悪役令嬢に転生したので "チートアイテム" を買い占めたらーー違法薬物事件を未然に防いだ英雄扱いされましたわ?!
――断頭台の冷たさを、私は知っていた。
石畳に膝をつき、縛られた手首に麻縄が食い込む。
民衆の罵声と、血と鉄の匂い。高台から見下ろす、氷のように冷たい青の瞳。
『アリセリア・レンフォード。お前の罪は万死に値する』
王太子レオンハルトの声が響き、振り上げられる刃。
視界が、真っ赤に――。
*****
「……っ!」
私はベッドの上で跳ね起きた。
心臓は暴れ、喉はからからだ。見慣れた天蓋付きベッドとレースのカーテンが、悪夢の残滓と重なって揺れる。
震える足をベッドから下ろし、鏡の前に立つ。
銀の髪、薄紫の瞳。整った顔立ちの少女――アリセリア・レンフォード。筆頭公爵家の一人娘にして、乙女ゲーム『恋の花束を君に』の悪役令嬢。
そして――前世の私が、そのゲームで何度も断頭台に送った、主人公のライバル役だ。
(……思い出した。ここ、あのゲームの世界だ)
大学生だった前世の私。
レポートに追われつつ、夜な夜な遊んでいた乙女ゲーム。
ヒロインは平民出身の奨学生で、攻略対象は王子に騎士に魔術師。
悪役として立ちはだかるのが、公爵令嬢アリセリア。
ヒロインをいじめ抜き、最後は公開断罪で首をはねられる――あのバッドエンド。
(よりによって、悪役令嬢に転生って……)
額を押さえ、私は深く息を吐いた。
窓の外では、広大な庭園の先に王城の尖塔が見えている。
そこには、私の婚約者――王太子レオンハルトがいるはずだ。
……最近、まともに会っていない。
誕生日や記念日には決まって贈り物が届く。
どれも高価で趣味の良い品だが、添えられたカードの文面は、完璧に整っていて、同時にどこか他人行儀だ。
(義務で贈っているって感じね)
その原因が、自分にあることもわかっている。
料理が少しでも口に合わなければ皿ごと下げさせ、厨房設備の総入れ替えを命じた。埃が舞えば掃除やり直し。雨の日に庭がぬかるむのが嫌で、通路の敷石を全部張り替えさせた。
使用人たちは陰で言う。『本当にわがままなお嬢様だ』『王太子殿下もさぞご苦労なことだろう』
(……うん。わがままだったのは認める)
だがゲームの通りに進めば、そのわがままの行き着く先は断頭台だ。未来を知っていて黙って首を差し出す趣味はない。
(じゃあ――どうする?)
私は、前世の記憶を総ざらいし始めた。
物語の本編は、王立学園への入学から始まる。そこでヒロインが出会いと試練を重ねる中、恋を爆速で進めてしまう仕掛けがひとつあった。
(学園売店の、“不思議な小物”コーナー)
可愛い香水、缶入りのキャンディ、特別調合の茶葉、レースのハンカチ。
ゲーム内では「身につけると好感度アップ!」な便利アイテムで、ヒロインが使うたび攻略対象の誰かとの距離が一気に縮まった。
(あれがあるから、ヒロインは一瞬で“皆に愛される存在”になる。
……でもその分悪役の私は浮き上がって、最後には断罪――)
ならば――。
「恋が始まらなければ、断頭台イベントも起きない、ってことよね?」
自分の声が、静かな寝室に落ちる。
「好感度をぶっ飛ばすチートアイテムさえなければ、ヒロインと攻略対象たちの距離はもっとゆっくりになるはず。
その間に、私の評判を多少なりともマシにしておけば――」
断頭台ルートから、そっと抜けられるかもしれない。
さらに、欲深い考えも浮かんでくる。
「……それに、中身を解析して、同じようなものを自分で作れれば儲かるわよね」
「恋のおまじない」はいつの世界でも需要がある。前世の私も、『ひと吹きでモテモテ』なんて香水をこっそり買ったことがあるくらいだ。仕組みさえわかれば、それっぽい品を作るくらいどうということはない。
「ヒロインには売らなければいい。
自分用と、ごく一部の相手にだけ売る。
“恋のおまじない商品”……きっと儲かるわ…!」
悪役令嬢らしい発想に、自分で呆れつつも、同時に少しだけ楽しくなってくる。
断頭台を避けたい。
ついでに、儲けたい。
そして、できれば婚約者との関係も、今よりはましなものにしたい。
「よし。まずは売店の品を全部押さえましょうか」
*****
王立学園の売店は、まだ正式開店前の準備の真っ最中だった。
制服や教科書を並べる棚の奥、布をかけられたガラスケースがいくつも置かれている。
近づいて布の端をめくると、例の香水や菓子、茶葉とハンカチが、美しく並べられていた。
(うわ、絵面が懐かしい……。CGそのまんま)
私は侍女を従え、レジカウンターへと歩み出る。
「ごきげんよう。レンフォード公爵家のアリセリアよ」
「こ、これはご令嬢!」
中年の店主が慌てて頭を下げた。
まだ準備中とはいえ、王家と深い付き合いのある公爵家の娘が突然来れば、驚きもするだろう。
「奥のガラスケースに並んでいた香水と菓子と茶葉、それからハンカチ。
今ここにある分、すべて譲っていただけるかしら」
「ぜ、全部でございますか!?」
「ええ。倉庫にある分ももちろん含めて。今後もまとめて買い取るつもりだから、契約書は後ほど父に送って」
「ご、ご令嬢、ですがこの品は学園の生徒たち皆さまのために――」
「わたしも学園の生徒よ?」
さらりと言えば、店主は青ざめる。
「それとも、公爵家の娘が欲しいと言っている品を、売らないつもり?」
「い、いえっ、そんな滅相もない!」
周囲からひそひそ声が上がった。
『あれが噂の公爵令嬢』『準備中の新作を全部?』『非売品まで自分の物にするなんて』
(ええ、その通り。非売品すら欲しがる、わがまま娘)
自覚はある。だがここで遠慮して断頭台行きになるつもりはない。
店主は逡巡ののち、深く頭を下げた。
「……承知いたしました。すぐに箱をご用意いたします」
「急がないわ。開校までにはまだ余裕があるもの」
侍女たちが品々を箱に収めていく。
その様子を眺めながら、私は心の中で指を折った。
(これで、ヒロインのチートはひとまず封じた。
あとは中身を調べて、量産用のおまじないアイテムに仕立て直すだけ)
*****
レンフォード公爵家の魔術研究棟は、いつも薬品と魔力の匂いがする。
私は山と積まれた箱を運び込ませ、古参の宮廷魔術師でもあるクラウスを呼んだ。
「これはまた……壮観ですな、お嬢様」
「学園で売る予定の品らしいのだけれど、品質が気になって。念のため調べておいてほしいの」
「品質、でございますか」
「この私が通う学園でしょう? そこで扱う品がどんなものかくらい、目を通しておきたいの」
さらりとそれらしいことを言う。
本音は「チートアイテムの仕組みを知りたい」だなんて、口が裂けても言えない。
「香りや味の元になっている原料や魔力の流れを調べて。学園で扱うにふさわしい品かどうか確認してちょうだい」
「……つまり、“お嬢様が気になったから調べろ”ということですな」
「話が早くて助かるわ」
クラウスは、はぁ、と深いため息をついた。
「承知しました。簡易検査から始めましょう。何もなければそれでよし、ということで」
「ええ。よろしくお願いね」
私は頷いて研究棟を後にした。
(チートアイテムの仕組みがわかったら儲けもの、くらいの気持ちよね)
しかし、その軽い気持ちは粉々に砕かれることになる。
数日後。研究棟から「至急来られたし」という伝言が届いた。
扉を開けた瞬間、嫌な空気が肌にまとわりつく。
クラウスも研究員たちも、みんな妙に真顔だ。
「……何か爆発でもしたの?」
「爆発の方が、まだましだったかもしれませぬな」
クラウスが、顔を引きつらせた笑いで報告書を差し出してくる。
「まずはこちらをご覧ください」
言われるまま紙を取り上げ、目を走らせる。
数行読んだところで、思考が止まった。
『対象から、魅了系禁呪を希釈した魔導薬物の成分を検出。
嗅覚・味覚を介した感情誘導の危険あり。
長期使用時の依存性および精神汚染の可能性が高く、王都条例および王国法に照らし違法――』
「…………は?」
間抜けな声が出た。
「禁呪……?違法……?」
「はい。解析の結果、違法薬物が紛れ込んでいることが判明しました」
クラウスの口調は淡々としているが、手元がわずかに震えている。
「香りを嗅いだり菓子を口にした者の感情を、特定の対象へ強制的に向けさせる。好意を誘導する禁薬ですな」
「……なにそれ。本気で言ってる?」
「残念ながら、本気でございます」
研究員のひとりが、青ざめた顔で口を挟んだ。
「長期間使えば、特定人物への異常な執着や依存が出る可能性が高いかと。
王都では、過去にこれに似た薬物が裏市場で出回り、大問題になった記録があります」
(ちょっと待って。ゲームの中では“甘いイベントが起きる便利アイテム☆”くらいのノリだったのに?)
前世のプレイヤーとしての記憶と、目の前の現実とのギャップに、頭がクラクラする。
「これ、学園で売る予定の品だったのよね」
「はい。まだ正式販売前で、在庫は学園と、先ほどお嬢様が買われた分のみ。
学園側も、ここまで“悪質”なものだとは気づいておりませんでした」
クラウスは、深く息を吐いた。
「お嬢様がすべて買い取り、解析に回さなければ――開校と同時に、新入生たちの手に渡っていたでしょうな」
「…………」
私は、黙って報告書を見下ろした。
“中身を知って、自分で似たものを作って儲ける”。
そんな黒い打算から始めた買い占めが、結果として違法薬物の流通を止めたことになる。
もちろん、そんな裏事情を知るのは私だけだ。
クラウスたちに見えているのは、「開校前に不審な品を見抜いて潰した公爵令嬢」という図だろう。
案の定、別の研究員がぽつりと言った。
「そういえば、以前お嬢様が“料理の臭いが気に入らない”と仰って設備を総入れ替えさせたとき、あれ以降、食中毒がぱったり止まったとか」
「中庭の敷石もですな。雨の日にぬかるむのが嫌という理由で石を変えさせたら、転倒による怪我が激減したそうで」
「今回もそうですし……」
ざわ、と視線が私に集まる。
「もしや、これらもすべて――お嬢様の“先見の明”によるものなのでは……?」
「学園に危険な品が出回る前に買い占め、解析を命じるなど、普通は思いつきませんぞ」
「いや、いやいやいや」
思わず両手を振りたくなった。
けれど、ここで「ヒロインのチートを潰したくて」「儲けたくて」なんて本音をぶちまけるわけにもいかない。
私は、なんとか表情を崩さないように頷いた。
「……結果として皆の役に立てたのなら、それでいいわ。
正式な報告書をまとめて、学園と王宮に送ってちょうだい。
仕入れ元の商会の調査も、父と相談して進めることになるでしょうね」
「はっ!」
研究員たちが一斉に頭を下げる。
その目には明らかに、「ただのわがまま娘」ではなくなった何かを見る色が混じっていた。
(……いや、わがままはわがままなんだけど)
心の中でだけ、こっそり突っ込む。
どう解釈されようと、やったことは変わらない。であれば、その誤解が断頭台から遠ざけてくれるのなら、それはそれで都合がいい。
*****
違法薬物騒動は、学園が正式に開校するより前に、内部で片づけられた。
売店は、問題の品を仕入れていた商会と契約を打ち切り、大慌てで別の品を用意しているらしい。
校長は青ざめた顔で我が家に頭を下げに来て、「レンフォード嬢の警戒心とご配慮に、心より感謝する」とくどくど礼を述べていった。
おかげで、入学後の私に向けられる視線は、少し複雑になった。
『噂通りわがままで怖そうだけど……』『学園を危険から救ったらしい』『頭がいい人なんだって』
(いや、わがままなのは否定しないんだけど)
そんな視線を受け流しながら、数日が過ぎた昼休み。
私は、中庭の脇を歩いていて、聞き覚えのあるセリフに足を止めた。
「ねえ、庶民のくせに随分と図々しいのね」
「そうよ。王太子殿下に挨拶に行くだなんて、身の程知らずもいいところだわ」
声のする方を見ると、数人の令嬢がひとりの少女を囲んでいた。
柔らかな栗色の三つ編み、大きな瞳。
前世で何度も見た、ヒロイン――エリーヌ・ハーティだ。
(来た、中庭いじめイベント……)
ゲームでは、ここで「一番好感度の高い攻略対象」が登場し、ヒロインを助ける。
その条件に、売店アイテムの使用数が関わっていたのを、私は覚えている。
だが今、売店にはあの品はない。
好感度を押し上げる補助もない。
つまり、彼女に肩入れするほどの好感度を持った攻略対象は、まだ存在しない可能性が高い。
輪の中心で、エリーヌが震える声で言う。
「わ、わたしはただ……入学のご挨拶を……」
「殿下のお手を煩わせるなんて、身の程知らずもいいところよ」
令嬢のひとりが彼女の肩を小突き、エリーヌはよろめく。周囲の生徒たちは見て見ぬふりだ。
(……これって、アイテム買い占めちゃった私のせいよね………あー、もう)
私は小さくため息をつき、前に出た。
「そこで何をしているの?」
わざとヒールの音を響かせて歩み寄ると、令嬢たちが一斉に振り向いた。
「ア、アリセリア様……!」
露骨な緊張と警戒。その中に、「学園を救った公爵令嬢」への畏れも混じっている。
「ごきげんよう。
昼休みに輪になって――随分と楽しそうね。……真ん中の方が、あまり楽しそうには見えないけれど?」
私はエリーヌを一瞥し、それから令嬢たちに視線を戻した。
「い、いえ、ただ少し、この子に礼儀というものを――」
「礼儀なら教師が教えるわ。生徒同士に課せられているのは、互いを引き上げ合うことでしょう? 一人を囲んで溜飲を下げることは、少なくとも高位貴族の嗜みではないはずよ」
静かに告げると、令嬢たちの顔がかっと赤くなる。
「そ、それは……」
「ここは王立学園。
どの家の名を背負っていても、ここにいるあいだは同じ生徒。
“あんなことをしていたらしい”という噂が広まるのが、どれほど家の恥になるかくらい――想像はできるわよね?」
そこで、はっ、とした顔が幾つも並んだ。
校長が先日「一人一人の行動が家の名を汚すこともある」と演説したばかりだ。
今、私がしているのは、その延長線上の話に過ぎない。
「い、行きましょう!」
誰かが叫び、全員が逃げるように去っていく。
中庭に残されたのは、エリーヌと私だけ。
「……怪我は?」
私は声の調子を変え、少し柔らかく尋ねる。
エリーヌは驚いたように目を瞬かせ、それから慌てて頭を下げた。
「ア、アリセリア様……助けてくださって、ありがとうございます……!」
「たまたま通りかかっただけよ。
見て見ぬふりをするには、あまりに見苦しい光景だっただけ」
照れくさくて、少しひねた言い方になる。
エリーヌはほっと息をつき、弱々しく微笑んだ。
「わたし、どうしたらいいのか全然わからなくて……。
アリセリア様みたいに、うまく言い返せたら良かったのに」
「悔しいなら、ちゃんと勉強して自分を磨きなさい。
“奨学生だから”と見下されるのが嫌なら、“奨学生だからこそ”と言わせてやればいいのよ」
「……“奨学生だからこそ”」
「そう。力をつけて堂々としていれば、さっきみたいな人たちの方が居心地が悪くなるわ」
少し大げさに顎を上げて見せると、エリーヌがふっと笑った。
「アリセリア様って……噂と違います」
「ふふ、噂も半分くらいは本当かもしれないわよ?」
軽口を交わした、そのときだった。
「アリセリア?」
よく通る低い声が、中庭に響いた。
(あ)
私はゆっくり振り向く。
そこには、陽光を浴びた金髪と、澄んだ青い瞳を持つ青年――王太子レオンハルトが立っていた。
まずい。もしかしてすでに王太子の好感度が上がっていて、助けに登場するはずだった……とか?
だとしたら、私はとんだ邪魔をしてしまったことになる。
「ここで、何があった?」
視線が、私とエリーヌの間を行き来する。
私はドレスの裾をつまみ、優雅に礼をしてから答えた。
「少々、言葉の行き過ぎたやり取りがあったようですわ。
行き違いが大きくなる前に、止めさせていただきました」
「言葉の行き過ぎたやり取り、か」
殿下は小さく繰り返し、それからエリーヌに視線を向ける。
「君は? 怪我や不快な思いをしていないか」
「は、はいっ! あの、その……アリセリア様が助けてくださったんです!」
エリーヌが慌てて頭を下げる。
レオンハルトの表情が、ほんの少しだけ揺れた。
「……アリセリアが?」
「殿下のご負担が増えるのも面倒ですもの。
小さな火種は、早めに水をかけておいた方がよろしいでしょう?」
冗談めかしながらも、本心の一部ではあった。
違法薬物の件で、私は「厄介ごとを早めに潰した公爵令嬢」として認識されつつある。
レオンハルトはふっと息を吐き出した。
「……先日、学園長から話を聞いた。
危険な品の納品に疑問を持ち、すべて買い上げて解析させたと」
「たまたま気になっただけよ。
気になるものを放っておけないのは、私の悪癖でしょう?」
「悪癖、か」
殿下は、少しだけ目を細めた。
「その“悪癖”のおかげで、学園は大事になる前に防げた。
……僕は、君のことを少し、誤解していたのかもしれない」
胸の奥が、くすぐったく跳ねる。
「誤解、ですか?」
「君は、自分のことしか考えないわがままな令嬢だと。
噂の通りだろうと決めつけて、深く知ろうともしてこなかった」
「殿下、それ、自分で仰ると結構失礼ですわよ」
「だからこそ、訂正しなければならないと思っている。
……もしよければ、今度、ゆっくり茶でもどうだろうか。
婚約者として、君とちゃんと話をしてみたい」
「まあ」
思わず声が漏れる。
本来ならここで彼はヒロインを助け、特別イベントが始まるはずだった。だが今、好感度はどうやら悪役令嬢側に傾いている。
(世界のシナリオ、思ったより柔軟ね……)
心の中で肩をすくめつつ、私は微笑みを整えた。
「殿下がそうおっしゃるのであれば、喜んで。
お茶の席でよろしければ、いつでもお供いたしますわ」
「楽しみにしている」
レオンハルトは穏やかに笑い、エリーヌにも「困ったことがあれば遠慮なく相談するように」と声をかけてから去っていった。
彼の背中を見送りながら、わたしは思う。
(好感度アイテムは消えた。シナリオも少しずつずれ始めている)
けれど今のところ、そのずれ方は――悪くない。
*****
数日後、王城のティーサロンで「改めて」お茶会が開かれた。
しばらくは王城や学園の話題でお茶を濁していたが、やがてレオンハルトが真剣な顔になる。
「アリセリア。……私は君に謝らなければならない」
「まあ、何についてでしょう?」
「これまで、世間の噂をそのまま信じて君から距離を取っていた。わがままで自己中心的で、他人を傷つけても平気な人間だと決めつけていた」
「…………」
「婚約者なのに、知ろうとしなかった。
君の言葉や行動の裏に、何があるのか考えようとしなかった。」
彼は少しだけ目線を落とし、苦笑する。
「厨房の設備を変えさせた件も、中庭の舗装も。
あれらがなければ、今も事故や病が続いていただろうと、侍従長が言っていた」
「……それは、私が自分の快適さを優先した結果でしかありませんわ」
「それでも、だ」
レオンハルトは静かに首を振った。
「自分の感覚に正直で、疑問をそのままにしておけない。
君のそういうところは――少なくとも僕には、羨ましくもある」
「殿下に羨ましがられるほど立派な人間ではありませんわよ?」
「立派かどうかは、結果が決めるさ」
ふっと笑って、彼は続けた。
「噂だけで判断して、君とまともに向き合おうとしなかったことを謝りたい。
……すまなかった」
私は、少しだけ視線をそらし、それから正面に戻した。
「謝罪は、受け取っておきますわ。私にも至らないところは山ほどありますし」
「至らないところ?」
「わがままだし、自分の機嫌を最優先にするし、人に合わせるのは得意じゃない。
でも――どうせわがままを言うなら、ついでに周りにも良いことが起きたらいいな、と思うようにはなりましたわ」
それは、前世で断頭台エンドを見てしまった私だけが知っている、“ほんの少しの変化”だ。
レオンハルトはしばし私を見つめ、それから穏やかに笑う。
「君は、本当に面白い人だな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
そんなやりとりを重ねるうちに、少しずつ距離が縮まっていく。
最初は義務のようだった贈り物にも、だんだんとレオンハルト自身の好みや気遣いがにじむようになった。
(ゲームのシナリオは壊れ始めている。
でも、その先を選べるのは――もうプレイヤーじゃなくて、今ここで生きている私たちだ)
そしてシナリオから外れたヒロイン・エリーヌはといえば――
違うルートの幸せを、ちゃんと掴んだ。
真面目で融通が利かなかったわたしの兄。
ゲームでは堅物クールな眼鏡担当の攻略対象だった彼と、エリーヌは驚くほど相性が良かったらしい。
*****
数年後。
教会の前でブーケを抱えて笑うエリーヌの隣で、兄が照れくさそうに立っていた。
「アリセリアお姉様!」
式を終えたエリーヌが駆け寄ってきて、わたしの手を握る。
「本当に……本当にありがとうございます。
あの日、助けてくださらなかったら、きっと今のわたしはいませんでした」
「それは少し大げさじゃないかしら」
「いえ。……これで、アリセリアお姉様と本当の家族になれましたわ」
きらきらした目で言われて、思わず目をそらす。
(……「〇〇様と本当の家族になれましたわ」って、そのセリフ、攻略対象に向けるやつじゃない?)
でも、嫌な気はしない。
わたしは照れ隠しに咳払いをしてから、ぎこちなく微笑んだ。
「これからも、兄をよろしくね。堅物メガネで大変なこともあるだろうけど」
「はいっ!」
隣でレオンハルト――いえ、今は気心の知れた「レオン」が、小さく笑う。
「君の“わがまま”のおかげで、皆、いい方へ転がったな」
「結果オーライってやつね」
「これからもほどほどのわがままなら歓迎しよう」
「ほどほど、って言葉は聞こえなかったことにしておくわ」
わたしたちは顔を見合わせて笑った。
断頭台エンドに向かっていたはずの悪役令嬢は、
今こうして、大切な人たちと笑い合っている。
(世界のシナリオがどう書かれていようと、エンディングを選ぶのは、結局わたしたち自身なんだ)
好感度アイテムも、強制イベントも、もうない。
あるのは、少しだけ賢くなったわがままと、それに付き合ってくれる人たちと――自分の足で選んだ、今この瞬間だけ。
それなら、この世界の結末はきっと、前世のゲームよりもずっとハッピーだと、私は胸を張って言える。
~fin~
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