第3話 凶翼鎧剣《ルシフェリオン》
全身で風を切り、死地を目指して加速する最中、見覚えのある人物を視界の端に捉えてしまう。
それにしても、本当に酷い有様だ。
「もうっ! なんだってんのよ!? 誰か早く何とかして!」
「何とか、って……エレナちゃんは、Sランクなんだろ!? いつもふんぞり返ってるんだからぁ……ッ!?」
「■■、■■■■■■――――!!!!!!」
咆哮するケルベロス。
怯える住民。
エレナはその板挟みにあって、身動きが取れなくなっているらしい。
でも俺たちが、この町の最強戦力だったのは、間違いない事実だ。
事情を知らない他の住民にしてみれば、近くにエレナを見かければ、いの一番に頼るのは当然の話でしかない。どちらの反応も想定の範囲内だ。
だから本当の意味で酷い有様なのは、もう一人の方――。
「愚民風情が群がって、この僕の逃げ道を阻むなんて……後で全員処刑してやる! ほら貴様たちも、何をボーッと突っ立っているんだ!? さっさとアレを片付けてしまえ!」
「そう言われましても、現実的に無理って話ですんでねぇ!」
「泣き言をほざくんじゃあない!!」
「だって、あの怪物に魔法が通じないのは、殿下もご存じでしょう!? 今は逃げるしかありませんって!」
「いやそんなことはない! 我が名は、エルデファルド! この大地全てを統べる宿命を背負って生まれて来た男だ!」
「殿下! 聞き分けてくださいよォ!」
「ダメだ! 我が戦場に敗北はない! 俺がやれと言ったら、無理でもやるんだ!!」
市民の避難誘導もしなければ、自分で戦おうとすらしない。
それで何をやっているのかと思えば、駄々っ子のように喚き散らすだけ。ちっとも現実が見えていない。
最初から戦力に数えていなかったとはいえ、エルデファルドがここまで使い物にならないのは、正直想定外だ。
オマケ二人の胃が限界を迎えるのは、時間の問題かもな。
同情する気は一切ないが――。
「……ともかく、ケルベロスを町から引き離す」
『防衛戦となれば、それが最善だろう。心して挑めよ』
「分かってる」
何故、相棒であるはずのエレナと一緒に戦わないのか。
何故、そのエレナが見知らぬ武装集団と身を寄せ合っているのか。
フェニックスもゼスフィアスも、そんな当然の疑問を吞み込んで力を貸してくれている。
悩むのも、迷うのも後でいい。今は戦う。
召喚獣たちの信頼に報いるために――。
それだけを胸に、俺は殺戮領域へと足を踏み入れる。
「征け――ッ!」
死地崩脚。
着地の衝撃で地面を砕き、瓦礫を隆起させながら戦場に降り立つ。
しかし減速はしない。勢いのままに踏み切り、再び加速の世界に身を投じながら、力の一端を開放する
「“刃絶咬翼”――ッ!!」
“凶翼鎧剣”の刀身が分裂。
すると、鋭利な翼にも似た八基の刃が空中を自在に舞い踊る。
これは俺の魔力を推進力に換えて、自立飛行する強襲用の切断・打突武装――“刃絶咬翼”。
“凶翼鎧剣”が持つ特異性。その一端だ。
「普段こんな使い方はしないんだが……」
まずケルベロスの中央の首を一周させるように、八基の翼刃を円陣配置。
次いで、残された“凶翼鎧剣”の柄から、一筋の魔力鋼糸を伸ばし、全ての翼刃を一繋ぎにする。
これで拘束用の首輪と、つけ紐は完成だ。
更に――。
「俺は此処では戦いたくない。場所を変えるぞ」
「■、■■■―――!?」
「吹っ飛べっ!」
首輪と繋がった“凶翼鎧剣”をフルスイング。
ケルベロスを地表から引き剥がし、巨体を力任せにぶん投げる。
このまま戦えば、自分の手で故郷を地図から消す羽目にもなりかねない。
今は少しでも、町から離れなくては――。
先制攻撃の機会を自分で不意にしたのは、それが理由だ。
でも第一目標は完遂。とりあえずは十分だろう。
俺も呼び戻した全ての翼刃を元の刀剣形状に回帰させつつ、巨体を追って町を離れた。
「■■、■■■■■■■■――――!!」
そんな滞空の最中、遠心力と風圧による拘束が弱まったのか、ケルベロスは空中で大回転を決めて、だだっ広い荒野に着地する。
低い唸り声からして、一寸後に降り立った俺にちゃんと敵意を向けてくれているようで何よりだ。
これで他への興味も薄れたはず。今ここにいる俺を無視して、町に戻ることはないだろう。
実際、三首の殺戮獣は、口元から凶悪な牙を覗かせながら荒野を駆け、俺の元に迫り来ていた。
『初撃は上々か。ここから先は……』
「出たとこ勝負だ!」
刀身の分裂・射出が可能でも、“凶翼鎧剣”の剛性と切断力は、達人が鍛え上げた業物すら軽く凌駕する。
よって真価を発揮するのは、近接戦闘。
俺も大地を駆け、迫る巨体に目掛けて剣戟を奔らせる。
「■、■■■■■■――――!!!!」
剣牙迎閃。
鎧剣と巨牙が交錯し、衝撃と波動が乱れ荒ぶ。
とりあえず初撃は受け流したが、巨獣は大きさに見合わない機敏な挙動で身を翻し、何度も追撃を仕掛けて来る。
「切り返しが早いな。流石に他のモンスターとは格が違うか……」
だが見失うことはない。
その度に俺も剣戟を奔らせ、激突の度につんざくような炸裂音を轟かせていく。
とはいえ、ダンジョンの一区画で繰り広げられる魔法戦とは、根本的に規模が違う。
これが神獣種の力。
「■、■■■■―――!?」
ただ三頭に両前脚――五つの武器を使って、剣一本の俺を捉えきれないのが面白くないのか、少々攻め方が雑になってきた。
後は隙を衝けば――。
「っ、何を……?」
先に動いたのは、ケルベロス。
猛然と地を駆け、三つ首を振り回していたはずの巨体が突如遠のいていく。それは背後への大跳躍だ。
幾度も刃と牙を交え、次も近距離攻撃に備えていた分、思わぬ戦線離脱に一瞬反応が遅れてしまった。
それにいくら神獣種とはいえ、ケルベロスが典型的な地走型肉食モンスターの派生種なのは間違いない。
現にここまでの戦闘でも、地上での機動性を活かした肉弾戦以外の挙動を取ることは一切なかった。
だから俺自身も、自然とそういうモンスター相手の立ち回りをしていたのかも知れない。
これまでの経験則や固定観念が、思わぬ落とし穴になったということだろう。
「■、■■■■■■――――」
現状を理解した時、既に奴の三つの口元には、膨大な魔力が渦を巻いているのだから――。
『……魔力砲撃の類だな。しかも跳躍の瞬刻で収束を完了させたらしい』
「自分から距離を取ったのは、そういう理由か!」
内心で舌打ちが漏れる。
ケルベロスが放とうとしているのは、高位竜種の代名詞である竜の息吹と瓜二つ。
あの火砲――高純度の魔力熱線が発射されて何が起こるのかなんてことは、子供でも分かることだ。
しかし俺一人なら、今からでも回避も迎撃も間に合う。
むしろ厄介な機動力を自分から捨ててくれた分、戦いやすくなって好都合ですらあった。
奴が火砲を放った瞬間、その首を順番に断ち穿ち、大地に叩き落す。
俺の脳裏には、そこまでの道筋がはっきりとイメージ出来ていた。
でも火砲を避けて、ただ奴を倒しても意味がない。
だから、俺は――。
「■■、■■■■■■――――!!!!!!」
獄火滅却。
巨獣の口元から火砲が放たれる。三つの光帯が交わり、視界全てが魔力で埋め尽くされていく。
凄まじい圧力だ。こちらの思惑なんて、お構いなしの大火力が迫り来る。
「……準備はしておいてくれ」
『了解した』
一方、俺の手元からは、“凶翼鎧剣”が消失。在るべき世界に還っていく。
直撃にせよ、余波にせよ、回避行動を取った俺を追って首を薙ぎ払われでもしたら、辺り一面焼け野原だ。
わざわざ町を離れた意味もなくなるし、別の犠牲者も出かねない。
よって今必要なのは、敵を斬り裂くのではなく、背にした全てを護る力。
「“神魔召喚”、“強欲なる古代亀”――ッ!!」
凶鷲竜と入れ替わりで顕現させたのは、鈍色の古代亀。
万年生きている神獣種であり、ウチの中でも最年長だ。
「寝起きっぽいところ悪いが……」
「ふぉっ、老体に厳しいのぉ」
――“武装変貌”、“防衛形態”。
――“深淵纏いし起源鋼壁”、顕現完了。
「“起源鋼壁”――ッ!!」
左手をかざした先に、独立浮遊する鈍色の十字大盾を出現させる。
更に大盾を起点にして、高出力の大型魔力障壁を展開。
真正面から三重火砲と相対する。
一歩も引かない。
受け流すこともしない。
避けるでもなく、打ち消すのでもなく、獄熱の全てを受け止めるために――。
「――ッ!」
けたたましい破砕音が響き渡った。
魔力同士の激突に、空と大地が悲鳴を上げている。
しかし障壁を展開した俺は、未だ健在。
神話に記された灼熱は、周囲の地面を僅かに溶かす程度の被害しか出せなかったどころか、無害な魔力の熱波と化して四散していく。
「助かった。爺さん!」
「征くがよい。若人よ!」
――“武装変貌”、“形態解除”。
――“神獣形態”、顕現完了。
周囲の熱波が四散するよりも早く、元の姿を取り戻したトゥーガーの甲羅を蹴って大跳躍。ケルベロスとの距離を一気に詰める。
同時にトゥーガーと入れ替わりで、ゼスフィアスを再び召喚。
一呼吸の間もなく、“凶翼鎧剣”を掴み取る。
『タイミングは?』
「完璧だ!」
召喚獣の入れ替え。
武装への瞬時移行。
攻防全ての歯車が完璧に噛み合っているのが、はっきり分かる。敵が神獣種だろうと、安らぎすら覚えてしまうほどの余裕すらも実感出来る。
これが今までに築き上げた俺たちの力。その証明だろう。
職業はあくまで才能の開花であって、得た力を発揮するには、やはり努力と経験が必要になる。
つまり職業を得たからといって、技術や知識、心構えまでが自動的に身に付くわけじゃない。
現に俺よりも遥かにレアな職業を得たはずの二人は、見事な醜態を披露していた。結局、どんな力も扱う人間次第だ。
だから俺たちの力は、天から与えられた借り物なんかじゃない。
誰に何と言われても、自分の力を恥じて下を向いたりはしない。
まして奴らが持つ、名前だけご立派な職業に劣っているはずがない。
全てを証明するため、今ここに神話の怪物を軽々と凌駕しよう。
俺たちの力で――。
「征け――ッ!」
八基の翼刃を再び射出。
今度は拘束が目的ではなく、それぞれの鋒を巨獣に向けて一気に強襲させる。
変幻自在の全方位斬撃。
これが“刃絶咬翼”の真骨頂。
「■■、■■■■■――――!!!!」
対する巨獣は、見慣れないであろう武装に戸惑いながらも一迅の烈風と化して地を駆ける。
機動力に物を言わせた急反転・加減速の連続。
どうやら翼刃を振り切って、俺の懐に飛び込んで来るつもりらしい。
刀身を射出すれば、術者は無防備になる。
その瞬間を巨体と機動力を最大限活かして潰しに来られれば、俺には全身を咬み砕かれる未来しか待ち受けていない。
少ない情報でこちらの武装特性を瞬時に見極めた、最適解の戦術だと言えるだろう。
それが奴の移動ルートを絞り込むため、俺が意図的に作った隙でなければの話だが。
「接近戦は想定済みだ」
残された柄から漆黒の魔力が噴き出し、薄透明の大刃と化す。
斬撃一閃。
翼刃の間を縫ってきた巨獣の強襲を、更なる返しの反撃で相殺し、弾かれ合う衝撃を利用して距離を取る。
“刃絶咬翼”の稼働時間は、射出前に込めた魔力量に左右される。
要は戦いながらも、定期的に翼刃を大剣形状に戻して、魔力を充填する必要があるわけだ。
でも逆に言えば、八基の翼刃に魔力を充填させられる以上、残された“凶翼鎧剣”本体で魔力を操れない道理はない。
つまり残された柄から魔力を発振して、漆黒の魔力剣を生成。
無防備な俺に迫ろうとしていたケルベロスに対し、逆に零距離反撃を加えて危機を脱したということだ。
しかも弾かれ合うと同時に翼刃を全基呼び戻し、既に大剣形状に戻してある。これで魔力充填は完了し、次撃への準備も整った。
攻防一体。隙など無い。
そしてさっきゼスフィアスに伝えた準備こそ、今この瞬間を作り出すための布石だ。
「これで詰ませられたか……」
ケルベロスの最大火力は、さっきの三重火砲と見て間違いない。
その一撃を完璧に防いだ上で距離を詰めた以上、奴に残された選択肢は格闘戦だけだ。
距離を取ろうと、二度目の不意打ちは通じない。この距離であれば、三重火砲なんて撃たせはしない。
そんなことは、ケルベロスも理解してるはずだからな。
そして案の定、巨体が大地を駆け、再び迫り来るが――。
「■■、■■■■――!?」
完璧に敵の行動を読み切れば、神獣種と言えど脅威にはなり得ない。
さっきは出遅れて三重火砲を撃たれたが、今度はこっちが一手速く動いている。
「お前が暴れている理由は分からない。でも……」
“凶翼鎧剣”本体と接合している、全ての翼刃を展開。
刀身が形状を変え、その隙間から紅蓮の内部装甲が露出する。
更に展開した露出部から魔力の奔流が噴き出し、竜が息吹を吐きつけるが如く暴れ狂っていく。
翼刃の射出とは異なる形態移行。
これも“凶翼鎧剣”が持つ力の一端。
敵を斬砕する、真の攻撃形態――。
それにしても、本当に久々に感じる魔力圧だ。
だが今は、昔を――彼女といた頃を懐かしんでいる場合じゃない。
怒涛の如き魔力を束ね、漆黒の巨剣として顕現させる。
巨剣の形を成し、超高密度に圧縮した魔力の大刃。
かつての死闘の最中、召喚獣と共に到達した必殺の一閃。
「終わらせよう、これで……ッ!」
記憶の残光を振り払い、天を衝く漆黒の巨剣を奔らせる。
「“凶神ノ翼斬”――ッッ!!」
煌衝斬砕。
極大斬撃を放った瞬間、眩い奔流と衝撃が、荒野に轟いた。