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動機

* これは檸檬 絵郎さまご主催の『魅惑の悪人企画』参加作品です。

檸檬 絵郎さまに挿絵を頂きました!


 また同時に、筆者の書いているシリーズ「長秋神社ーあの人の神社があってもいいじゃん」の一部をなす作品です。


 人間関係がわかり難いとのご指摘を受けて、少々追加改稿しました。

 まだまだ問題点は多いようですが、ご容赦ください。

挿絵(By みてみん)


 アイツを潰してしまおうと思う。眩しいほど光輝く私の異母弟を。


 なぜこうもアイツに心を乱されるのだろう。

 私は還暦を過ぎ、信也は40半ば。このシンヤという名前を発音するだけで、私は平静でいられない。


 兄弟だと思うには歳がかけ離れ、私の息子の彬文あきふみのほうが余程アイツと親しい。

 

 私は決して悪人ではない。普段の私を知る人は、穏やかで優しさに満ちた現人神(あらひとがみ)のような男だと言ってくれる。

 ただ他人をそそのかしたり陥れたりできる(いにしえ)の作法を知っているだけ。

 その作法は一族に伝わるものだから、ターゲットの弟ももちろん熟知している。

 それゆえ細工は複雑に、点火位置はあくまで遠くに、私の意図を悟られないよう、鋭いアイツも気付かないよう。

 

 ゴールデンウィークの終わった5月の朝8時、自宅の広い座敷にあぐらをかいていた。ここ恐山の空気が清澄に感じられる季節、陽射しは暑くても室内にはまだどこか朝の冷気が残る。

 

 端午の節句が終わった今、とある神道教団トップの私が一年で一番暢気にしていられる時期でもある。

 社殿には若手の担当神主が居り、この自宅が境内にあるのだから、何かあれば誰かが呼びに来る。私は既に神主を引退し、国内合わせて4つのお社と1万人近くの信者を取り纏める「お代師」という役回りだ。


 軽々しく姿を見せないほうがいい。重大事に限って関わるようにすると、出て行くだけで「ありがたや」と拝んでもらえる。気の持ちようが変わるらしい。

 私の側から言わせてもらえれば、ただの楽隠居だが。


 父も祖父もそうだった。息子にも継いでほしいと思っている。

 せめて私が死ぬまでは、うちの神社ネットワークを血の通った共同体として保ってほしい。

 

 後ろに床の間、目の前の座卓の上には神職日誌と教典、その横に香炉がひとつ。中には春来(しゅんらい)(こう)の粉末を入れた。女性の理性を鈍らせて、本能を導き出すという秘匿の調合。

 これを灯せばあれがこうなり、ああなってこうなって、目的は達成される。

 

 古いマッチ箱から1本取り出し擦ってみた。

 この火を使って総決算させてもらってもいいだろう、アイツと私の間のことを。

 私もとうとう、父が死んだ歳に達してしまったのだから。



 初めて会ったのは京都の(やしろ)だった。アイツは11歳、東京から引っ越してきたばかりで、うちでいじけて泣いていると思ったのに社の庭に来ていた。


 教団の、雅楽神を祀る社の例祭前日で、私は義兄に「境内にゴミでも落ちてないかチェックして下さい」と頼まれたのだ。あの人にとってみれば私は妻の弟、かなり年下だというのに、いつも敬語を使われた。私は直系、宗家だから先代お代師だった父の次に偉いと見做されているだけ。琵琶の演奏では義兄の足元にも及ばない。

 あの時点で10歳の息子にも敵うものなど何もなさそうだと判っていたのに。


 その彬文と対等に渡り合うか、斜め上を行くのではないかと思わせるのがアイツだ。阪口信也。義兄の養子になったから阪口姓だが、紛れもない父の息子。


 中学生だった平野(ひらの)(すすむ)と雅楽の師匠、後藤(ごとう)清士(きよし)と境内を歩いていた。「拾うゴミなどありゃしない」と笑いながら。

 遠くに目をやると、広い()(せん)回遊式庭園内にそそり立つ蓬莱(ほうらい)(いし)の足元に、場にそぐわない子ども服のカラフルな色合いがちらつく。

 ゆっくりと近付いた。

 池縁に座って水面を見ているのか、錦鯉でも眺めているのか。

 その日は平日、一般の子どもは学校に行っているはずの時間だった。

 

 自分が話しかける前に進が驚いて声をかけた。

「え、君、何?」

 片足を投げ出し、片膝抱いていた少年は徐に立ち上がって、焦るでもなく尻をはたく。

 なぜか私に視線を寄越したから、神官の合い言葉を指で作ってみた、「楽師(がくし)」と。

 気だるそうに上げられたアイツの右手は胸の前で狐を形作った。「まじない」の指言葉。ふたつ合わせて「我々」、「仲間」の意味になる。


「阪口……………………信也です」

 と声を絞り出した。

 私はその長い()に隠された、「阪口()()()()()()()()信也」の八文字を聞きとってしまった。新しい名前に戸惑う思いを。

 

 少し不憫になって笑顔を作ってみた。

(あき)(ふみ)、遅くなるそうだよ。ぎりぎりまで学校出るって」

 目の前の小学生がつい数日前まで東京で兄弟のように暮らしていた、私の息子のことだ。毎月彬文が書いてきていた手紙によるとふたりはとても仲が良かったはず。

 信也は喜ぶでもなく、心が死んでしまったかのように表情が無かった。


 清士(きよし)が持ち前の明るさで場を繋ぐ。

「あ、君が信也くん? 姉と妹から話聞いています。♪夢の〜宇宙へ漕ぎだ〜す友よ〜」

「清士さんが異次元艦隊アンドロメダぁ?」

 進がアニメ主題歌の名前を呟いて。

「え、進、知らないの? 宮津での、この夏一番のセッション。進のお祖父ちゃんの家でだよ? 箏に琵琶、龍笛2本と篠笛」


 2人の会話を聞いていた信也は

「れい子さんとみえ子さん……」

 と呟いた。

「そうそう。僕が姉妹(あねいもうと)に挟まれた後藤清士といいます。ヨロシク」

 コクリと頷くだけの信也に清士は重ねて、

「明日5時の『雅楽の夕べ』は絶対見に来て、みんなに会えるから」

 と言っていた。


 アイツは返事もしなかったな。彬文から聞いていた明朗快活な性格はウソかと思った。が、未婚だった母親が自分を置いて結婚し、父親が名乗り上げてくれたと思った途端、養子に出されたんだ、クラくもなると思い直した。


 現に16歳から私たち共通の父親が死ぬまでは、アイツは面倒くさいほど輝いていた。教典も全部読んではいない、修業もいい加減だと聞いていたのに、16で神職名を授けられるや否や何食わぬ顔で神官業をさらりとこなした。


 音楽によって人の心に近付き、舞によって働きかけ、言葉によって導くという平安時代から受け継がれたうちの神官の特殊技能を、まるで息をするのと同様に体現する。アイツの笑顔を見るだけで癒されるという信者は後を絶たない。

 一族の中でも音楽性でいけばアイツが一番かもしれない。弾けない楽器はあるのか、知らない曲はあるのか聞きたいぐらいだ。

 

 母は私を難産で生んで子宮を失った。今ほど医療も進んでいなかったから、夫婦の営みができなくなったらしい。結婚が早かったから20歳になるかならないかで。

 父も苦しかったのかもしれないが、浮気は所詮浮気だ。うら若いピアニストに目が眩んで母を蔑ろにした。それがたった一夜の過ちでも許されないことに変わりない。

 私は40代で妻と死に別れても他の女の肌に触れたことはない。


 理解できないのは、母が信也を孫のように可愛がったことだ。

 私が、この私が教団の規則で9歳から父母の元から離されたのに、どうしてアイツが、浮気相手の子、父の不義の証そのものが東京のあの家で、私の母と仲良く暮らせる?

 養子に出されて当然だ。分家の阪口家に収まるのが筋だろう、正妻の子ではないのだから。


 悔しいことに、分家に行ってもアイツは父に愛され、養母となった私の姉に気に入られ、彬文には一目置かれ、どんな音楽も自在に奏で編曲作曲し唄う。

 歌唱力は同じくらいかもしれない。私の声には声量と伸びがある。だがアイツの歌は人の涙を誘う。感動の涙あり、笑わされての涙あり。

 私の歌は「安らかな気持ちに浸らせてくれる」と近しい氏子さんたちは言ってくれるが、どうだろう、のほほんとしているのかもしれない。優しく包んでおけば悩む人も自力で立ち直るだろうと心の片隅で思っていたりもする。

 

 それは名前のせいなのかもしれない。春雄という何とも明るい名で、悩みがあるようには到底聞こえない。アイツは私を「春爛漫のノーテンキ」と評したと、信者伝いに聞き及んでいる。

 

 私は信也ほどには波乱万丈な人生を送ってはいない。教団の規則に則り東京から恐山に引っ越しはしたが、親が誰かわからなかったこともないし、私の修業を担当した親神官は自分の息子以上に可愛がってくれた。

 それでも私の心は東京にいる母を恋しがり、父に認められようと躍起だった。

 

 父は私を他家に修業に出しておいて、その間に浮気をして信也を儲けたんだ。

 アイツが生まれた年、私は19歳。赤子に嫉妬するには大人過ぎた。だが全てを許すには私は父という男を知らな過ぎる。同性として理解できない。

 

 残念ながら、修業にどれ程勤しんでも私の音楽性は通り一遍で、器楽も舞も周囲を震撼とさせるには至らなかった。

 どうも加山雄三やクリフ・リチャードのように正統で爽やか、信也や彬文と並ぶと面白味に欠けると自分でも感じてしまう。

 父の眼にはさぞや物足りなかったことだろう。

 

 信也の奏でる音楽に乗せて父が神舞を奉納する時、社全体の空気はびりびりと震え、ふたりの思うがままだった。

 参列者を泣かせるも笑わせるも手のひらの上。

 相手を泣かせることができればカタルシス効果が使える。

 今でも人の心をいとも簡単に動かす信也には、どうしても嫉妬の気持ちが黒く湧いてしまう。


 母が、信也の母親から聞いた話を私に聞かせたことがある。

「信也はよく、ピアノの鍵盤の下、私の足元で遊んでいました。つかまり立ちができるようになった頃でしょうか、自宅でリサイタル曲を弾いていると、ペダルを踏む私の足を捕まえようとしたんです。手が小さくて握り込めないからまるでモグラたたきのように、つま先辺りにたしっとタッチするだけですけど。練習中構ってやれないから、足と追いかけっこして遊んでるんだなと思って。

 でも何日か続ける間に、あの子の手はぴったり私のペダルのタイミングに合うようになりました。今度はペダル側で待ち伏せしてるんです。くるぞ、くるぞ、ほらーって。ペダルの上にある私の足を押すんで手を止めて顔を見ると、それはもうにんまり笑っていて。

 それで私もいたずらを思いついて、全くペダル操作なしで同じ曲を弾いてみました。そしたらどうしたと思います? あの子ったら椅子のほうに引いていた私の足を、ペダルの要るところで叩くんです。ショパンの小品だったからか、1曲分1度も間違わなくて。足、足、あし―ってピアノの先生に怒られてる気分でした」


 アイツがピアノを自由に弾きこなせて当たり前の気がした。英才教育もいいところだ。本人は「気が付いたら弾けてた」とさらりと言ってのける、その憎らしさ。


 信也の弱点を私は知っている。何の洞察力も要らない、極度のファザコンだ。母子家庭に育ったアイツは、父が父だと名乗った時に「やっと見つけた」と涙して喜び、養子に出された時は「棄てられた」と落ち込んだ。

 16歳で和解して眩しいほど輝いたのに、父が他界した直後丸々2年は狂気と正気の間にいた。自分の世界に閉じ籠り、急性アルコール中毒、退行して子供返り。社の床にチョークで落書きしたり、着物を引き摺って境内を徘徊したり。


 結婚して子ども一人、もう44歳か、収入も社殿規模も教団一の京都本社(ほんやしろ)を牛耳りながら、最近また少し不安定らしい。

 退行は完全には治らず妙に子供っぽいがそればかりでなく、社で踊りながら、無意識に神官の斎服を(つくろ)えないほど引き裂いたそうだ。


 可哀想に。感受性がありすぎるのも苦労するよな。


 まあこれが、凡人の兄が才気溢れる異母弟を苦しめたいと思う、動機の部分だ。




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