好敵
まず水道が止まった。電気も止まった。ガスも止まった。
さあどうしよう。
水が一番でかい。水が飲めないと人は3日で死ぬ。
沢山の人がリタイアして二週間が過ぎた。その間はあっという間に時間が過ぎていく。皆が生き残るのに必死で回りを気遣う余裕も無かった。ずいぶんと寂しくなった町に、動きがあったときはそれなりに嬉しかった。
生き残った人達が瓦礫や車両を片付け始めた。皆はお腹をすかせ、お通夜みたいな顔で作業をしていたけれど、なにかやっている方が気が紛れた。ある女性にどこか怪我してない?と聞かれたが、大丈夫と答えた。もし、怪我して足の裏の皮が剥がれたと言ったら病院につれていってくれたのだろうか?病院は小児科のあるところは全滅だった。
自衛隊はまだ来なかった。恐らくこの災害は日本全国で発生して、まだ収束していない。古い無線機から自衛隊の声を聞く。物資は十分にあるとのこと。子供のように泣いた。
それと、ドーナツを大量に入手した。で、死ぬほど食べた。殺風景な車の荷台に詰め込まれたドーナツは、元々おもちゃだったのだろうけれど、お腹が空きすぎてどうでも良くなった。味は美味しかったと追記しておこう。
あの日、フードトラックにドーナツのおもちゃを詰め込んで遊んでいた子供はどうやらここにはいないようだった。
車の鍵を回してありがたく車ごといただく。エンストを3回経験した。
その後食べ物のない被災者立ちにドーナツを配って歩いた。
僕の行動は評価されるべきであり、石を投げられるなど思いもしないだろう?投げてきた人は、おもちゃだったものを食べることを嫌がったのだった。
自分の命と、ドーナツを食べることを天秤にかけて食べないことを選択したらしい。できることならば石を投げずに一人でどこかに行ってほしい。自分の信念を人に押し付けるのはなにか犯罪ではないのだろうか?
「どうせなら、ステーキの屋台のおもちゃでもあれば良かったのに」
肉が特に食べたい、と思うのだが、残念なことに食事系のおもちゃは人気がない。全然見かけなかった。子供の誤飲を防ぐためだろうか?生存者が一人、手に持った器を差し出す。
「フルーツも食べたら?」
「僕、フルーツは新鮮なうちに食べたい派なんだ」
選り好みしてらんないわよ、と生存者に呆れられる。町の方に目をやると、突発的におもちゃが本物になったらしく、地響きを上げて潜水艦が横たわるところだった。
ついでに、自分の知識の蓋が開いて、潜水艦の耐圧構造に考えが及んだ。家としては、かなり上等な部類になる。
あまたい、おやつのような食事を終えて僕は潜水艦に歩み寄る。歩いてべきか、走っていくべきか、本物っぽいそれにどんなアプローチをすれば良いかもわからず、知るためのインターネットもない。
しかし時間はたっぷりある。
幸いにも技能検定は受講済みだったのでユンボを駆使して潜水艦を正しい姿勢に落ち着けた。
艦橋から中に入るハッチを回すと気持ちで手が急いた。
このとき僕は考えもしなかった。
おもちゃが本物になることを受け入れていた。そういうものだと思った。年を取って当たり前に背が伸びるみたいに、当たり前のこと。昔好きだったおもちゃを思い出した。
黄色と緑のカラーリング、ゴツゴツとした体に真っ白な牙。足には鎌みたいな爪があって、毛は生えていない。
おもちゃが本物になるとき、音がする。なんの音かと聞かれると難しいのだが、なにか聞き覚えのある音だ。
背中の汗線というものが一斉に開いて体臭が変わるのを感じた。
夏でもないのに沢山汗をかいて、その存在をなんとか視認する。
それが視界の端に、距離をつめてくる。僕はそれを見ない。
それは、まるで人形のようだと思った。噛みつくこともせず、ただ立ってギョロリとしたその目で空を見ていた。
本物じゃなければ良かった。
その手の、巨大なカギ爪がどうあっても現実なようでピクピクと動いた。
なぜだか話しかけようと思った。人間は不思議だ。本当に怖いとバカみたいな行動をする。開いた口は今さら閉じるつもりもないようだった。
「こんちは」
その大きな顔がこちらを見る。
黄色い、ガラス玉のような目を、膜が覆って瞬きをする。肌は溶岩のような肉質に覆われ、鎧のようだった。全体的に思ったよりも大きい印象だった。
そして何よりも、口に並んだノコギリのような歯がギラギラと輝いている。
あっ死ぬんだな、という気持ちと、カッコいいという気持ちがどういうわけか共存した。
僕は昔同じおもちゃを持っていた。
これで、人間が生き残る可能性はぐんと下がったわけである。
「グルルルルル」
ほらやっぱりそうだ。言葉は通じない。その生き物の名前をヴェロキラプトルという。