第五章 あの時の約束
第五章 あの時の約束
数分後シスターの部屋。
「なんか、ほんわかする香りやねえ」
シスターの自室のベッドの上で寛ぎながら、なつきはほえほえしていた。
「イランイランの香りです。安眠効果があると言われています」
説明するシスター。
「本当に大丈夫なの、シスター?」
園子が今日何回目かになる質問をする。
「大丈夫ですよ。きっと彼女は暗示にかかりやすい方でしょうから」
香炉を手に捧げ持つシスターはあくまでも穏やかだった。
「それはそうだけど。帰ってこない気もするのよね」
心配のせいで園子の眉根が寄る。
「では、傍で祈ってあげて下さい。静かにお願いしますね。では施術を開始します。なつきさん、あなたは……」
なつきの耳には、シスターの声が天上から聞こえてくるように思えた。
「すぅー、すぅー」
なつきは三秒もたたない間に夢の世界に誘われていた。
「いやー!!!!!」
「断固お断りです!」
なつきは周囲からの大声で目覚めた。
「?? 何で立ってるん」
いつの間にか立ち上がっている。手に持っていた旅行用の鞄が落ちる。
「あんた、何か言ってあげることはないの!?」
園子は、敵意すら向けながらもしっかりとなつきに進言する。
『うわあ、園子の胸が揺れてる。でも、小さいなあ。ああ、昔の記憶の中にいるんやね』
なつきが部屋を見渡すと、床で駄々をこねながら暴れる道代とシスターにくってかかるジェーンの姿が確認できた。
「なつきさん! 時間がありません。早く出発してください」
シスターは柄にもなく焦っているようで、子供達をなだめようと必死になっている。
『あ、そうか。そうそう、道代とジェーンがうちの出発を嫌がったんやったよね。あの時は忙しくて碌に構われへんかったけど。それで、うちはどうしたんやったっけ?』
部屋に駆けられた時計の指す時刻は七時。窓の外は暗かった。
「荷物なんていりませんね!」
ジェーンが叫ぶ。彼女はなつきが床に落とした鞄を拾って片付けようとする。
『ああ、そうか。その時約束したんや』
「うちはこのままやとダメになってまう。行かせてくれへん?」
その時のなつきは胸を張って言った。
「駄目になってもいいじゃん! これ上げるから一緒にいようよ!」
道代は、なつきに縋りつきながらおやつを差し出してくる。
「さあ、お部屋に戻って。お世話させてください」
なつきの手を取るジェーン。
「なんかうまく言われへんけど、ダメになるんはうちだけやない。多分みんなもや」
なつきは、ジェーンの手を優しく退け、道代のおやつを当人のポケットに戻した。
「そうね、ぬるま湯状態で一緒にいた所で状況は悪化するだけよね。行きなさいなつき。だけど皆に約束しなさい。ちゃんとしたシスターになって戻ってきて、ただいまの挨拶をすること!」
園子は、なおも食い下がろうとする道代とジェーンを押さえつけながら叫んだ。
シスターの私室のベッドの上、過去の追体験をしたなつきは目を覚ます。
「あの日は、多分冬やったんやな。七時でとっぷり夜になってたわ」
なつきは上半身を起こしながら言った。
「お、思い出したの? そうね、あの子達はクリスマス前で頑張って準備をしていたから見届けて欲しかったみたい」
園子は慌てたせいでずれたメガネのつるを直す。
「ごめん。それと、ただいま!」
なつきは頭を下げた後、太陽のような笑顔で挨拶をする。
「お、おかえりなさい!」
園子も頭を下げる。
「ガチャリ!」
唐突にシスターの部屋の扉が開く。
「危ないって!」
「ひゃっはああ」
「大丈夫ですか!?」
扉にもたれて部屋の中に倒れて来たのは道代、未央の2人だった。その後からジェーンが入ってくる。
「あんたら、覗いてたの!?」
怒り半分、驚き半分の表情で園子が問いただす。
「園子お姉、あんなに思いつめた表情で部屋を出ていくんだもん。そりゃ、心配になるよ!」
不格好に立ち上がりながら答える道代。
「私はドントディスターヴって言いましたよね!」
道代に指を立てながら怒りを向けるジェーン。
「ひゃっはああ」
勢いよく立ち上がる未央。
「みんな!」
部屋にいる者達は、叫ぶなつきに注目する。
「ただいま。未央ちゃんは、はじめまして」
なつきが朗らかに微笑むと、未央は床にぺたんと座り込む。
「あうー。いややあ」
未央の純粋な瞳から涙を流している姿にひゃっはーの押し出し感はなかった。
「!?! なんで、泣くん?」
未央のそばに駆け寄るなつき。
「だって、恥ずかしいんやもん……」
消え入りそうな声で未央は言った。
「未央は芸人の子でね、仮装してる時だけはなり切る事ができるのよ。今はスイッチが切れちゃった状態ね」
見かねた園子が説明をする。
「そっかオモロイ子やな」
なつきは未央の頭を撫でながら微笑みかけると、未央は顔をあげて笑みを返した。
「さて、問題も解決したし。神の国も解散やな!」
未央の頭を撫でながら白い歯を見せてなつきは笑う。
「冗談は、その鳥頭だけにしておいてくれる?」
園子はなつきの能天気な発言をばっさり切り捨てた。
「ちゃんと思い出したやん!」
なつきは園子にくってかかった。
「それが違うんじゃん、お姉ちゃん」
ニタニタと笑いながら道代は言った。
「ちゃんと思い出したやん!」
なつきは譲らない。
「ヒントを差し上げましょう、プロミスです」
ジェーンが物静かに進言する。
「約束って意味だからね」
面白くなさそうに補足を入れる園子。
「社名やないんやねえ。約束、やくそく」
頭を捻りながら思い出そうとするなつき。
「ちょっと、みんな。いじめはあかんで。そんなんオモロない」
見かねた未央が口を出す。
「これは、虐めというより弄りに近いものだけどね。未央ちゃん、なつきお姉ちゃんは物を覚えるのが苦手だから、ネタになっちゃうのよ」
園子は指を立てて説明した。
「あかん、思い出されへん……」
屈みこんで頭を抱えるなつき。
「ほんまに覚えてへんの?」
なつきの顔を覗き込む未央。
「未央ちゃん。なつき姉ちゃんは、毎日のお菓子の時間も覚えてられないぐらいの忘れん坊なんだよ!」
どや顔で語る道代。
「道代はそれぐらいしかメモリーできませんけれどね」
茶々をいれるジェーン。
「でも、本気で悩んでるように見えるんやけど?」
屈みこんでいるなつきの頭を優しく撫でる未央。
「えっと、シスターになって皆にただいまを言うことやろ? うち、なんか間違った事言ってる?」
目の前の未央にハグしながら、なつきは園子の方に強い目線を向けた。
「そこまで覚えていたら自明じゃないの?」
呆れたようにため息をつく園子。
「なつきは、ちゃんとしたシスターになってませんね」
ジェーンは肩をすくめながら言った。
「ちゃんとしたシスターになって帰って来るのも約束だよ!」
顔を傾けながらドヤっと説明する道代。
「なんやの? そんな細かいこと! 今からちゃんとしたシスターになるし、皆も温かく見守ってくれるのが人情やないの?」
口をへの字にしてイヤイヤするなつき。
「論破ね。でも、あんたの事を無視していたのだけどそれは解除しましょう。皆それでいいわね」
園子の言葉に道代たちは賛成した。
「えっと、神の国は?」
なつきは、揉み手をしながら園子に問いかける。
「そんな商人みたいな懐柔の仕方されてもね。私達は、あんたに少しでも早くちゃんとしたシスターになって欲しいと思ってるのよ」
園子は、なつきの態度に対して怪訝な表情をする。
「逆やろ!」
キレてツッコミを入れてしまうなつき。
「は?」
目を見開いて声を荒らげる園子。
「そんな訳の分からへん状態が担当してる所にあって、うちが一人前と認められると思う?」
なつきは半眼になって抗議する。
「それが、解決されれば、なるんじゃない?」
園子は相手にわかりやすいように区切りながら簡潔に説明した。
「これって、自作自演なん!?」
なつきの目に欺瞞に対する怒りの炎が灯った。
「私達は、修道院に対する抗議行動の一環としてこれを行っているわ。そのままじゃやりにくいというのなら、ちょっと時間を頂戴」
礼拝堂の片隅に園子、道代、ジェーン、未央が輪になって集まり、小声で秘密の相談を始めた。