九 アベル
泣きながら眠るマリエンヌに布団を掛け、急いで服を着ると本邸へ向かう。
別邸を出る時、マリエンヌ付きのメイドはただ黙って頭を下げながら俺を見送る。俺が別邸を出ると扉は閉まり鍵がかかる音がした。
きっとメイドの耳にもマリエンヌの泣き叫ぶ声が聞こえただろう。
(それでも彼女の夫は俺だ)
そう自分に言い聞かせると急いで夫婦の寝室へ足を向けた。
三ヶ月前までここは俺とマリエンヌの寝室だったのに・・何とも言えない気持ちになりながらも、きっと眠っているだろう新妻の待つ寝室の扉を開けた。
「あら?今夜はこちらにいらしたのですか?遅いからてっきりあちらへ行かれたのだと思いましたわ」
寝ていると思ったその人は、明かりの消えた部屋のソファーに腰掛けてワインを飲んでいた。
「そんな所に立っていないで、こちらにいらしたら?」
俺は言われるがままにウォルダー侯爵令嬢の前に腰掛けると、空いているグラスにワインを注ぎ込む。
スッとグラスが差し出された思ったら、チンッとグラス同士を当てる。
「ジュディ嬢は約束を果たしたらどうされるのですか?」
「あら嫌ですわ、わたくしの事はジュディとお呼びください。もう夫婦になったのですから」
そう言うとグラスの中のワインを空にし、そっとテーブルの上に置く。
「もちろん約束を果たしたらわたくしを自由にして頂きますわ。それが貴方との結婚の条件ですもの」
「ああ、そうだったな。・・彼とは?」
「お父様からは約束を果たすまでは会う事を許されておりません。ですから一日も早く約束を・・」
「もちろんだ。俺も君と同じ条件だからな。約束を果たしてくれたらお互い自由になれる」
手に持ったワインを飲み干すとソファーから立ち上がる。
「この部屋は君が使うと良い。俺は私室のベッドで眠るから」
そう言い終わると扉へと歩き出す。
「旦那様はこの事をあちらへ伝えているのですか?」
一瞬動きを止めた俺にジュディは
「本当の事を伝えないのですか?このままでは誤解されるのでは?」
「・・彼女には何も伝えない。とにかく一日でも早く終わらせたい」
「ええ、そうですわね。また日にちをこちらから伝えますわ」
「ああ頼んだ。明日の朝はゆっくりしててくれ」
そう言い終えると寝室から出て行った。
彼女とは父親同士が手を組んだ政略だ。お互いの子供の醜態を隠すための結婚。俺は・・俺の気持ちを利用した汚い契約。
「!旦那様、こちらへいらして大丈夫なのですか?」
「彼女から言い出した事だからな、それよりも調べて欲しい事がある。頼めるか?」
私室へ入ると執事のベルナールがいた。この男は俺が小さい時から仕えている男で、右腕的存在だ。
俺はベルナールにケビン・フェルズの事を調べるよう頼んだ。
マリエンヌとの関係や、奴の商会の事。そしてジュディとの関係も・・
寝巻きに着替えた俺は眠る事が出来ず、一人ソファーに横になる。思うのはマリエンヌの事・・
伯爵家と男爵家。
身分差があるからと、侯爵家のジュディとの結婚話を持ちかけられた。
ジュディは侯爵家の騎士と恋仲となり、純潔を失っていた。この国の貴族令嬢はいまだに純潔重視となっている為、ジュディの相手が見つからなかった。
侯爵家と繋がりたい父親はある日俺を呼び出してこう言った。
「男爵家の娘と結婚したいのなら、侯爵家の令嬢とまず結婚しろ」
と。
「そして跡取りを産ませたら離縁して、男爵家の娘を後添えにすれば良い」
と。
そんな事したら男爵令嬢のマリエンヌは下手をしたら屋敷の人間からも下に見られる。
初恋の人にそんな辛い思いはさせられない。
「侯爵令嬢との結婚を受け入れます。が、その前に男爵家の娘との結婚を許してください。式はしません。彼女には別邸を建てそちらで過ごしてもらいます」
必死だった。
初恋の人、こんなに好きになったのは彼女だけ・・
俺の彼女への気持ちを利用した父親への反抗。
(一日も早く跡継ぎを・・)
それまではマリエンヌとの子も望めないし、あの男が彼女へ近付くのも気に入らない。
今日までは毎日欠かさず飲んでいた避妊薬を、今夜からは解禁する。
その為マリエンヌとも身体を重ねる事は出来ない。
「イライラするな・・」
俺はベルナールが用意したワインを飲み干すと、そのままソファーで寝てしまった。
予定外ではあったがマリエンヌと身体を重ねれた事は良かったな・・
少しだけ良い気分になった俺は、そのまま朝まで起きる事なく寝てしまった。
一日も早くこの気持ちをマリエンヌに伝えたい。
俺だけを見て欲しいと・・
心から愛していると・・




