第7話 灼獄ノ翼
新天地を目指す俺たちの上から、雪の結晶が降り注ぐ。
息が白く染まり、右を見ても、左を見ても、見慣れない白景色が一面に広がっている。
北国の冬季は、温暖な故郷と違って過ごしづらい気候をしているらしい。
体温調節の魔法を利かせていなければ、旅立ちから装備を変えずに国境を越えることは出来なかった。
俺たちの現在地は、大陸北側に位置する国――“ウルス双国”。
その領土の南端にある――“エルテリア”という町だ。
ひたすら北上していただけとあって、俺たち自身に大きな変化はない。
エルデファルドの目が届く勢力圏からは、とりあえず脱した。現状はこんなところか。
これが約二週間の旅路の成果だ。
「ん、うまうまっ!」
ちなみに変化ではなく、重要な気付きという意味なら、一つ重大な要素があった。
「あー、また口の周りがベタベタじゃない」
「んぅー」
小さな神獣種の食欲は無限大。
エルテリア到着後、現地で少し早い夕食を取っているが、小さな体の前に積み上がった皿の山が全てを物語っている。
「どうやったらその量が入るんだ? 見てるこっちが苦しくなりそうだ」
「えいようほきゅう!」
「店主に悪い。せめて旨いと言ってやれ」
「うまい!」
「……素直でよろしい」
当初予定していなかった同行者。
物理法則を無視するレベルの食欲。
“暴食なる三頭獣”とはよく言ったもんだが、既に俺のお財布事情は深刻なことになり始めていた。
限界までを迎えるまで、残り二、三日。
正直な話、早急にそこそこの収入を得ておかないとヤバい状況だった。
「ほら、口の中に物を入れたまま喋らない! あっちこっち飛んでるでしょ?」
「むー!」
それと甲斐甲斐しくケルベロスの世話を焼いているフェニックスだが、故郷を発ってからは、人型のまま出ずっぱりになってもらっている。
理由は一つ。経験のなさだ。
何の経験かと言われれば、主に子育て。
ケルベロスにとっては、見るもの全てが珍しいのか、何かを見つければ一度は全力ダッシュ。ちょっとでも目を離せば、大惨事になりかねない。
食事だって、今でこそ下手くそなりにスプーンで料理をすくっているが、最初は手掴みどころか顔面から一直線だったし、金も払わず屋台の食べ物を食べかけたことも一度や二度じゃない。
フェニックスがいてくれなかったら、どうなっていたか。
想像するだけで冷や汗が止まらない。
それに比べれば、お姉さん役を召喚しっぱなしで魔力が垂れ流しになるとしても安いもんだ。必要経費と割り切るしかない。
「おみやげ! デザート! ぼうけんのおみせ! キラキラのおみせ!」
そんなこんなで会計を済ませ、レストランを出た直後、ケルベロスはいつの間にか定位置になった俺とフェニックスの間に収まり、片方ずつ手を繋ぎながら着いたばかりの町に目を輝かせている。
こうでもしないとすぐ迷子になるとはいえ、周囲からの生温かい視線でどうにも居心地が悪い。
「くふふ……」
隣を見ても、フェニックスは絶賛妄想状態。むしろ最大限、現状を楽しんでいるようにすら見える。
もし助けを求めても、状況が悪化するのは目に見えていた。
だがそんな居心地の悪さもすぐに消え去り、横並びになっている俺たちの団欒も思わぬ形で終わりを告げる。
「これは……?」
「穏やかじゃないみたいね。色々と……」
さっきまでの町通りから一転、周りの人々が凄い勢いで家の戸締りや店仕舞いを始める。
更に辺りを見回せば、武装した集団が血相を変えて駆けて行く姿が見て取れた。
軍や警務部隊にしては人数が少なく、装備も統一されていない。恐らく地元の冒険者だろう。
“索敵魔法”を発動して周囲の様子を探ってみれば、その原因が明らかになる。
「町の北側に、敵性魔力反応……五二体。迎撃に向かったのは、たったの一二人」
「戦力が違い過ぎるわね。数も、質も……」
「ああ、だけど……」
さっきの冒険者たちは、町に押し寄せつつあるモンスターの群れの討伐に向かったんだろう。
別にモンスターも、全種族がダンジョンを徘徊しているわけではないし、人里との距離が近づきすぎる事故も、稀だが起こることはある。
それにここも田舎町だ。地元の冒険者が自警団を兼ねて、町を守っているのも、何ら不思議じゃない――が、本当の意味での異常は別にあった。
「なんだ、この感じは? 魔力が、淀んでいる?」
この土地のモンスターについては、まだ知らないことの方が多いが、それでも旅の途中で戦ってきた連中は、今までの知識や定石が十分通用する相手だった。
でもこれは違う。
何かは分からないが、何かが明確に違っている。
禍々しい、何かが――。
「ピンチ? おたすけ?」
「さて、どうするのかしら?」
無意識に戦場を睨み付けていた俺は、二人の眼差しに射抜かれる。
一つは無垢な子供の眼差し。
もう一つは、まるで見定めるような眼差し。
どうやら行動の選択は、俺に委ねられているらしい。
メリットのない厄介事に首を突っ込むのは、馬鹿のやることだ。
次の町を目指して、今の内に逃げるのが、俺にとって最適解なのは明白だが――。
「最近はこんなのばっかだな。とはいえ、流石に見過ごすわけにはいかないか……」
「せいぎのみかた!?」
「そんなのじゃない。でも野宿は嫌だろ? ここは一宿一飯の恩義を前借りすることにしよう」
俺の答えにフェニックスは肩を竦め、ケルベロスはむじゃきに笑う。
まあ俺だって、自分の手が届く範囲で不条理に巻き込まれる人々を見捨てるほど、性根が腐ってはいない。
それに今日の宿を確保するために戦うのは、別に普通の行動のはず。
何の得にもならない人助けをする大義名分としては、こんなところか。
「この町の連中は思ったよりも、持ちそうにないな。出ずっぱりで悪いが、このまま戦場に向かう!」
「りょーかいね!」
神聖な美女が極光に包まれ、俺の背に闇炎の巨翼となって顕現する。
これもゼスフィアスの鎧剣や、トゥーガーの十字大盾と同じ現象。
俺と召喚獣の力を束ね、凝縮した戦闘形態の一つ。
――“武装変貌”、“巨翼形態”。
――“灼獄舞いし天翔煌翼”、顕現完了。
「ほのお、キラキラ! じゅばあーん!」
初めて見せる武装形態に大ハッスルしているケルベロスには、軽く苦笑が漏れるが、今はそれどころじゃない。
腕をブンブン振り回す小さな体を抱えると、闇炎の巨翼を羽撃かせて天に舞い上がる。
普通の子供ならどこかに逃がすところだが、ケルベロスの場合は目を離す方が逆に危険だ。連れていくしかない。
「舌を噛まないように掴まってろよ!」
「おー!」
目指すは、町の北門。
夜天の空を切り裂いて、一気に翔ける。