居合兵法咄
実戦の場における心得の話です。
稽古を実戦と心得て気持ちを慣らし、勝つよりも負けないことを考え、心神の曲尺を作ることで初めてスタート地点に立てるのでしょう。
神道無念流の根岸信五郎師が戊辰戦争で戦ったときのことで、刀法のことなど考える余裕もなく夢中で戦った後に無事に終わったことを思い出すのだ、という話がありますが、この話に通ずるものがあります。
和歌には現代語訳を付しませんでしたが、平常心、水月の位などをキーワードに雰囲気を感じてもらえればと思います。
・居合兵法についての話
昔から林崎重信翁の物語に伝わることとして、およそ立合でも居合でも必ず敵よりも早く太刀を抜こうと思ってはならない、自分の気先により敵の太刀が止まる位があるとのことである。
また、平常時から深く工夫をして形の稽古をすべきである。稽古とは実戦で勝負を決めるための前ならしであるから、よく意識して眼・耳・手・足に修練を重ね、心を整えて自分の先生から教えを深く受け止めてその口伝を聞き、大要を考えて本質を悟るべきである。
さて、立ち合うときは、たとえ三歳の赤ん坊であろうとも百歳の老人であろうとも、貴人に対するような敬意を持って応じる。それは水を満たした器のその水をこぼさないように持っていく心持ちである。また、常に他人は上手名人剛強かつ智者であり、自分は下手無力愚人であるというように思う心持ちである。
したがって、立ち合いは虎の尾を踏み、毒蛇の口に向かうような慎重さをもって臨み、しかし遅れを取ることないようにしなければならない。
さらに、一生の一大事の場所と思い、敵の前の地面を踏む自分の足元は薄氷を踏むような、手は闇夜を手探りに進むような、心は寒い夜に霜の立つ音を聞くような気持ちとなるのでなかなか思うようにいかない。立ち合いは百年の命を失う場所である。
必ず心を安静にし、山の谷間に流れる川の音も聞こえるほどに至れば、「水月の位」も自然と現れるだろう。返す返すも敵に勝とうとは思わず、ただ負けないようにと心得て、なお深く工夫するべきである。
このことは、他のよく心得がある人は知らず、居合の修行を積んだ人にとっては本質的なことである。立ち合うときは、相手の望むところを汲むものであると考えて行うことで、自分が勝つことを得るのである。これこそ心神の曲尺である。
常に勝つことばかりを思ってはならない。負けないことを強く心に念じるのである。
臨機応変に身体を動かすことは、水上の胡芦子(※瓢箪のこと)を手で押してもあちこちに動いて沈められないようなものであると昔の人も言っている。前にあると思えば後ろに現れる蜻蛉・稲妻・水の月のように姿は見えるが手には取れないものである。よく工夫すべきことである。
表裏・浮中沈・強弱・動静はすべて自分の心体が一杯・手一杯に働くときは、勝負に何か思い残すことがないようにし、運を天に任せ、自分が有利であるとして深く工夫すべきである。
武士であれば貴賤・老若・上手・下手の区別なく、いやでも軍役を免れることはできない。そのとき思い迷うことなく死地に至るように整えなければならない。
治世に乱を忘れず、兵法の心神の曲尺を心に刻んで自ら悟りを得るのである。
当流においては、十人、二十人に勝って自分一人が名を上げるようなことは有能のする仕事ではない。小男の愚か者がそれ相応に働く程度の仕事をするのである。そこを工夫しなければならない。
昔の武士で槍術・剣術を修行することなく戦場で一番槍で功名をたてる者は多い。逆に兵法を極め、免許を得ているような人であっても逃走する者があり、頼りにならない。これらを承知し、工夫していかなければならない。
平常時からよく考えて、死ぬ間際でも忘れてはいけないこととして、拍子青子色影郷移り恐れ(※詳細不明)であろう。
歌に
心有りて 茂るとなけれと 小山田に
いたつらならぬ 閑子なりけり
村雨の わきてそれとは 降らねとも
うくる草木は おのがさまざま
庭におふる ちりちり草の 露迚も
影をほそめて やとる月かな
何国も 心とまらは すみかなり
なからへはまた 本のふる里
山端に あからめするな 峯紅葉
鹿追ふ猟師 山も木も見す
帆を懸て 急く小舟に 乗らすとも
行水鳥の 故々路知るべし(※「故々路」は「こころ」と訓む)
露ことに やとれる月の 濡はせで
津由きへてのち いつち行らん
とある。これらは林崎重信公の心法を言うものである。その意味を知っておくべきものである。
山川幸雅(印)
文政十丁亥之四月
坪内長順写す
山川久蔵(印)
このとおり残さず相伝しましたので、奥書として記します。以上。
坪内清助殿
これで『神伝流秘書』は終わりです。
次は『神伝流極秘』に続きます。