第二章
テントの主はレフティという青年だった。人とあまり関わることのないスニッチの、唯一無二の友人だ。プライバシーを気にすることなく、思い思いの場所で寝たり起きたりしている住民たちとは違い、レフティは小さなテントを作ってそこを自身のねぐらにしていた。テントは地下街から伸びる小さな階段の下にあり、人々はレフティのテントはおろか、その階段の存在にすら気づいていなかったが、スニッチはいつもそのテントの突き出したてっぺんを目印にしていた。布にはあちこち穴が空いていたものの、外から中の様子は伺えないようになっている。スニッチは音も立てずにテントに近づくと、かがむようにして一枚の布を捲りあげ、「よう」と半ば囁くような声でレフティに声をかけた。それでもレフティは飛び上がり、驚きのあまり読んでいた本を取り落とす。レフティは声の主が誰であるかも確認しないまま、自身のテントの中で価値の有りそうな物――古ぼけたねじ式の時計とか、錆びたごく小さなランプとマッチとか――を隠そうと動いたが、その拍子にそばに積み上げていた本の山が雪崩のごとく崩れた。スニッチがその様子をげらげらと大きな声で笑うと、レフティははじめてテントの出入り口を見て、安堵と怒りの入り混じった複雑な目でスニッチを睨んだ。スニッチが何の断りもなくテントに入り、再びテントのプライバシーが守られると、レフティは安堵のため息をつきながら額に手を当てた。
「君だったのかよ」
「いい加減慣れないのかな。こんなところに来るのはおれぐらいじゃないか」
スニッチがテントに入ると、テントはすし詰め状態だった。レフティはスニッチのあくまで楽しげな声に眉間に皺を寄せ、乱暴な動作で時計とランプをあるべき場所に戻すと、スニッチに背を向けて崩れた本の山を積み直しにかかる。そんなレフティを見ながら、スニッチは口角を上げたままピンクミートを二つポケットから取り出すと、レフティの背後に放り投げた。そのうちひとつがレフティの背中に当たったので、レフティは渋々といった様子で振り返ったが、投げられたピンクミートを見るとスニッチよりも大きな身体を少し丸め、小さな声で「ありがとう」と返した。
「いつも悪いね」
「構いやしないよ。おれは食べ物には困らないから」
「褒められた仕事ではないけどね」
レフティが再びスニッチに背を向けそうになったところで、スニッチは更に先程の本を差し出す。「戦利品だけど、おれには必要がない」とつまらなそうに言うスニッチとは裏腹に、差し出された赤い拍子の古ぼけた本に、レフティは一気に目を輝かせてほとんど奪い取るように本を掴んだ。それが手中に収まるや否や、中身をぱらぱらと見聞してふんふんと頷きながら内容を確認するレフティを余所に、スニッチは半ズボンからむき出しになった細い足で胡座をかき、上半身を前後に揺らしながら代わり映えのないテントを観察する。レフティは程なくして本の検分を終えると、「君も文字くらいは読めたほうがいいよ」と積み上げた本の山のてっぺんに恐る恐る赤い本を追加しながら言った。本の山は再び崩れそうに揺らいだが、なんとか均衡を保つことに成功していた。
「文字が読めたって生活が豊かになるわけじゃないだろ」
スニッチはそう言ってしまってから、しまったとばかりにレフティを見た。レフティは案の定少し俯いていて、その目線は自身の右足に向けられている。レフティの右足は下腿の半分くらいのところからただの木の棒になっていて、左足しか使えないことから、レフティという名前はその事実に由来していた。レフティからは何の反論もなく、スニッチは後悔と苛立ちで小さく貧乏ゆすりをしながらなるべくレフティに目を向けないようにした。それでもすぐにスニッチは思い立ったように貧乏ゆすりをやめ、自身の右足をぼうっとした目で見ているレフティの膝を叩くと、「スクラップヤードに行かなきゃ」とすべてを忘れてしまったかのような楽観的な声を出す。その言葉にレフティはあまり気乗りしないとばかりにゆっくりと顔を上げたが、スクラップヤードでスクラップを集めるのはレフティの生業だった。それで仕方なく、何度目かの大きなため息をついてレフティは小さく頷き、スニッチは弾かれたように立ち上がりながらテントから出る。レフティはそれによろよろと続き、二人はテントの外で再び地下街の最下層の空気を吸った。スニッチは何とも思ってはいなかったが、レフティはいつだってその空気に少し顔をしかめるのだった。