第九章
アルベルタはスニッチが思わず「痛いよ」と文句を言うほどの力強さで握手をしてから、スニッチの反応に小さく笑いをこぼしてから、きりっとした眉を吊り上げてすぐに真面目な表情になった。
「次のメンバー派遣は五日後を予定している」
スニッチが握られた右手を労るようにさすっていると、アルベルタは再び背筋を伸ばして今度は両手をそれぞれ腰に当てた。スニッチはアルベルタの言葉に、もそもそと小刻みに動いて動く度にガタガタと音を立てる椅子で胡座をかきなおすと、アルベルタを見上げるようにして次の言葉を待った。
「下層へ辿り着くのは存外簡単。最下層には下層に繋がる排気口がある。だからゲートを通らなくて済む。そもそもゲートを通過することなんてできないからね」
「それからどうするんだ?」
スニッチは続きが待ちきれないとばかりに膝小僧を上下に揺らしながら、前のめりになって話を聞いていた。「ここからが問題だ」とアルベルタは表情を変えず、腰に置いていた手を話して腕を組むと、胸を張るようにして少し上体を反らせた。
「下層にもレジスタンスはいる。下層に辿り着いてから先の計画は、派遣されたメンバーと下層のレジスタンスの間で考えることになる」
アルベルタがそこまで言い切ると、スニッチは「なんだ」と思わず小さくこぼしながら、不満げに口を尖らせて膝を揺らすのをやめた。その代わりいつもの猫背になるよう肩を丸めると、「結局なんにも決まってないじゃないか」と今度は周りの人間にもしっかりと聞こえる声で言った。アルベルタはその言葉に、部屋のメンバーの一人に顎だけで指示を出す。顔を向けられたひょろりと背の高い、痩せこけた男はその合図に頷くよりも先に部屋にあったキャビネット――金属製だが、全体が錆びきっていて濃い赤色になっている――の引き出しを耳障りな音を立ててなんとか開けると、中に入っていた紙を取り出して無言でアルベルタに渡した。アルベルタは同じように無言でそれを受け取ると、折りたたまれていた紙を慎重にゆっくりと開くと、テーブルの上にそっと広げる。紙はそれなりに大きく、黄ばんでいたが刻まれている黒いインクは鮮明で、スニッチは椅子の上で胡座をかくのをやめると、眉根を寄せた不思議そうな顔でその紙を覗き込んだ。紙には図形が描かれていて、ところどころ文章が書き加えられていたが、当然スニッチにその文章を読むことはできない。ただスニッチにも分かったのが、それがゲートを表す図であるということだった。
「これは何?」
「最上層のゲートの設計図だよ」
首から上だけを持ち上げてアルベルタを見たスニッチに、アルベルタは少し口角を上げてどこか得意げに言った。スニッチは再び図面に視線を落とし、「どうしてこんなものが最下層に?」と続けて無垢な声で質問をする。アルベルタは「長い話になるけれど」と深く落ち着いた声で前置きすると、「最上層のゲートを設計した男がいたんだ」と続けた。
「でも、男は高齢になるにつれて身体的に障害が生じた。病気をして目が見えなくなったんだ。ガバメントの方針は十分に知っているだろう? 使えない人間は皆最下層落ちする」
アルベルタの言葉は淡々としていたが、スニッチが少し顔を上げると、アルベルタの目は紙を睨むように細められていた。『ガバメント』という言葉が出すや否や憎しみに満ち溢れ、苦虫を噛んだような顔になる。スニッチは再び紙に視線を落とすことなく、アルベルタの顔を丸い目で観察していた。
「男は最下層落ちする前に、この設計図をなんとか最下層に持ち込むことに成功したんだ。そしてレジスタンスに加入した。あたしが生まれるよりずっとずっと前の話だ」
スニッチは何も言わずに、紙に視線を向けているアルベルタの目を見つめようと餌を待つ犬のようにただひたすら次の言葉を待っていた。「でも残念なことに」とアルベルタは沈んだ声で言う。
「ここのメンバーに識字力のある奴はいない。この設計図は解読できないまま、ずっとここにある」
「下層の連中は文字が読めるじゃないか。持っていけばいいのに」
「これは原本なんだよ。まずはコピーを作らなきゃならない。何度か複製には挑戦したけれど、誰もこの文字を正確に書き写せないんだ。これを失ったら、あたしたちは最上層に辿り着く最後の術を失うことになる」
そこでスニッチは再び紙の文字を検分するように、ぐっと顔を近づけて見た。文字はレフティがいつも読んでいるような字体ではなく、どう見ても落書きのようにくねくねとしていて記号にすら見えない。でも、とスニッチは思い立ち、ぱっと顔を上げると「親友は文字が読めるんだ」と貧乏ゆすりをしながら自慢げに言った。
「もしかしたら、レフティなら解読できるかもしれない」
高い声で興奮したように宣言したスニッチとは裏腹に、アルベルタはぴくりとも動じなかった。「そんな奴がいるなら、お目にかかりたいものだね」と皮肉たっぷりの言葉すら出したが、スニッチは既に熱に浮かされていて、椅子から跳ねるようにがたりと立ち上がる。
「連れてくるよ。ちょっと待っていてくれないか」
今にもレジスタンスのアジトを飛び出しそうなスニッチに、アルベルタはこれでもかと長いため息をつくと、「いいだろう」と渋々言った。
「ただし、一人では行かせられない。メンバーを一人連れていきなさい」
アルベルタの言葉にスニッチは反射的に大きく頷くと、部屋にいるメンバーたちを見開いた目を輝かせてぐるりと見回した。