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クズからの卒業

作者: くらげ

 6月某日のことだ。

 まだ夏至にもなっていないのに、へばりつくような暑さが鬱陶しく感じる。私が働いている場所は相当な築年数が経っていて、エアコンなんて文明の利器は存在しない。あるのは、足元でうるさく首を振っている扇風機だけ。今日は遂に最高気温が30℃に到達すると、出勤前に見たニュースで、女子アナだかタレント崩れだか分からない女の子が喋っていた。


 昼休みを告げるチャイムが鳴る。皆は蜘蛛の子を散らすように部屋から出ていく。さて、私も出ますか。

「今日は午後のお休み、ありがとうございます。お疲れさまでした」

「ああ、そうだったね。お疲れ」

 頭のてっぺんが怪しい上司に、軽く一礼して部屋から出る。今日、私は半日だけお休みを頂いたのだ。さっきの上司によると、なんでもこのまま働き続けると法律違反になってしまうということだった。「頼むから休んでくれ」と懇願されたのは鮮明に記憶に残っている。

 今年、初めて有給休暇というものを使った。だけど、特に何がしたいというわけでもないし、何処に行きたいというわけでもない。

 世間はウイルスを恐れている。でもそれに対して、孤独を異常に嫌がり、沈黙を良しとしない。更衣室に入っても、いつからいるのか分からない集団が数人で密になって、下らないことを話している。大方、仕事の愚痴だろう。さっさと食堂なり行って、そこで話せば良いのになんて思ってしまうのは野暮だろうか。こんな人たちと一緒にいるのは正直嫌なので、直ぐに着替えて、職場を出ていく。


 暑い。むわっとする。車に乗って外気温を確認する。33℃。笑うしかないけど、そんな気力も無い。エンジンをつけて、エアコンをきかせる。せっかく貰った休みを無駄にするわけにはいかない。私はあてもなく、車を走らせた。

 ラジオからは、世間の流行とは程遠い音楽が流れている。アメリカでは売れているらしい。初めて聴いたけど、こんな暑い日にはぴったりなのかもしれない。流されるままに市街地を走る。道中、コンビニがあったのでトイレを借りることにした。このご時世、トイレを開けていない所も多くなったけど、幸いにもここは大丈夫だった。

 用を足して、お茶を買って車の中に戻ろうとする。駐車場の前では、煙草を吸っている男の人が何人か。副流煙が、私の感覚を刺激する。少しの嫌悪感と同時に、10年前の記憶が蘇ってきた。


 あの時、私は大学に入ったばかりだった。最初はなんとか友達付き合いに馴染もうと努力した。だけど、私は純粋過ぎた。色々と。夏頃には一人で行動することが増えて、最低限のやり取りしかしなくなっていった。飲み会は悪口の言い合いだし、学部内やサークルでの恋愛事情も、高校生とは違ってドロドロ。私は逃げたかった。

 その逃避先が、ゲームセンターだった。

 最初は週1とか、多くても週3だった。日々のストレスを発散する為に、リズムゲームに手を出したのがきっかけだ。プレーしている人は、私以外は全員男。だから少しだけ、変な目で見られていたような気もする。それがバイト明けや、酷い時には講義の空き時間にも入り浸るようになっていた。

 そのゲーセンは、分煙が進んでいなくて、店に入った瞬間から煙草の匂いに襲われる。最初は吐き気を催すくらい、入るのに時間がかかった。でも、慣れとは怖いもので、私は何も感じなくなっていた。ひたすら無心でゲームにのめり込む。現実から逃げる。ただそれだけの為に、私は筐体に、決して戻ることのないお金を投じていった。

 ゲーセンから出る度に、現実に引き戻されていく。そんな感覚が当時はあった。私はあの時、間違いなくクズだったと思う。「学校があるから」「バイトに早く行かなきゃいけなくなった」なんて嘘まで吐いて、一瞬の快楽に身を投じていったんだから。この副流煙は、クズの私にはお似合いな香りだった。

 もう、今は行っていない。仕事が忙しくなったのと、緊急事態宣言のせいで、ゲームへの熱が冷めていったから。そろそろ辞め時かな? とは思っていたけど、こんな形で離れるなんて。


 車の中でボーっとしてしまった。男の人たちは、まだ煙草を吸っている。灰皿には何本も吸い殻が突き刺さっている。クズの自分を思い出す匂いにサヨナラするべく、私は車を走らせた。

 市街地の車の通りは少ない。金曜日の真っ昼間だから当たり前だが。でもここまで突っかかることなく走れるのは少し気持ちが良い。

「あ、そうだ」

 ふと、大事な用を思い出した。私は目的地に向かってアクセルを踏む。この暑さで、考えることを放棄していたけど、冷気が私を包み込んだことによって、ようやく正気を取り戻したような気がした。私が向かった先は、駅前のアニメストアだった。


 店に入って手指消毒を済ませる。目当てのものを買うために、商品の棚へ。

「あったあった……」

 集めていた漫画と、再入荷を待っていたCDを手に取り、レジへ。この日は偶然、顔なじみの店員さんがレジの対応をしていた。

「あれ? 今日金曜日ですけどお仕事は?」

「上司から色々言われて、お休み貰っちゃいました」

「へー! そうなんですね! 私も休み貰いたいなぁ」

 一つも混じりけのない純粋な表情で、私のことを見ている。お客さんは私以外にいなかったので、少しだけレジで立ち止まって、他愛のない話なんかを楽しんだ。愚痴なんかよりよっぽど健全だ。ここは私が、純粋に笑える数少ない場所なのだ。クズだった私にとっての、新しい居場所になっていたのだ。

 その店員さんは、私が来店する度に、オススメの漫画やライトノベル、グッズを教えてくれる。今日も言われるがままに書棚までついて行くと、そこは私にとっておもちゃ箱のような空間だった。

「ラノベの新刊が多くて収拾がつかなくなったので、ここに新刊コーナーを設置したんです。店長が『なるべく目立つように見せろよ』って言ったので、私、頑張っちゃいました!」

「凄い……。そしてこのPOP、もしかして自作ですか?」

「はい! 今までは店長がやっていたんですけど、今回は私が。どうですか?」

「上手いですね! 可愛く描けてます! 何かやってたんですか?」

「美大に通っていたんです。元々アニメとか漫画も好きだったので、そこから色んなキャラを描いて描いて描きまくりました! まあ、結局ここで働いているんですけどね。でも、今も幸せですよ?」

 店員さんは笑顔だった。私にとっては尊敬できることだと思っていた。夢に向かって頑張っていた事実を聞くだけで、その人がとても眩しく感じられるのだ。

「Twitterとかやってますか?」

「え? ええ、まあ。日常のことしか呟いていませんけどね」

「そこに絵をあげてみたらどうですか? 私、もっと貴女の絵を見たいんです! フォローもします! いいね、リツイートも絶対します!」

 私はすっかり、彼女の絵に魅せられていた。見れば見るほど、クオリティの高さに圧倒される。元のイラストと比べても本当に遜色ないほどだ。でも、それを聞いた彼女の顔が途端に曇る。

「私、本当に才能無いんです。Twitterで絵を検索しても自己嫌悪に陥っちゃうだけなので、検索しないようにしているんですよ……」

「そうだったんですね……。なんかすみません」

「いえいえ! 自分で勝手にそう思っちゃうだけなので。それに、今日はありがとうございます」

「え?」

「だって、このPOPに気づいてくれたの、貴女が初めてだから。他のお客さんは、こういうのは目にも留めずに、欲しい商品を手に取って、レジに行くだけ。これが普通なんですけど、なんかこう、もっとお店の中を楽しんで欲しいなって」

 そうだった。普通に買い物をしていたら、このPOPみたいに商品じゃないものには目が行かないことが殆どだ。私もそうだ。彼女にラノベコーナーへと連れられなければ、このPOPの存在自体に気付かなかったのだ。

「ごくたまにですけど、店長が描いたPOPとか、キャラのイラストをスマホで撮って、SNSにあげる人を見るんです。こういうのを見ると、頑張った甲斐があったなって、思えるんです」

「そうですね……。なんか、他人から努力を認められたような気がしますよね。あ、そうだ! 折角だから、これTwitterにあげても良いですか?」

「え? 良いんですか? 私は大歓迎です!」

 スマホを取り出して、パシャリ。善は急げとばかりに投稿した。

「ありがとうございます!」

「いえいえ。私が『これ良い!』って思ったものを載せるだけですから」

 さりげなく、私のアカウントを見せる。フォロー、フォロワー数は大したことないけど、少しでも彼女の絵の良さが伝わると良いな。少しでも多くの人に見てもらいたいな、なんて思ってしまう。

「フォロー、しても良いですか?」

「勿論です! 今きっとスマホ持っていないでしょうから、アカウント書きますよ」

 仕事で使う付箋に、私のアカウントを記す。それを彼女に渡すと、通知が届いた。

「もう10いいねいってる」

「え? 嘘ですよね!」

 こんな短時間で、数字が続々と増えている。今流行りのキャラクターだからだろうか、主に学生のアカウントからの反応が多かった。それを見た彼女は、今までにないくらい顔をほころばせていた。

「仕事終わるまでにどれくらい増えるんでしょうかね」

「きっと100はいきますよ!」

 そんな会話をしていると、お客さんが入ってきた。彼女は嬉しさを押し殺して、店員に戻る。欲しかった商品を買ったら、私たちは手を振って別れた。


 帰宅している間も、部屋でごろごろしていても、通知は鳴りやまない。通知オフにしようかな……。そんな時、一つのアカウントからフォローされた。同時に、リプライも。

『この度は私の作ったPOPを拡散して下さり、本当にありがとうございました。フォローさせて頂きました。よろしくお願いいたします!』

 秒でフォローを返す。そして、例のツイートにリプをぶら下げた。

『このPOPを作った方からフォローされた!嬉しい!この方の絵なんです。今は創作活動をしていないそうですけど、このお店に行ったら素晴らしい絵を見れます!期間限定で載せているものですので、ぜひ!』

 更にリプをぶら下げ、彼女のアカウントと私の行きつけのアニメストアがある住所を載せる。勿論、本人には事前に許可を取った。絵だけでなく、このリプにも結構な反応が来ていることにびっくりだ。いきなりバズり過ぎて少し怖くなったので、スマホから離れることにした。


 夜9時。シャワーを浴びて戻ってきた頃には、バズりは流石に落ち着いていた。結果的に、300を超えるリツイートと1000を超えるいいねが記録されていた。彼女もこれを確認していたみたいで、ツイートで喜びを表現している。今まで隠れていた才能が、開花したのを見たような感じがした。

「……よし」

 クズで、社会の歯車でしかない私も、たまには人の役に立つんだ。普段感謝されても感じない喜びが、まだ心の中で燃えている。

 クローゼットの中で眠っていたノートパソコンを取り出す。しばらく動かしていなかったけど、問題なく起動できた。デスクトップ画面には、これまでの私の黒歴史、もとい、芽が出なかった苗が陳列されていた。

「こんなの書いてたな。懐かしい……」

 私は、かつては物書きだった。とは言っても、書籍になったことなんて一度もない、趣味の範疇だ。最初はアイデアが湧いて、こんなに沢山のネタを出せたのに、仕事が忙しくなるにつれて、どんどん書けなくなって。いつしか物書きから離れて行ったんだっけ。

 いくつか書きたいネタを整理して、3つほどに絞る。自分に嘘をつかず、正直に、私の書きたい小説を書く。夜中で眠たいはずなのに、キーボードを打つ指が止まらない。こんなに気分が高揚しているの、いつぶりだろう。


 私も、今日の彼女のようになれるかな。切欠を掴んだ今、私はクズを卒業したような気がした。


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