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第六章

 女性の声は朝を告げる放送よりもずっと冷淡で抑揚がなく、感情の片鱗も見られないものだった。女性が何らかの紙をめくったのであろう音がしてから、女性はゆっくりとリストを読み上げていった。ジャーバル、サマンサ、ユートリア、フォックス。はっきりと発音される名前が読み上げられる度に、最下層はざわめいていた。スニッチは突然後ろを向くとレフティのテントのドアになっている布を高く持ち上げ、最下層を観察しようと階段を駆け上がる。ある名前が呼ばれた瞬間には金切り声が上がり、その声の主である痩せこけた女性がその場に瞬間的な動きで崩れ落ちるようにして座り込み、指の異様に長い骨ばった両手で顔を覆った。名前は尚も呼び続けられたが、レフティがテントから出てくることはなかった。レフティはテントの中で膝を出来る限り強く抱いたまま、かたかたと小さく震えていた。スニッチがテントの外に出たことさえ気づいておらず、ただただ「大丈夫だ、大丈夫だ」と壊れた機械のように小さく呟いている。その瞬間、スピーカーは前の名前からたっぷりと間を置いて――少なくともスニッチとレフティにはそう感じられた――次の名前を読み上げた。


『レフティ』


 外に出ていたスニッチは、呆然としてしまった。この上なくやかましかった喧騒がひどく遠くなり、顔の血流が機能をやめたことだけは分かった。スニッチはただただ猫背になりがちな背筋を伸ばして顎を上げてその場に立っていた。テントの中のレフティはといえば顔こそ上げたものの、膝を抱いたままだった。不思議とレフティの小刻みな震えはなくなり、レフティもまた、スニッチと同様に呆然としていた。数分して、スピーカーが『以上です』という簡潔な言葉に添えてブチリと大きな音を立てて放送を終えた瞬間、スニッチの聴覚と血流が濁流のように機能を再開した。スニッチは階段を無視して大きく飛び降りると、テントが崩壊しかねないほど乱暴に中に入り、未だに膝を抱いたまま鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているレフティのそばから乱暴に雑誌を奪い取って、再び手荒い動作で義足のページを開いた。ページを開くなり、スニッチは自分を見ていないらしいレフティの前に雑誌のページを突き出す。突き出した瞬間にビリッという音がして雑誌の一部が破れたが、スニッチはお構いなしだった。


「地上へ行こうよ」


 スニッチは切羽詰まった声でそう言ったが、レフティは微動だにしなかった。スニッチは突きつけていた雑誌を放り投げると、今度はレフティの両肩を持って揺さぶる。レフティの頭は前後に揺れるばかりで、レフティの魂が戻ってくる様子はなかったが、そこでスニッチは初めてレフティが「おしまいだ」とつぶやき続けていることに気づいた。おしまいだ、おしまいだ、とレフティはただただ震える唇で、ほとんど息のように呟いていた。


「おしまいなんかじゃない。一緒に地上に逃げよう」


 スニッチはレフティの肩を揺さぶるのをやめたが、その両手にはこれ以上ないほどの力が籠もっていた。レフティはようやくスニッチに目線を合わせると、だんだんと現実に戻ってきたのか、動かいていなかった瞳が僅かに揺れ始める。それでもレフティの顔面は蒼白で、レフティは頭を垂れると「おしまいなんだ」と壊れたロボットのように言った。


「おしまいなんかじゃないって言ってるだろ」


 スニッチは再びレフティの肩を揺さぶったが、今度はレフティにその手を乱雑に払いのけられてしまった。「きみに何が分かるってんだい」とレフティは床を見たまま小さく言ったが、だんだんと感情が戻ってきたのか、レフティはスニッチを絶望に満ちた、それでいて真っ直ぐな目で見ると「きみに何が分かるってんだ」と語気荒く言った。


「きみはいいじゃないか。五体満足で、生活にも困っていなくて、パージされることなんてなくて」

「だからって、きみのパージを見過ごすことなんてできるわけないだろ。友達じゃないか」

「きみにぼくの気持ちなんて分からないよ。永遠にね」


 レフティはトーンこそ低めていたが吐き捨てるように言うと、転がっていた雑誌を拾い上げ、やり場のない怒りを発散するようにそれを床に叩きつける。「地上なんて」とレフティは荒くなり始めた鼻息の中で言った。


「地上なんて、辿り着けるわけがない。ぼくはここで死んでいくんだよ。きみは現実ってものを知らないんだ」

「やってもいないことをできないだなんて言うのか? じゃあきみは何の抵抗もなく死んでいって構わないってのかよ」


 レフティの言葉に、スニッチは怒った猫が全身の毛を逆立てるようにあからさまに苛立つと、大きな声で言った。レフティはそんなスニッチを憎しみに近い視線で見たが、疲れてしまったようにすぐにだらりと身体の力を抜いて、再び床に目線を向けてぼそりと呟いた。


「そんなことあるかよ。ぼくだって生きていたいよ」


 その言葉に、スニッチは今にも立ち上がってレフティに手を上げようと前傾姿勢になっていたのをやめると、バツが悪くなってレフティを見ないように顔をそっぽに向けた。「生きていたいよ」という繰り返されたレフティの言葉に、スニッチには返す言葉もなかった。レフティはしばらくぼうっと床を眺めていたかと思うと、「一人にしてくれないか」と生気のない声で言う。そう言いながらテントの隅で出来る限り縮こまり、身を隠そうとしているレフティを前にしたスニッチに選択権はなかった。

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