第72話 紗良とカルロ
「本当にいいのか?」
センテンシア領の館の会議室でセクターに問われカルロは頷いた。
会議室にはカルロ、セクター、ミレイユ、ラディウスの四人が席についている。
カルロとファンデーヌの婚約が決まり、そのことで四人で今後について話し合っていたのだ。
「ああ、この領地が生き残るにはもうエシャロフ家の援助に頼るしかない。
彼女と結婚すれば経済的援助もしてもらえる話になっている」
「ですがっ!!あの女はレティお嬢様を敵視しています!!
あのような女を妻に迎え入れればどうなることか!!」
同席したミレイユが叫ぶがカルロが手で制す。
「わかっているよ。
レティは母方の実家に預けることで話はついているから。
ファンデーヌにも同意は得ている。問題ない」
と、カルロは微笑んだ。
カルロとて、娘を邪険に扱う後妻の元で娘を育てる気などない。
ファンデーヌも亡き妻の忘れ形見がいる状況は心休まる事がないだろう。
「ああ、あの方達なら問題ありませんね」
ほっとミレイユも胸をなで下ろす。
レティの母方の領地はセンテンシア領に援助する余裕はないものの、センテンシア領よりもずっと豊かだ。
レティの祖父母は性格もよく、レティを可愛がってくれていた。
彼らならレティを邪険に扱うこともないだろう。
「……ああ、この事をレティに話さないとね……」
そう言ってカルロはため息をついた。
亡き妻に絶対守ると誓ってみせた愛娘。
その子の成長をずっと見守れない事実に、カルロは自分の無力さを痛感する。
塩不足から始まった経済的困窮は、もうどうしようも出来ないレベルにまできていた。
塩不足に加え、精霊の森の力が弱まり、領地の農作物も育ちが悪くなり漁も不漁続き。
精霊王様に問いかけても返事はなく、以前ならわずかばかり恵んでいただけた森の恵みも得る事ができない。
特に名産らしい名産のあるわけでもないセンテンシア領は、カルロが意に沿わぬ結婚をしなければいけないほど貧窮していたのだ。
愛のない結婚など、この世界ではよくあることだ。
むしろ、恋愛結婚をした前の結婚の方が珍しかったのだろう。
けれど一度契を結ぶと決めたからには、それが意に沿わぬ結婚だとしてもファンデーヌには誠意ある対応をしなければならない。
たとえ政略結婚であろうと伴侶となるのだから。
亡き妻の想い出は捨てて欲しいと、ファンデーヌに懇願され、いまでは肖像画一枚も彼女の思い出の品は残っていない。
気持ちに区切りを付ける時なのかもしれないな――。
カルロは亡き妻の最後の想い出の品である懐中時計を見つめ、呟いた。
カルロが初めて妻にもらったプレゼントだったのだ。
この懐中時計も、結婚の儀式までにはレティに託さないといけないだろう。
カルロが決意したそのタイミングで、会議室の部屋がノックされ、告げられた。
ファンデーヌがカルロの元に訪れたと。
今思えば、カルロが明確に意識を保っていられた最後だった。
部屋で迎え入れたファンデーヌに美味しい紅茶を手に入れたと勧められ、それを飲んだ途端、強烈な痛みにただ悶え苦しんだ。
その悶え苦しむ自分の姿を恍惚とした表情で見つめるファンデーヌの顔が鮮明に思い出せる。
――やっと、手に入れた――
この人は私の物だと、そうつぶやきながらファンデーヌに口づけをされ、カルロはそこで意識を失うのだった。
■□■
その後の事はまるで夢の中にいるようで。
景色が朧気でよく憶えていなかった。
カルロにはファンデーヌの声だけが明確に聞こえ、それに従うことこそが自分の喜びだと錯覚していた。
親友のセクターの声も。
ラディウスの忠告も。
ミレイユの叱りの声も。
ただ雑音にしか聞こえなかった。
娘のレティに至っては、ただ醜い物としか認識できなかったのだ。
――そう。
紗良が自分を救い出してくれるまでは。
「レティが悲しむから!無理やりにでも連れていく!!!」
と、部屋に乗り込んできた一人の女性は、異世界人だけが使えるアイテムボックスにカルロを詰め込むという強引な方法で屋敷から誘拐していった。
操られファンデーヌの指示がなにもないと不安で発狂しだすカルロを、精神世界に直接殴りこんでくるという強引なやり方で治療したのだ。
泣いてカルロが戻った事を喜ぶ娘と、それをニコニコ顔で見守る紗良。
後日何故、娘の為にここまでしてくれるのか。
カルロが不思議に思って聞いた事がある。
返って来た答えは、「困っていたらほっとけない」
それだけだったのだ。
その笑顔が眩しくて、そこからカルロが紗良に好意を抱くまでさして時間はかからなかった。
けれど紗良の方はカルロの気持ちに気付くこともなく、ループを止めないと!!と、真相解明に乗り出し、時と空間の精霊王様が全ての鍵を握っていることを知る。
そこで、紗良達は王族に逆らい、時と空間の精霊王様の神殿に乗り込んだ。
迫り来る国の兵士をカルロが一人引き受け、娘と紗良を神殿へと向かわせワルフのせいでほぼ悪魔と化した兵士を相手にし――そこでカルロは命を落とした。
追っ手を全部倒したまではいいが、自身も深手を負いカルロもまた助からない状況だったのだ。
もし、ループでもう一度人生をやり直せるのなら、今度こそ娘を守ろう。
そしてたとえ実らなくても、紗良に気持ちを伝えよう。
そう思いながら、娘と紗良が悲しまぬように。
ループ解明の足でまといにならぬように。
生きて逃げたと思わせるように細工をし、命を絶った。
――ああ、そうか。
本来の紗良の姿を見た時のよくわからない、何かこみ上げてくるような感情の意味がやっとわかった。
過去の映像が消え、現実に引き戻されてカルロはそのままがくりと膝をついた。
「大丈夫ですか?お父様っ!!」
うずくまってしまったカルロにレティが心配そうに呼びかける。
けれどカルロにその声は届いていなかった。
何故こんな大事な記憶を自分は思い出せなかったのだろう。
そうだ。自分は彼女を。
娘としてではなく、彼女本人を愛していたのだ。
紗良本来の彼女を。娘として彼女が自分の元にくるずっと前から。
今更どうしようもない真実を知らされてカルロはそのまま、呆然とするのだった。











