第6話 勇者の屈辱/聖女の浅ましさ【side:エルデファルド&エレナ】
◆ ◇ ◆
――ガルムディア帝国領内、“西の田舎町”。
普段は穏やかな田舎であるが、今は町中が恐怖の感情に支配されていた。
理由は明白。
つい先ほどまで、未知のモンスターに町を蹂躙されかけていた――と、大多数の人間が思っていること。
その最中、謎の烈風が吹き荒び、突如脅威が消え去ったこと。
急速に移り変わる状況は、人々の理解を超えていた。
「――一体、何が起きたってんだ!? 吹っ飛ばされて傷だらけになったと思ったら、いきなりよォ!?」
皇子のお目付け役である大男――ロット・ベアは、静寂が支配する大通りの中心で心情を吐露した。
誰もが呆然とする中、いち早く平静を取り戻したのは、彼自身も肉体と魔法の鍛錬を積んだ戦士であるからだろう。
「助かった、の……?」
次いで、もう一人のお目付け役――ベラ・フリエも呆然と声を漏らす。
尻もちをついて腰を抜かしてしまっているが、それはご愛敬だろう。
その後も、一人、また一人と、ケルベロスが消え去った方角に目を向けながら、市民たちが平静を取り戻し始める。
程なく、自分たちがどんな状況に置かれていたのかについても、自然と理解が及ぶようになっていく。
遠巻きからでも、はっきり感じられた巨大な力の激突。
それは戦いの波動。誰かが自分たちの代わりに、あの化物と戦っているということ。
しかし現状、長い沈黙が続くばかりだ。
要は決着がついた。
その上で怪物が襲って来ないということは――。
「そ、そうだ! 俺たち、助かったんだよ!」
「奇跡……奇跡が起きたのね!?」
「いや違う……俺には見えたぞ! あの化け物に挑む、騎士の姿が! 黒い剣を持った誰かが空からすっ飛んできて、奴を追っ払ってくれたんだ!」
どちらが勝ったのか。
それとも共倒れなのか。
彼らはそれを判別する術を持たない。
しかし“大魔法使い”のベラが発動した索敵術式範囲内からは、既に怪物の魔力は消えていた。
何が何だか分からずとも、危機は去った。
それだけで歓喜に打ち震えるには十分過ぎる事実だ。
「まさに九死に一生って、やつだな。しかし奴さん、もう行っちまったのか?」
「戻って来るなら、勲章物の働きだったのにね。でも顔も名前も告げずに去っていくなんて、ちょっと素敵かも!」
荒事に慣れた、お目付け役二人ですら、目の前で起こった出来事に興奮を隠し切れない。
町の人々に至っては、もうお祭り騒ぎだ。
謎の救世主に賞賛と感謝の言葉を送りながら大声を上げる。
こうなってしまえば、立場も何もない。
ロットは男衆に混じって肩を組みながら歌い始め、ベラも女性陣や子供たちと笑い合う。
死という、人間にとって平等な終着点を逃れた喜びは、何にも勝るのだ。
たった一人の怒りを除いて――。
「っ、くゥ!? こんなっ!? こ、この僕……俺、が……こんなぁっ!?」
憤激の表情を浮かべるのは、ガルムディア帝国・第一皇子――エルデファルド・レ・ガルムディア。その人であった。
しかし普段の威風堂々とした様子から打って変わり、崩れた家屋の影に隠れて蹲ったまま動かない。
いや動けないでいた。
エルデファルドという人間を一言で表すのなら、常勝不敗の完璧超人。
勉学・武道・魔法・家柄・容姿・職業。
そして携える武器は、帝国に伝わる聖剣――“滅煌聖剣”。
どこをどんな切り取り方をしても超一流中の超一流であり、時代の特異点とでも称するべき圧倒的な資質とカリスマの持ち主だ。
しかし今のエルデファルドは、暇潰しで攻撃を仕掛けた神獣種の幼獣から逃げ惑い、死の恐怖に竦んでいる。
湿って変色した股間を泥だらけのマントで隠し、家屋の影で小さくなっている姿は、まさしく敗者そのものであろう。
「…………な、ぁ……ふ、ざ…………けるなァっ………………」
初めての挫折。
初めての敗北。
恐らくそれは、誰もが味わい、打ちのめされ、自分の中で折り合いをつけていく感情だろう。
勉学、運動、魔法、恋愛、家柄、運勢。
生きていれば、自分よりも優れた誰かと出会い、どうしても勝てないことはある。
千差万別、人それぞれが違う個性を持つ以上、そんなことは当たり前のことなのだ。
だがエルデファルドは、これまでに失敗したことがない。
故に自分が誰かに劣ることも、自分の思い通りに行かないことも、それ自体が許せない。
ありえない。あってはいけない。本気でそう思っていた。
「どいつも、こいつも……ぉぉっ…………」
背にした家屋から顔だけを出し、人々の姿を覗き見る。
本来なら、彼を称えるべき民衆が、付き従うはずの護衛たちが、別の誰かを救世主だと崇めている。
|人々の中心に立つべき存在に見向きもしないどころか、その姿を探そうとすらしていない。
瓦礫の撤去など後回し。
今はとにかく宴だ――と、どんちゃん騒ぎをしながら、皆の背中が離れていく。
失禁姿を隠して動けない自分を置き去りにして――。
「ふ、ふ…………ふじゃけるなぁぁああああああああっ!!!!!!」
何だ、これは――と、エルデファルドは、言葉にならない激情をぶちまける。
「許さん! 絶対に許さない! 罪状などいくらでも作れる! 草の根を分けてでも見つけ出して、即刻首を刎ねてやる!!」
人々が去った後も尚、粉々に砕けた自称・大陸最強という誇りを必死にかき集めながら――。
一方、そんなエルデファルドの婚約者は――。
「はぅ……とうとう見つけてしまったわ! 私の! 運命の人を!」
皆が料理を持ち寄って宴の準備をしている傍ら、エレナは両頬に手を当てて熱っぽい吐息を漏らしていた。
紅潮した頬は、彼女のトキメキを如実に示している。
当然その矢印は、意図せず置き去りにしたエルデファルドに向けたものではない。
人々の窮地に颯爽と現れ、巨獣を退けた何者か。
エレナが無駄にハイスペックな動体視力を発揮し、その存在を感じ取った誰かに向けたものであった。
流麗な黒剣。
細身ながらも引き締まった肉体。
女性とは違う体付きから察するに、乱入者は間違いなく男性。
しかも歩調や雰囲気からは、若々しさが感じ取れた。
一瞬かつ暴風の如き魔力を纏った後ろ姿で判別出来たのはここまでだったが、それでも自分と、そう歳の変わらぬ少年が神獣種を撃退したことだけは事実だ。
まるで御伽噺のお姫様のような体験は、エレナの胸を見事に打ち抜いてしまっていた。
「はぁ……刺・激・的! 私を救ってくれた疾風の救世主ァ!」
最早、次期皇帝すら彼を見つけるまで、もしくは彼の顔面が醜かった時のための“キープ君一号”でしかない。
エレナの私の王子様序列は、今日を持って大きな変化を迎えていた。
「さあ、男たち……私を取り合いなさい」
しかしエレナは知らない。
神獣種すら退けた救世主の正体は、自分が散々こき下ろして追放した彼であることを――。
エレナが抱いた願いは、彼女にだけは、絶対に叶えられないものになってしまったことを――。
遊びと称して他人の努力を踏みにじり、自分こそが天上人だと悦に浸る青年。
己の才能と成り上がりに酔い、下積み時代から連れ添った相棒を最悪の形で切り捨てた少女。
既に選択は成された。
人生の岐路とでも称するべき、やり直しの効かない選択が――。
一度放った言葉を取り消すことは出来ない。壊れた信頼は、二度と元には戻らない。
故に自分の間違いを悔いても、もう遅い。
後は結果という審判が下されるのを待つのみであった。
例えそれが、自らの手で奏でた、滅亡への序曲だとしても――。
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