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1 三者懇談

高校生にもなると親が学校に来る事なんて殆どない。うちの両親は共働きで性格も淡白だから尚更だ。入学式さえ、来なくていいと言ったら本当に来なかった。

とは言え、今日の三者懇談は流石に仕事を休んで来てくれる。本当は父親に来て欲しかったのだが、当たり前のように母親が来る事になって、今は落ち着かない気分で教室の前に置かれた椅子に座って待っているところだ。


靴音が聞こえてそちらを見ると、薄いグレーの作業服に半長の安全靴を履いた人がゆったりとした歩調で歩いて来るのが見えた。私の前まで来ると立ち止まり、帽子を脱いだ。短く切った、でも豊かなふわふわした黒い髪が露わになる。それから胸のポケットからスマホを取り出し、時間を確認すると言った。

「時間ぴったり。良かった、間に合った」

その声は綺麗なテノール。

「お母さんはいつも時間ぴったりやん」

そう答えるとニヤッと笑った。そう、この人は私の母親だ。


私は別に母親が嫌いな訳ではない。ただ、知り合いに母親を紹介したくないだけなのだ。母親の見た目のせいで面倒ごとに巻き込まれるのが嫌だから。

母親の見た目は、その性別や年齢を不問にすれば至って普通で何処にでもいる特に目立ちもしない人間と言える。でも母親だと紹介するなら話は別だ。何しろ決して「オバサン」には見えない。「姉ちゃん」に見えるならまだいい。「兄ちゃん」なのだ。誰がどこからどう見ても。バレて面白半分にネット上で拡散されたら・・・と考えただけで怖くて夜も眠れなくなりそうだ。

男勝りとは言え、一昨年までは母親は見た目もごく普通の、実年齢よりちょっと若く見えるオバサンだった。脳と卵巣に腫瘍が見つかって手術して摘出した後、半年くらいの闘病生活の間に肋骨が浮くほどガリガリに痩せこけた。その後だ。母親の見た目が変わり出したのは。新しい薬物療法のせいなのか何なのか理由はさっぱり判らないが、成長ホルモンと男性ホルモンが異常に分泌し始めて、あれよあれよという間に40歳にして身長が10cm以上伸び、体格も大きく変わって・・・現在に至る。

一番苦労しているのが母親であるのは間違いない。闘病に仕事を一年以上休み、復帰する時には以前とは全く違う事務所に新人同然に転属したのだ。でも母親はいつだって笑い飛ばす。働き続けられてラッキーだと言う。今の事務所では男扱いで、所長と事務担当者(二人は秘密を厳守してくれているらしい…けど、話を聞いてると、体は女性だけど心は男性の人だと誤解されているように思う)を除く事務所の全員が男と信じて男性用のロッカールームにロッカーをもらった事も、さも可笑しそうに笑いながら教えてくれた。


母親は肩から斜めがけしていたメッセンジャーバッグからカツラとマスクを取り出して「装着」した。これで少し「オバサン」に見える。母親が外でオバサンとして振る舞う必要がある時の常套手段だ。

ちなみに作業服なのはワザとだ。体格が変わって女ものの服が合わなくなった母親は普段は男の格好だから、オバサンぽい格好をしようと思うと職場から学校に来るまでに何処かで着替えなければならず、面倒臭い。それに体格が完全に男だと、下手に女性らしい服を着るとかえって違和感が増してしまうそうだ。性別に左右されない制服である作業服は好都合という事なのだろう。

「さ、教室に入ろか」


微妙に何か言いたげな先生を全力でスルーしながら、言葉少なく三者懇談を無難に終わらせ、教室を出ると直ぐに母親はカツラとマスクを外して鞄に突っ込んだ。その早業ぶりに母親だって「オバサン」に変装するのは不本意なんだろうなと思う。一緒に階段を下りながら母親を見る。帽子を指でクルクル回している母親はやっぱり「兄ちゃん」にしか見えない。この姿だって不本意なんだろうと思うけれど・・・

「お母さん、バスで帰る?その方が楽やろ?私は定期券があるから電車で帰るけど」

一緒に帰る途上で、誰かに会わないとも限らない。だから誰もいない廊下でそう提案してみた。

以前、母親に頼まれてスーパーに同行した時(確か特売の卵が一人につき1パック買えるから二人で行けば2パック買えるとかそんな下らない理由だったと思う)同じ学校に通う幼馴染のユキにばったり会ってしまった事があった。翌日学校でユキに「あれは彼氏?」と聞かれて卒倒しそうになった。家族です、血の繋がりは濃ゆいです、明って名前です、と一生懸命に説明したら、訳ありの異父兄だと勘違いされた。もう同じ轍は踏みたくない。

「いや、一旦、職場に戻るゎ。仕事、2時間休み貰って中抜けしてきただけやから」

母親の答えにホッとする。


首尾よく誰にも会わずに校舎から出られると思った時だ。背後から声をかけられた。

「茉莉ちゃん!」

ユキだ。クラブの部長の角田さんも一緒に居る。あまりのタイミングの悪さに頭が痛くなってきた。ユキがパタパタ走ってくる。それを見て母親はこちらをちらりと見ると微笑んで小さく頷いた。

「じゃあ、ここで」

母親は挨拶するように手を上げてから帽子を被ると、すたすた一人で校舎を出て行ってしまった。


「あれ、誰?」

角田さんが呟いた。

「明さん」

ユキが勝手に答える。

「明さん?え?誰それ?どういう関係?」

「今日は三者懇談でした、あれは家族です」

ユキが何か言う前に棒読み気味に答える。

「三者懇談、明さんに来てもらったん?」

「うん。まぁ」

母親が来るのが一番ありがちなパターンだから、ごく普通なのだが、異父兄と信じているユキは驚いたらしい。気の毒そうにユキは言う。

「茉莉ちゃんのお母さん、まだ調子悪いんやな・・・」

ユキの頭の中ではうちの母親はまだ重病人になっているようだ。本当は作業服を着てガンガン現場に出ている、さっきの元気そうな人なのに。胸がシクシク痛む。

「お兄ちゃんやんな?お母さんの代わりに来てくれたん?お父さんやなしにお兄ちゃんが?へぇ、いいなぁ。優しいお兄ちゃん」

角田さんがニコニコと言うので慌てて否定する。

「いや、違うねん。誤解してる!」

「来てくれるだけでも優しいやん、なぁ。私らにも笑顔で挨拶してくれたし」

「ええ格好しぃのクラスの男子らに爪の垢飲ませたいわ」

だって40年以上生きているオバサンだ。気も遣える。自分の子どもの友達に優しくするのは親だったら割と普通だと思う。同い年の男の子たちにそれを求めるのは・・・たぶん間違っている。でもユキと角田さんは、凄いとか優しいとか勝手に盛り上がっている。

「作業服、似合ってたよなぁ。何の仕事してるん?建設現場?」

「うーん・・・環境の調査?」

「って、例えばどんな事してるん?」

「色々やけど、こないだは、どっかの工場行って煙突から出る煙、調べた言うてた」

「うわ、何か凄いやん」

結構、体力勝負な仕事だと思うが、どういう訳かユキはアカデミックな仕事と解釈したようだ。隣で角田さんも頷いている。

「なんか格好ええな」

母親は兄じゃない。淡白な性格の母親は他のお母さん達と比べて決して優しい方ではない。母親の仕事は全くエリートっぽくない。全部誤解だ。全否定したいけれど、母親を母親と知られたくない私は黙っているしかない。沈黙は金なのだ。

大きな溜息をついた。

「じゃあ、私、帰るわ」

「一緒に帰ろ。茉莉ちゃん、何か疲れてるみたいやけど、三者懇談で何か言われた?」

ユキに心配そうに顔を覗き込まれてしまった。

「・・・今日一日で無茶苦茶ダメージ受けたわ」

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