第二章 ゴッドランドクルセイダー
第二章 ゴッドランドクルセイダー
礼拝堂は園の建物とは別棟にあった。どちらかというとそちらの方が修道院本棟と言った方が正しいのだが。
落ち着いた緑色の芝生が敷き詰められた中庭を横切り、なつきは未央と一緒に礼拝堂の前に来た。
「うわあ、なつかしいなあ!」
なつきは、礼拝堂を仰ぎ見ながら感嘆の声をもらす。
「心を、強く持つんやで、お姉ちゃん」
未央は礼拝堂の扉を開きながら言った。
「ん、どうしたん?」
いきなり素に戻ったと思われる未央を前にして、少し混乱するなつき。彼女は言葉の意味を理解できなかった。
「うっ。なんでもない! 知っていようがいまいが、同じ事よぉ!」
未央は礼拝堂の扉を開け放つ。
「まあ、何やようわからへんけれど。ありがとうな」
なつきは未央に軽く頭を下げる。
「遅いですよ」
礼拝堂の中からシスターの声が聞こえてきた。
「はい、すみません。子供達が見当たらなかったんです」
急ぎ足で礼拝堂の中に進むなつき。
「じゃあな!」
未央は礼拝堂の席に横並びになって座る子供達の姿を見かけダッシュで向かう。
「未央ちゃんの言う通り、先に来てたんやね。おーいみんな、帰ってきたでえ!!」
子供達の方へと走る未央の姿を見ていると、なつきは耐えられなくなって叫んでしまった。
『ありゃ、誰も振り返れへんのやね。まあ、礼拝中やし、この子らも聞き分けのいい、ええ子に育ったということなんやろ。そう思うと、なんや感慨深いなあ』
子供達は、なつきの言葉に対して全く反応しなかった。
「お静かに! 速やかにこちらへと来なさい」
ぼけっとしているなつきに、幾分鋭くなったシスターの声がささる。
「はいっ、すみませんっ!」
なつきの体が棒でも飲み込んだかのようにまっすぐになり、駆け足でシスターの元へと急ぐ。
「時間通りには始められそうです。ではなつきさん、歌の準備を」
シスターはなつきの方を見ずに言った。
「はい!」
なつきは、シスターの指示に従い礼拝堂の片隅に置かれた足踏み式のオルガンの前に置いてある椅子に座った。
「始めて下さい」
シスターが厳かに朝の祈りの開始を宣言する。
『うう、心臓がバクバク言うてる』
踏み板に力を入れながらもなつきの心は千々に乱れていた。
『おちつけ、うち。向こうの先生も演奏は勉強よりましって誉めてくれてたやん! この場合、緊張するのが一番あかん。冷静にいくで!』
踏板によりふいごが作動し、オルガンの内部で空気が循環し始める。なつきの細いが健康的な指が鍵盤の上を滑らかに動いた。礼拝堂の内部を優しいオルガンの音色が満たしていく。
『ドキドキ、静まれえ』
演奏しながらも、なつきの心臓は高鳴るばかりだった。
「~~~♪」
そこに園子の声が重なる。続いて重なっていく、子供達の声。
『園子、ありがとう! うちの拙い演奏につきあってもろて!』
幾分か勇気づけられたなつきは、何とか朝の務めを完遂する事ができた。
朝の礼拝が終わり、なつきは礼拝堂から出ていこうとする園子達に声をかけた。
「ありがとうな、園子! ジェーンも、道代も、未央ちゃんも!」
なつきは園子に対して手を差し伸べる。
「……」
しかし園子は、なつきを無視する。
「シカトせんといて! ジェーンも道代もどうしたん?」
礼拝堂に響くなつきの声。しかしジェーンと道代はなつきをスルーして礼拝堂から出ていこうとしている。園子も彼女達の後について出ていこうとしている。
「どうしたん、みんな! なあ、未央ちゃん!」
唯一残ったのが未央だった。
「ここは世紀末だぜ! 友情とか、あの日誓った事とか、そんなのは犬の餌以下になっちまうご時世よ! 忘れろ! そんなの忘れちまって、心のままに生きるのが当たり前よ!」
舌をつき出して先をユラユラさせながら器用に吠える未央。
「忘れた……あっ試練! うちが忘れたからみんなから友情が失われた。そう言いたいんやね!」
なつきは、昨日言われた事をやっと思い出した。
「そんなの関係ねえ!」
どこかで見たポーズをとってから逃げていく未央。
「おもろい子やね。そうかあの子だけは、うちとの思い出なんかないから普通(?)に接してくれてるんや。ここはちゃんと思い出してみんな仲良くできるようにしてやらんとあかん!」
腕組みをしながら誓いを固めるなつきだった。
夜の九時。
「ふう、つかれたあ」
なつきは、シスターとしての一日の務めも終わり園の中に与えられた自室のベッドでのびていた。
「どうやっても思い出されへん。もう、うちの頭の中にはないんやろうか」
ベッドに仰向けになりながら、シスターからヒントとして渡された世紀末格闘マンガを読み漁るなつき。
「未央ちゃんはこの漫画に出てくる敵みたいな恰好をしてたな。神の国、これに関してはなんとなく記憶にあるんやけどあやふやなんよね」
マンガを読み進めていくなつき。
「あれ。これ、おかしいんとちゃうん?」
読み始めて二十分後。なつきは異変に気付いた。
「2巻があらへんのとちゃう? 何か2巻に秘密があるに違いないわ。シスターに聞いてみようか。あら、何か落ちた」
なつきが手に持っているマンガから何かメモ書きのような物が落ちた。
『なになに「2巻は神の国にあり」やって。シスターの差し金やろか。なんでこんなことをしはるんやろ? 分からんことばっかりやけど、聞いた事より見た事の方が確かや。行動に勝るものはない』
なつきはメモに目を落としながら沈思していたが、突然ニカっと笑った。
「よっしゃ! 神の国を取り戻すための聖戦や!」
ガッツポーズを決めるなつき。
「やったら、今から準備せんとあかんな! 確か、前の修道院長の趣味であれがあったか。使わせてもらわん手はないなあ。侵入経路は。いやいや、そんなん正面からに決まってる! なんせ聖戦やからなあ!」
なつきは、計画を練り始める。元々考えるのが苦手な彼女だったが、この時ばかりはノリノリだった。
「ガチャン、ガチャン!」
早朝の庭に金属音が鳴り響く。
修道院の庭を横切るのは銀の西洋甲冑に身を包んだ不審人物だった。
「うっわあ。やっぱり重たいなあ」
鎧の中から聞こえて来た声は、なつきのものだった。
「なつき?」
庭に園子の声が響き渡る。
「うん? どこやー?」
鎧では視界も狭く、首の可動範囲も狭い。なつきは園子の姿を発見する事はできなかった。
「何、馬鹿な事をやっているの? ちょっと待ってなさい!」
園子は、実際には二階の自室の窓を開け空気を入れ替えていたが窓を閉めてなつきの元へと向かった。
「なんや、ようわからへんけど、お話してくれるなら嬉しい事やね」
なつきは園子が向かっているのを感じて待つことにした。
「……それで、言い訳は?」
ネグリジェ姿で庭に出た園子は、開口一番ぴしゃりと言い放った。
「昔、同じことをやろうとして失敗したやろ?」
なつきは悪びれもなく言った。
「今やる方が洒落にならないでしょう? 普通にお巡りさんに捕まるレベルよ」
園子の指摘は冷静に行われる。
「今なあ。うち。猛烈に感動してるねん。だって昨日はお話ししようとしても無視ばっかりされてたやん」
なつきの声が小さくなっていくのは鎧に阻まれているからだけではない。
「ああ、聖戦中は口を利かない事にしてるのよ。それで? あんたの心は傷ついて鎧に覆われたってわけ? 物理的に」
園子はなつきを見て鼻で笑った。
「あのな。うちは、今園子と話しできるだけでも感謝してるんよ。あんまりうちの感動を消し去らんといて!」
腕組みをするなつき。
「だって、鎧を着て神の国に攻め入るなんて、人類の黒歴史の再現じゃない。明らかにシスターのやっていい事じゃないわ」
園子は、ケタケタと笑い出す。
「ハッ!? そ、そうやった! やっぱり脱いだ方がええかな?」
なつきは周囲を警戒しだした。
「いえ、こちらの聖戦と、そちらの聖戦。この対立構造はあの子達も受け入れると思うわ。神の国で待ってるから、ゆっくり来なさい!」
園子は、大笑いしながら園の中へと駆け出す。
「あっ。まてこらあ」
なつきは走り出そうとする。
「ふふ、ちゃんとしたゲームならそんな重装備で走れるわけないわね! 筋肉バカのあんたに、かけっこで勝った事なんてついぞないけれど。今なら勝つことができるわ!」
スピードを上げようとする園子だったが、不格好なフォームではそれ程の速力を得ることはできない。
「なんや、そんなこと気にしとったんか!」
全力で追いかけようとするなつき。しかし園子の背中はどんどん遠のいていく。
「うっさいわ、ボケ!」
園子はついに爆発して中指を立てる。
「ボケにされるだけされて、置いてかれてもうたわ。うーん。この鎧で走るのは無理があるみたいやな。動いてみて分かったけど多分間違えてつけてる所もあるみたいやし」
なつきは庭の片隅にあるベンチに向かう。
「ここは、お言葉に甘えてゆっくりさせてもらおっか!」
ベンチに腰かけたなつきは、鎧のパーツに手を伸ばした。