第2話 召喚師、覚醒
統べてを灼き尽くす、煉獄の劫火。
猛々しく、どこか温かな闇炎――。
「……助かったよ、フェニックス」
「愛しいマスターの頼みだし、これぐらいって、言いたいところだけど、見事に我が家がぶっ壊れてるわねぇ。一体何があったのかしら?」
絶体絶命から一転、空中に佇みながら一息つく。
元相棒の手で追放され、一人きりになった俺の言葉に応えたのは、契約を交わしている“召喚獣”の一体。
――“怠惰なる不死鳥”。
危急の最中、俺を背に乗せて空に逃してくれた存在であり、頼りになる姉貴分だ。
「し、仕立てたばかりの鎧に傷が!?」
「……ひ、っ!? 何なのよォ、これぇ!?」
それからフェニックスの羽撃きで吹っ飛ばされたおかげか、他の四人も全員無事らしい。すっかり瓦礫の山と化した、俺の家から這い出る姿が見て取れる。
全身泥だらけの上、大量の擦り傷を負って散々な風貌になっていることは、言うまでもないが。
「色々あって、この家から出ていくことになった。解体する手間が省けたことにするさ」
「随分と急な話ね?」
「事情が変わったというか、どうやって説明するべきか。正直、俺も混乱して……っ!?」
「■■、■■■■■■■――――!!!!!!」
眼下で二度目の咆哮が轟く。
大地に君臨するのは、獅子や巨狼を思わせる肉食獣。
でも冒険者がダンジョンで戦う、所謂“普通のモンスター”とは次元の違う存在だ。
その怪物の姿を一言で表すとすれば、三つ頭の殺戮獣。
三頭という異質な特徴から察するに、“ケルベロス”と呼ばれる“神獣種”と見て間違いなさそうだ。
そして“神獣種”とは、その名の通り神話や伝承に記された伝説上の怪物のことを指す。
子供の頃に読んだ絵本の怪物が、いきなり目の前に現れた――とでも言えば、現状の異常さが伝わるはずだ。
「何だって、こんなクソ田舎に!?」
「意図的に転移して来たわけじゃなさそうだけど……って、下の人間の中から、見知らぬ大きな魔力を感じるわね」
「それは自称・大陸最強パーティーご一行様だ。今は戦略的撤退……いや敵前逃亡の真っ最中だな。どうせ戦力外だし、気にしなくていい」
「あら? リオスにしては、珍しく刺々しい言様ね。まあ顔中から体液を垂れ流して逃げ回ってるんだから、程度が知れるってもんよね。でも……」
「無駄にデカい魔力を垂れ流しながら逃げてるからか、ケルベロスは連中ばかりを狙ってるみたいだな。おかげで町への被害が俺の家と田畑ぐらいで済んでるのは、唯一の救いだけど……」
「何だか、変な感じよねぇ……」
一般的には知られていない話だが、神獣種は“反鏡世界”と呼ばれる別世界を住処としている。
つまり人間と神獣種の住む世界は、空間という巨大な壁で物理的に隔たれているというわけだ。
ただいくつかの例外的な条件が揃った時、異なる世界同士が繋がることもある。
まずは転移事故。
言葉の通り、何らかの事故的要因で次元の裂け目が発生し、別世界との行き来が可能になってしまう状態のことだ。
地震や噴火、そういった天災の類の一つとでも言えば、分かりやすいだろう。
次は神獣種自体が、時空間を超える能力を備えている種族の場合だが、ケルベロスは明らかにそういうタイプじゃない。
肉弾戦特化なのは、一目瞭然だ。
そして最後の要因が、“召喚師”。
自分の魔力を媒介にして、異なる境界を繋ぐ者。
でも普通の“召喚師”は、“距離”という境界を突破して、こちらの世界にいる契約相手を呼び寄せて戦うとされている。
膨大な魔力消費と引き換えに“空間”という境界を突破し、“反鏡世界”から召喚獣を呼び出す――なんて芸当が出来る術者には、今のところ会ったことがない。
その通りの手順を踏み、神獣種の一柱を召喚している俺以外の術者には――。
「……にしたって、緊急回避なら私より適任がいたでしょう? 速く飛ぶのあんまり好きじゃないんだけど?」
「余裕がなくて、咄嗟にな。下の惨状を見て、色々察してくれると嬉しい」
フェニックスを誘って近場の崖に降り立つが、地面を踏みしめてようやくの一呼吸が、盛大な溜息となって零れ落ちる。
今はフェニックスの皮肉を冗談で返す気力すらない――はずだったが。
「あら、あらあら!? 無意識に! 私を! 最初に頼っちゃう!? そんなに私のことが好きなのね!? 私もよ! 好きしゅき!!」
「ぐッ、がォっ!?」
気を抜いた瞬間、正面からの衝撃と共に視界が暗転。
俺の首からは、人体が絶対に奏でてはいけない破砕音が響き渡る。
全ては、俺の顔を抱き込んでいる美女が原因だ。
今もお構いなしで、飛び付いて来る女性に限界を訴えかけても、まるで意味を成さない。
どうにか正気を取り戻させるまでの間、天国とも地獄とも取れる時間を過ごしたのは言うまでもないだろう。
そして俺は、危うく自分を絞め殺しかけた女性へと目を向ける。
「全く、今日一番の臨死体験だったぞ。家が壊れたのなんて可愛いもんだな」
「嬉しくて、舞い上がっちゃって、つい……ね? だいじょぶ?」
「生きてるという意味では、何とか……」
漆黒が混じった紅蓮の長髪と、同色の鋭い瞳。
大きな湾曲を描く、艶めかしい肢体。
田舎町には、酷く不釣り合いな漆黒のドレス。
それらを兼ね備えるのは、神聖という言葉が相応しい絶世の美女。
勿論、この辺りをうろついていた野生のお姉さんじゃない。
紛れもなく、“神獣形態”から、“人型形態”に変化した俺の召喚獣だ。
「でもほら! さっき助けたから、貸し借りなしってことで!」
「いつもながら、調子の良い奴だな。まあ助けられたのは、事実だけど……」
非戦闘時の擬態。戦闘中の形状変化。
神獣種以外のモンスターにも、そうした特性を持つ種族が存在しているとはいえ、神獣から人型へ――人型から神獣へ――と、ここまで全く別の形態を任意に行き来するのは、常識外れの一言だろう。
だが今は、そんな見慣れた光景なんてどうでもいい。
「ん、ぎゅー!」
「あの、ちょっと離れてもらえます?」
「やーよ。次に呼ばれる時までの栄養を摂取しなくっちゃ!」
「俺のことを何だと思ってるんだ?」
当の張本人には、呆れ気味のジト目も効果無しどころか、むしろ悪びれる様子すらなく、今度は俺の左腕に抱き着いて来る。
こう見えなくても、俺だって思春期真っ只中の青少年だ。
肌色成分マシマシの美人に抱き着かれて真顔を保っていられるほど枯れてないし、もう左腕に関しては挟まれているというか、埋もれているというか。そんな状態だ。
でもこれは、場を茶化す冗談なんかじゃない。
「何があったのかは知らないけど、今は目の前のことに集中なさい」
俺を気遣い、叱咤するための――。
「話は後で……ね?」
召喚獣は奴隷じゃない。時には召喚を拒否されることもある。
だから召喚獣が応じてくれる事自体が、強い信頼の証明とされている。
そうだ。俺はまだ全てを失ってなんかいない。
一番頼れる仲間たちが、こんなにも近くにいる。
そんなことすら、見失いかけていたとはな。
「もう大丈夫そうね。じゃあ、後は自分の思う通りに頑張りなさいな」
フェニックスが微笑みながら、在るべき世界に還っていく。
俺は無駄に強張っていた肩の力を抜いてくれたことに感謝しながら、消えていく不死鳥を見送った。
一人の“召喚師”が呼び出せる召喚獣は、原則一体のみ。
フェニックスは、俺がより戦闘に特化した召喚獣を呼び出せるように、自分の意思で引っ込んでくれたわけだ。
俺の中で燻っていた感情に火を付けながら――。
「さて……」
ケルベロスは帝国臣民に脅威をもたらす敵。
次期皇帝たちが町を守って戦うのは、当然のことでしかない。
対して今の俺は、野良の冒険者擬き。
今までの功績を失い、決まった拠点もなく、誰かとパーティーを組んでいるでもなく、帰る家すらもぶっ壊れた。このまま逃げ去っても、誰にも文句は言われない。
むしろ自分の今後を考えるなら、無駄な危険を避けて、さっさと立ち去るべきだろう。
「……行くか!」
だがこの町は、俺にとっても生まれ故郷だ。
住んでいるのも、見知った人ばかり。
もし奴らへの怒りや当てつけで町の人々を見捨てたとすれば、これから先の未来――俺の心には、消えない棘が残り続ける。
だからフェニックスは背中を押してくれた。
感情任せではなく、冷静な判断を下せるように――。
俺は町の人々を護る。
この国での最後の戦いだ。
でもそのためには、敵をただ倒すだけでは意味がない。
たった一人の犠牲者すらも出さないというのなら、神獣種を圧倒する強大な力が必要だ。
護る戦いは、倒す戦いよりも遥かに難しいのだから。
故に今こそ、その力を叩き起こす。
「“神魔召喚”、“傲慢なる凶鷲竜”――ッ!!」
召喚の号砲を紡ぎ、新たな召喚獣を顕現させる。
漆黒の装甲で覆われた天空の覇者。
黄金の眼光を持つ、堂々たる竜神を――。
「早速で悪いけど、大仕事だ!」
「ふっ、心得た」
漆黒の鎧翼が羽撃き、眩い燐光が舞い散る。
瞬刻――鋭角な鎧翼の意匠を残す、黒天の大剣が俺の手に収まり、竜神の姿は忽然と消え失せた。
そうつまり、俺が手にした鎧剣は、召喚獣が武装に変化した姿。
そして俺と召喚獣との絆の証明でもある。
神獣種の膨大な魔力と権能を武装という形状に凝縮し、制御し、状況に応じて開放する。
決闘用の超高出力戦闘形態。
――“武装変貌”、“刀剣形態”。
――“凶翼鎧剣”、顕現完了。
さて、ここで死ぬならそれまで。
全てを護って切り抜けられたなら、胸を張って新天地を目指そう。
これは己で己に課した最終試験。
全く、自分の行く末を測る相手が神獣種とは、至れり尽くせりだな。
『我が力を欲するとは、中々に切羽詰まっていると見える』
「そんなところだ。何せ今回は、人命救助だからな」
俺は魔力で脚力を強化し、地面を蹴り飛ばして安全圏から一気に跳び立つ。
加速の反動で全身に凄まじい負荷がかかるが、俺にとっては、そよ風と何ら変わらない。
心に決意を、この手に剣を宿し、悲鳴と咆哮が轟く故郷へと吶喊する。