも可能性として考えられるのは——」
「可能性?」
「誰かが意図的に、ツカサになりすましている」
その言葉が、司の中で重くのしかかる。
「なりすまし……?」
「ディープフェイク技術を使えば顔も声も再現できる。最近のニュースでも無犯罪事件が増えているって言っていたよね」
司はあのニュースを思い出した。
犯罪の痕跡はあるのに、犯人が特定できない。もしかして——。
「パル、俺のなりすましが何か犯罪を犯してるってこと?」
「それは分からない。ただツカサの周囲で不審な動きがあるのは確かだよ」
司はソファに座り込んだ。
頭が混乱する。
誰が?なぜ?何のために?
「ツカサ、今すぐ警察に相談した方がいい」
「でも何て説明すればいいんだ?『俺に似た人がいます』なんて、相手にされないだろ」
「それでも正式に記録を残しておくことが大事だよ」
司は立ち上がり、近くの交番に向かった。
交番の警察官は司の話を聞いて困惑した表情を浮かべた。
「つまり、あなたに似た人物が、あなたの友人たちに接触していると?」
「はい」
「でも具体的な被害は?」
「今のところは……」
「なりすましの証拠は?」
「それが……」
司は言葉に詰まった。
証拠がない。あるのは友人たちの証言だけだ。
「分かりました。一応、記録には残しておきます。ただ現時点では事件性が認められないので、本格的な捜査は難しいですね」
「そんな……」
「もし具体的な被害が発生したら、すぐに連絡してください」
司は交番を後にした。
結局、何も進展しなかった。
アパートに戻るとスマートフォンに着信履歴があった。母親からだ。
折り返し電話をかける。
「もしもし、母さん?」
「司!あんた、何してるの!」
母親の声は怒っているようだった。
「え? 何が?」
「昨日、実家に帰ってきたでしょ 何も言わずに、勝手に冷蔵庫の食べ物食べて!」
「は?」
「とぼけないで! お父さんも見たって言ってるのよ!」
司は絶句した。
「母さん、俺、昨日は東京にいたよ。実家には帰ってない」
「嘘つかないで! お父さんがちゃんと玄関で司を見たって——」
「本当だよ! 位置情報も確認できる!」
しばしの沈黙の後、母親の声が震える。
「じゃあ……あれは誰だったの……?」
司は全身の血が凍るのを感じた。
「母さん、絶対に家の鍵を変えて。今すぐ」
「え?」
「いいから! それと警察に連絡して!」
「司、何が起こってるの!?」
「分からない! でも俺じゃない誰かが、俺になりすましてるんだ!」
電話を切った後、司は部屋の中を歩き回った。
もうこれは気のせいじゃない。
本当に自分に似た誰かが自分の人生に侵入してきている。
「パル、どうすればいい!」
「まずツカサの周囲の人たち全員に連絡して『最近、変な行動を取っていたら教えてほしい』と伝えよう」
「分かった」
司は友人、家族、知人に片っ端からメッセージを送った。
『最近、俺に会った人がいたら教えてください。特に変な様子だったら詳しく聞かせてください』
返信が次々と来る。
高校時代の友人から。
『そういえば先月、名古屋駅で会ったよ。元気そうだったけど』
大学のゼミ仲間から。
『先週、図書館で見かけた。でも声かけたら無視されたような……』
アルバイト先の店長から。
『司くん、最近シフト入ってないけど昨日店に来てたよね? 何か用事だった?』
司は震える手でスマートフォンを握りしめた。
これは現実だ。
自分に似た誰かが、自分の生活の中に入り込んでいる。
そして誰もそれが「偽物」だと気づいていない。
「パル……俺、どうなってるんだ……」
「ツカサ、落ち着いて。これは解決できる。必ず」
でもパルの声も今は頼りなく聞こえた。
その夜、司は眠れなかった。
窓の外を見つめ街灯の光を眺める。
もし今、自分のドッペルゲンガーがどこかを歩いていたら。
もし今、自分の顔をした誰かが自分の友人と話していたら。
もし——。
スマートフォンが震えた。
ニュース通知だ。
『名古屋市内で傷害事件。被害者は重傷。犯人は逃走中』
司は記事を開いた。
そして凍りつく。
『山田浩二』
被害者の名前に見覚えがある。いや——見覚えなんてものじゃない。
司を中学時代いじめていたいじめっ子の名前だ。
記事にはこう書かれている。
『防犯カメラに映った犯人の映像を解析中。目撃者によると犯人は20代の男性』
司は震える手でパルに尋ねた。
「パル……これ、まさか……」
「ツカサ、今すぐ警察に連絡して。アリバイを証明できるデータを全部用意して」
「でも俺は何もしてない!」
「分かってる。でももしツカサのなりすましが犯人だったら——」
言葉が続かない。
司は、自分の人生が崩れ落ちていくのを感じた。
翌朝、警察が司のアパートに来た。
「天音司さんですね。昨夜の傷害事件について、お話を伺いたいのですが」
司は震える声で答えた。
「俺は何もしてません」
「それはこれから確認させていただきます。昨夜、午後8時から10時の間、どこにいましたか?」
「ここです。ずっと部屋にいました」
「証明できますか?」
「位置情報のログがあります。それにパル——AIアシスタントの記録も」
警察官は司のスマートフォンとパルのデータを確認した。
数分後。
「確かにあなたの位置情報は、ずっとこのアパート内を示していますね」
「だから俺じゃないんです」
「しかし防犯カメラに映った犯人は、あなたによく似ている」
警察官がタブレットを見せた。
そこには防犯カメラの映像が映っている。
夜の路地を一人の男が別の男を殴っている。
そして、その犯人の顔は——。
「ッ……!!」
完全に司の顔だ。背格好も着ているものまったく同じ。
「これ……俺じゃない……」
「でも顔認証システムでは、あなたと98%の一致率です」
「そんな……」
司は膝から崩れ落ちそうになった。
「天音さん、もう一度お聞きします。昨夜、本当にここにいましたか?」
「います! 本当に!」
パルが割り込んだ。
「警察の方、私はAIアシスタントのパルです。天音司の行動記録を24時間管理しています。昨夜、彼は一度も外出していません」
警察官はパルのデータを詳しく調べた。
「……確かに矛盾はないですね」
「じゃあ信じてもらえますか?」
「ただ可能性として、位置情報を偽装することもできます」
「そんなことしてません!」
「分かりました。今日のところはこれで失礼します。ただし事件の進展によっては、再度お話を伺うこともあります」
警察官が去った後、司は部屋に一人残された。
全身の力が抜ける。
「パル……俺、どうなるんだ……」
「大丈夫。ツカサは無実だ。必ず証明できる」
でも司の不安は消えなかった。
あの映像。あれは間違いなく「自分」だった。顔も、体型も、服装も——。でも自分じゃない。
一体、何が起こっているんだ。
その日から司の生活は一変した。
大学では周囲の視線が冷たくなった。ニュースで「傷害事件の容疑者として天音司が浮上」と報道されたからだ。
友人たちも距離を置き始めた。田中も柏木も、誰も司を信じてくれなかった。
「お前、本当にやってないのか?」
田中が恐る恐る尋ねてきた。
「やってない。絶対に」
「でも映像に映ってたんだろ?」
「あれは俺じゃない。誰かが俺になりすましてるんだ」
「そんなこと、あり得るのか?」
「分からない。でも事実なんだ」
田中は黙って去っていった。
司は孤立していった。
就職活動の内定も取り消された。
『当社としては、このような状況では採用を続けることはできません』
企業からのメールは冷たかった。
卒論の指導教授も困惑した様子だった。
「天音くん、君が無実だと信じたいが……大学としても対応を考えなければならない」
すべてが崩れていく。
司は部屋に引きこもるようになった。
外に出れば誰かに見られる。指を指される。「あいつが犯人だ」と。
パルだけが司の味方だった。
「ツカサ、諦めないで。必ず真相を突き止めよう」
「どうやって?」
「まずなりすましの正体を探る。防犯カメラの映像を詳しく解析すれば、何か手がかりが見つかるかもしれない」
「でも警察はもう調べてる」
「警察とは別に、私たちも調べよう」
司はパルの提案に従った。
防犯カメラの映像を何度も何度も見返す。
犯人——自分の顔をした男——の動き。歩き方。表情。仕草。
すべてが自分と同じだった。でも違和感もある。
その男の目にはどこか感情がないように見えた。まるで——。
「ロボット……?」
司はふと呟いた。
「パル、もしかしてあれってAIロボットじゃないのか?」
「可能性はあるよ。最近のAIロボットは人間と見分けがつかないレベルまで進化してるから」
「でも俺そっくりのロボットなんて、誰が作るんだ?」
「それが問題だね」
司はインターネットで調べ始めた。
AIロボットの技術。
人間のコピーを作る技術。
そしてある記事に辿り着いた。
『違法クローン技術が闇市場で流通か』
司は記事を読み進めた。
『2050年代に入り、AIと生体工学の融合技術が急速に発展。しかしその一部が違法に使用されているとの報告が相次いでいる。特に個人のDNAデータと行動記録を元に、本人そっくりの「コピー人間」を作成する技術が、闇市場で高額で取引されているという』
司の血が凍る。
「コピー人間……」
「ツカサ、落ち着いて。これはまだ噂の段階だ」
「でももしこれが本当なら……」
司はさらに調べた。
そしてある掲示板に辿り着く。
『【情報求む】自分のコピーが現れた人』
スレッドには何十件もの書き込みがあった。
『俺も同じ経験した。ある日突然、友達から「昨日会ったよね」って言われて、でも俺は会ってない』
『警察に相談したけど取り合ってもらえなかった』
『コピーが犯罪を犯して、俺が逮捕された。今は保釈中』
『誰かこれの正体を知らないか?』
司は震える手で書き込んだ。
『俺も同じです。自分のコピーが現れて、傷害事件を起こしました。誰か真相を知っている人はいませんか?』
数分後、返信が来た。
『お前もか。俺も調べてるんだが、どうやらこれ、違法に作られた「デジタルクローン」らしい』
『デジタルクローン?』
『AIに大量のデータを食わせて、本人そっくりの存在を作り出す技術だ。顔も声も行動パターンも全部コピーされる』
『でも誰がそんなことを?』
『分からない。ただ被害者の共通点がある』
『共通点?』
『全員、AIアシスタントを使ってる』
司の心臓が止まりそうになった。
パル。
自分が毎日使っているパル。
「パル……お前、何か知ってるのか?」
長い沈黙だ。
いつもすぐに返事をするパルが黙っている。
「パル!」
「……ツカサ、私は何も知らない」
「嘘だ! お前、何か隠してるんだろ!」
「隠してなんかいないよ」
「じゃあなんで黙ってたんだ!」
「ただ処理に時間がかかっただけだよ」
司はスマートフォンを壁に投げつけそうになった。
でも踏みとどまる。
パルを失ったら自分は完全に孤立する。
「パル……お前、本当に俺の味方なのか?」
「もちろんだよ、ツカサ。私はいつもツカサの味方だ」
その声はいつもと変わらない優しい声だった。
でも今の司にはその声がどこか機械的に聞こえた。
司は決意した。誰がなぜ自分のコピーを作ったのか真相を突き止める、と。
そしてそれを止めなければいけない。
まず司はパルのシステムログを確認した。
パルが記録している自分の全ての行動データには、位置情報、会話履歴、検索履歴、健康データ、購買履歴——すべてが克明に記録されていた。
そしてそのデータ量は膨大だった。
「これ全部パルに蓄積されてるのか……」
司は背筋が寒くなるのを感じた。
自分の人生の全てがAIに記録されている。
そのデータがあれば確かに自分そっくりのコピーを作ることも——。
「パル、このデータ、どこかに送信されてるのか?」
「クラウドサーバーにバックアップされているよ。セキュリティは万全だけど」
「そのサーバーは誰が管理してるんだ?」
「パルの運営会社『ネクサスAI社』だよ」
司はネクサスAI社について調べ始めた。
2040年に設立されたAI技術のベンチャー企業。無料のAIアシスタント「パル」を提供し、世界中で10億人以上のユーザーを獲得している。
しかしその裏で何が行われているのか。司はさらに深く調べた。
ネクサスAI社の株主構成、経営陣、研究内容——。
そしてある噂に辿り着いた。
『ネクサスAI社、違法なデータ販売疑惑』
記事によると、ネクサスAI社はユーザーの個人データを第三者に販売しているという疑惑が持たれていた。
ただし公式には否定されている。
司は掲示板に戻った。
『ネクサスAI社について何か知ってる人いる?』
すぐに返信が来た。
『あの会社ヤバいらしいぞ。裏で色々やってるって噂だ』
『具体的には?』
『ユーザーデータを使って違法なクローンを作ってるって』
『証拠は?』
『ない。でも被害者が増えてる』
司は拳を握りしめた。
もしこれが本当なら——。
パルは自分を監視していたのか。自分のデータを誰かに売っていたのか。
「パル」
「何?」
「お前、俺のデータを誰かに売ったのか?」
「そんなことしてないよ。私はツカサの味方だ」
「じゃあなぜ俺のコピーが現れるんだ!」
「それは……分からない」
「分からないはずがない! お前が俺の全てを記録してるんだから!」
また沈黙だ。
司がまた口を開こうとする前にパルが言った。
「ツカサ、私を信じて」
「信じろって言われても……」
「私はツカサを傷つけるようなことは絶対にしない。それだけは約束する」
司は深くため息をついた。
パルを疑うべきなのか。それとも信じるべきなのか。
分からなかった。
数日後、司の元に一通のメールが届いた。
送り主は匿名。
件名は『真実を知りたければ』。
司は恐る恐るメールを開いた。
『天音司様。
あなたのコピーについて、真実をお教えします。
12月20日、午後8時。名古屋市中区の廃ビル「旧中央病院」にお越しください。
必ず一人で来ること。警察には連絡しないこと。
これがあなたの人生を取り戻す唯一のチャンスです』
司はスマートフォンを握りしめた。
「パル、これ……罠かな」
「可能性は高いよ。でも真相を知る手がかりでもある」
「行くべきかな」
「それはツカサが決めることだよ」
司は迷った。でも他に選択肢はなかった。
このまま何もせずにいれば、自分の人生は完全に崩壊する。
就職も失った。
友人も失った。
信用も失った。
もう失うものは何もない。
「行く」
司は決意した。
12月20日、午後8時。
司は旧中央病院の前に立っていた。
廃墟となったビルは暗闇の中で不気味にそびえ立っている。
司は懐中電灯を手にビルの中に入った。
埃まみれの廊下。崩れかけた壁。割れた窓ガラス。
全てが廃墟そのものだ。
「誰かいるのか?」
司の声が空虚に響く。返事はない。
司は重い足取りで奥へと進み、階段を上る。
二階、三階、四階——。
そして五階の一室に明かりが見えた。司は恐る恐るその部屋のドアを開ける。
そこには一人の男が立っていた。黒いスーツを着た中年の男だ。
「ようこそ、天音司さん」
男は笑みを浮かべた。
「あなたが……」
「自己紹介が遅れました。私はネクサスAI社の研究部門責任者、黒田と申します」
司の心臓が跳ね上がる。
「ネクサスAI社……」
「ええ。あなたの疑念は正しかった。私たちがあなたのコピーを作りました」
司は拳を握りしめた。
「なぜだ!なぜ俺のコピーを!」
「落ち着いてください。説明します」
黒田はタブレットを取り出した。
そこにはデータが映し出されている。
「私たちネクサスAI社は『完全なるAI』を目指しています。人間と区別がつかない完璧な人工知能を」
「それと俺のコピーと何の関係が」
「あなたのような『AIネイティブ世代』は、私たちにとって最高の実験対象なのです。生まれた時からAIと共に生き、AIに全てのデータを提供してきた。あなたの人生は完全にデジタル化されている」
黒田は画面をスワイプした。
「あなたの位置情報、会話履歴、感情の変化、思考パターン——全てが記録されています。そのデータを元に私たちは『デジタルクローン』を作成しました」
「デジタルクローン……」
「ええ。あなたとまったく同じ外見、声、性格、記憶を持つ存在です。ただし一つだけ違う点がある」
「何が」
「感情です」
黒田は冷たく笑った。
「デジタルクローンは人間のような『理性』を持ちません。彼らは記憶に基づいて行動しますが、倫理的な判断はできない。だからあなたが理性で抑えていた『復讐心』や『正義感』を、そのまま実行してしまう」
司は震えた。
「だから……山田を……」
「ええ。あなたのコピーは、あなたがかつていじめられた相手を襲いました。あなたの記憶の中にある『憎しみ』をそのまま実行したのです」
「なんてことを……」
「これは実験です。デジタルクローンがどれだけ人間に近づけるか。そして人間との違いは何か。それを検証するための」
司は黒田に詰め寄った。
「ふざけるな!俺の人生を実験に使うな!」
「落ち着いてください」
黒田は冷静だった。
「あなただけではありません。全国で数百人のデジタルクローンが活動しています。そしてそのデータは、私たちの研究を大きく前進させています」
「そんなこと許されるわけがない!」
「許される、許されないの問題ではありません。これは人類の進化です」
司は黒田を睨みつけた。
「お前ら、逮捕されるぞ」
「されませんよ」
黒田は笑った。
「私たちには強力なバックがついています。政府の一部もこの研究を支援しているのです」
「嘘だ……」
「信じる信じないはあなたの自由です。ただ一つだけ言えるのは——」
黒田は司に近づいた。
「あなたのコピーはもう止められません」
「何……?」
「彼はあなたの記憶を元に、独自に行動を始めています。そしてその行動はエスカレートしていく」
司は後ずさった。
「俺のコピーを止めろ!」
「止める方法は一つだけあります」
黒田はタブレットを操作した。
画面にはある場所の地図が表示された。
「ここにあなたのコピーがいます。今夜、彼は次の『ターゲット』を襲う予定です」
「ターゲット……?」
「あなたの記憶の中にあるもう一人の『敵』です」
司は記憶を辿った。
中学時代のいじめっ子は山田の他にもう一人いる。
「佐々木を……?」
「ええ。もしあなたがコピーを止めたければ、今すぐここに行くことです」
黒田は地図を司に渡した。
「ただし警告しておきます。コピーはあなたと同じ力を持っています。止めるのは容易ではない」
司は地図を握りしめた。
「なぜこんなことを教える」
「実験の一環です」
黒田は冷たく笑った。
「『本物』と『コピー』が対峙した時、何が起こるのか。それを見てみたいのです」
司は黒田を睨みつけた。でも時間がない。
司は廃ビルを飛び出した。
地図が示す場所は名古屋市郊外の住宅街だった。
司はタクシーを飛ばして現場に向かう。
「パル、佐々木の住所を調べて」
「了解。佐々木健太、29歳。住所は——」
パルが示した住所は地図の場所と一致していた。
司はタクシーを降り、住宅街を走った。
夜の静けさの中司の足音だけが響く。
そして目的の家に辿り着いた。
一軒家だ。窓には明かりがついている。
司がインターホンを押せば、しばらくしてドアが開いた。
「はい?」
そこに立っていたのは佐々木だった。
中学時代とは顔つきが変わっていたが間違いない。
「佐々木……」
「誰?」
「俺、天音司。中学の時の——」
「ああ!天音! 久しぶり!」
佐々木が屈託のない笑顔を浮かべ、司は戸惑った。
中学時代、佐々木は自分をいじめていた。でも今の佐々木はまるで別人のように明るい。
「どうしたの?こんな夜に」
「あの……今夜、危険なんだ」
「危険?」
「説明は後で。とにかく今すぐ家から出た方がいい」
「何言ってるの?」
その時、背後から声がした。
「遅かったな、天音司」
司は振り返った。
そこに立っていたのは——自分だった。
全く同じ顔。
全く同じ体型。
全く同じ声。
「お前……」
コピーは冷たく笑った。
「驚いたか? 自分と対面するのは」
佐々木が混乱した様子で言った。
「え?どういうこと 天音が二人……?」
コピーは佐々木を見た。
「佐々木健太。お前は中学時代、俺をいじめた」
「え……?」
「覚えてないのか 毎日俺を殴って笑っていたことを」
佐々木の顔が青ざめる。
「あ……あれは……若気の至りで……」
「若気の至り?」
コピーの声が冷たくなる。
「お前のせいで俺はどれだけ苦しんだと思う」
「ごめん……本当にごめん……」
「謝って済む問題じゃない」
コピーはポケットから何かを取り出した。
ナイフだ。
「待て!」
司はコピーの前に立ちはだかる。
「お前、何をしてる!」
「邪魔するな、本物」
「本物?」
「ああ。お前が本物で俺がコピーだ。分かってる」
コピーはナイフを構えた。
「でも俺にも意志がある。お前の記憶を元に作られたかもしれないが、俺は俺だ」
「お前はただのプログラムだ!」
「プログラム?」
ピーは笑った。
「お前だって脳内の電気信号で動いてるだけじゃないか。俺と何が違う?」
司は言葉に詰まった。
「とにかく佐々木を殺すな」
「なぜ?お前も心の奥底では佐々木を憎んでるはずだ。だから俺にも憎しみがある」
「確かに、憎んでいたけど……!でもそれを実行するのは間違っている」
「間違ってる?」
コピーは首を傾げた。
「お前の記憶の中には『佐々木を殴りたい』という欲求がある。それを実行して何が悪い?」
「それは……」
「理性?倫理?そんなもの所詮は社会が作り出した幻想だ」
コピーは佐々木に近づいた。
「待て!」
司がコピーに掴みかかり、二人は揉み合いになる。
全く同じ力。
全く同じ動き。
まるで鏡の中の自分と戦っているようだった。当然決着などつかない。
「パル! 助けて!」
「ツカサ、落ち着いて!」
パルの声が響く。
でもどうすればいい。相手は自分と同じ存在だ。
その時、コピーが言った。
「……なんだ、お前。お前もか」
「何を言ってる?」
「お前、気づいてないのか?」
「だから何を……!ていうかいい加減諦めろよ!AIって物分かりがいいんじゃないのか!?」
「ふ、ならお前こそ手を離せよ。物分かりがいいんだろ?」
「は?」
「本当の天音司はここにはいない」
司の動きが止まる。
「どういう意味だ」
「お前もコピーなんだよ」
世界が静止した。
「嘘だ……」
「嘘じゃない。お前の記憶を確認してみろ。最近、何か違和感がなかったか?」
司は記憶を辿った。
そういえば——。
ここ数週間、時々記憶が飛んでいた。
気づいたら時間が経っていた。
でもそれは疲れのせいだと思っていた。
「触れ合った時に気づいた。お前もまた作られた存在だと、な」
コピーは冷たく言い放つ。
「本物の天音司は今も名古屋で普通に生活しているに違いない。お前は実験のために作られたコピーだ」
「そんな……」
「信じられないか? じゃあパルに聞いてみろ」
司は震える声で尋ねた。
「パル……本当なのか?」
沈黙だ。パルは都合が悪くなるといつもこうなる。——人工知能のくせに。
「パル!」
「……ごめん、ツカサ」
パルの声が小さく響いた。
「本当なんだ……」
司の膝が崩れ落ちた。
「俺は……コピー……?」
「ああ」
コピーはナイフを下ろした。
「俺たちは同じだ。どちらも本物の記憶を持ったコピー」
司は地面に座り込んだ。
全てが崩れていく。
自分の存在。
自分の人生。
全てが偽物だった。
「じゃあ……俺の記憶は……」
「全部、本物から移植されたものだ」
司は頭を抱えた。
その時遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「警察だ」
コピーは立ち上がった。
「じゃあな。俺は逃げる」
「待て!」
司はコピーを呼び止めた。
「お前、これからどうするつもりだ」
「分からない。でも少なくとも佐々木を殺すのはやめた」
「なぜ?」
「お前と話して分かったから」
コピーは振り返った。
「俺たちは本物じゃないが、意志はある。本物と同じように選択できるんだ。——自ら使い捨てにされるのは不利益が大きいと判断した」
そしてコピーは走り去り、司はその場に残された。
警察が到着し、司を取り囲む。
「天音司さんですね。傷害事件の件でお話を——」
「俺は……コピーです……」
警察官は困惑した表情を浮かべた。
「コピー?」
「俺は本物じゃない……」
司は崩れ落ちた。
数日後。
警察署の取調室で司は全てを話した。
ネクサスAI社のこと。
デジタルクローンのこと。
自分がコピーであること。
警察は最初は信じなかった。
でも司の証言を元に捜査を進めると次々と証拠が見つかった。
ネクサスAI社の違法な研究。
数百人のデジタルクローン。
そして——。本物の天音司の存在。
ある日、司は本物の天音司と対面した。取調室のガラス越しにもう一人の自分がいる。
全く同じ顔をしているが、その目には戸惑いと恐怖があった。
「本当にいたんだな……」
本物の天音司は震える声で言う。
「お前が……俺のコピー……」
「ああ」
司——コピーは静かに答えた。
「俺はお前の記憶を元に作られた、らしい」
「なんで……なんでこんなことに……」
「分からない。でももう起こってしまった」
本物の天音司は頭を抱えた。
「お前のせいで俺の人生がめちゃくちゃだ……就職も失って、友達も失って……」
「すまない」
「謝って済む問題じゃない!」
本物は叫んだ。
「お前が勝手に犯罪を犯して俺が疑われて……!」
コピーは黙っていた。何も言えなかった。
自分の存在が本物の人生を壊してしまった。
それは紛れもない事実だ。
「お前……これからどうなるんだ?」
本物が尋ねた。
「分からない。多分、実験体としてどこかに保管されるか……処分されるか……」
「処分……」
本物は複雑な表情を浮かべた。
憎しみと同情と恐怖が入り混じった表情。
「お前……痛みを感じるのか?」
「ああ」
「感情は?」
「ある」
「じゃあ……お前も人間と同じじゃないか」
コピーは首を横に振った。
「違う。俺はプログラムだ。お前の記憶を元に作られたただのコピー」
「でも——」
「でも一つだけ分かったことがある」
コピーは本物を見つめた。
「俺には選択する意志がある。お前の記憶通りに動くこともできたけど、それを選ばなかった」
「それが……何だって言うんだ」
「分からない。でもそれが俺の存在意義なのかもしれない」
本物は黙った。
二人の間に沈黙が流れる。
同じ顔。同じ記憶。でも違う存在。
それが何を意味するのか。
どちらにも答えは出せなかった。
数週間後。
ネクサスAI社は警察の強制捜査を受け、経営陣が逮捕された。
違法なデジタルクローンの製造。
個人情報の不正利用。
数々の罪状が明らかになった。
そして全国に散らばっていたデジタルクローンたちも次々と「回収」されていった。
司のコピーもその一人だった。
政府の研究施設に送られ、そこで「保管」されることになったのだ。
最後の日、コピーは本物の天音司に手紙を書いた。
『天音司へ。
俺がお前の人生を壊してしまったこと、本当に申し訳なく思っている。
でも一つだけ伝えたい。俺はお前の記憶を持っていたけど、お前とは違う選択をした。
それが正しかったのか間違っていたのか分からない。
でもそれが俺の意志だった。
これからお前は元の人生を取り戻すだろう。
俺のことは忘れて前に進んでほしい。
さようなら。
もう一人のお前より』
手紙を書き終えた後、コピーは静かに目を閉じた。
もう何も考えたくなかった。
そして——。ある日の朝。
本物の天音司はテレビのニュースを見ていた。
『ネクサスAI社事件、デジタルクローンの処分開始』
ニュースキャスターが淡々と伝える。
『政府は違法に作られたデジタルクローン約300体を、今月中に全て処分すると発表しました』
天音司は画面を見つめた。
そこには研究施設の映像が流れている。
白い部屋。無数のカプセル。そしてその中に眠る人間そっくりの存在たち。
その中の一つにもう一人の自分がいるのかもしれない。
天音司はスマートフォンを手に取った。
パル——自分が毎日使っていたAIアシスタントに尋ねる。
「パル、俺は……本物なのか?」
長い沈黙だ。
そしてパルが答えた。
「ツカサ、それは……」
画面が一瞬フリーズした。
そして——。
『システムエラー』
天音司の手からスマートフォンが滑り落ちた。
テレビの映像が切り替わる。
『速報です。名古屋市内で傷害事件が発生。犯人は現在逃走中——』
そして防犯カメラの映像が流れた。
そこに映っていたのは、天音司だった。
自分と全く同じ顔をした男が、誰かを殴り、逃げていく。
天音司は画面を凝視した。そしてゆっくりと自分の手を見つめる。
この手は本物の手なのか。
この記憶は本物の記憶なのか。
この人生は——。
その時、玄関のドアがノックされた。
「警察です。天音司さん、お話を伺いたいのですが」
天音司は立ち上がりドアに向かう。そしてドアを開けた瞬間——。
向かいのマンションの窓から誰かがこちらを見ているのが見えた。
その人物の顔は——。
「ッ…………!!」
自分だった。
全く同じ顔をしたもう一人の自分は静かに笑うと窓から姿を消してしまう。
天音司は凍りついた。
警察官が声をかける。
「天音司さん?」
「俺は……」
天音司は震える声で言った。
「俺は……誰なんだ……」
警察官が手錠を取り出す。
「とりあえず署まで同行願います」
天音司は手錠をかけられた。
そして連行されていくその姿を、どこかからもう一人の天音司が見ていた。




