塗装開始
「そういえば、その服、汚れてもいいやつ?」
イルカに問われて、私は気が付いた。
まさかペンキ職人になるなんて思っても見なかったから、いつも通りの格好で来てしまった。
でも、今更着替えを買ってくる時間なんて無いだろうし……
「まあ、仕方ないな。 その服を仕事用にするしかないって」
ガーン……
せめて、作業着支給してくれたらいいのに。
また気分が降下するのを感じつつも、作業に入る。
しかし、心ここにあらずとはこのことで、せっかくイルカがやり方を説明してくれたのにも関わらず、一切耳に入ってこない。
ペンキのバケツを掴んで、壁へと向かうと、ローラーをそれに浸してコロコロ転がす。
「……」
はぁ、全然心が弾まない。
ただの作業になっちゃってる。
高校の頃からの友達は、大学でキャンパスライフを楽しんでるっていうのに……
昨日のラインのやり取りが、ことのほか私の気持ちを乱している。
気がつくと、1時間。
いつの間にか壁の半分が仕上がっていた。
「結構、楽勝?」
すると、社長がやって来た。
「一旦、休憩にしましょう。 イルカ君も!」
すぐ上の段で作業していたイルカが、足場から下りてくる。
休憩って、ちょっと早い気もするけど……
「そんなにせかせか作業しなくても、時間は十分取ってありますから」
行程は社長一人でも間に合うよう組んであるとのことで、3人いれば余裕とのことだ。
建物の端の塀に腰掛けて休憩していると、店内から女性が現れた。
「お疲れ様です。 ウチの自慢のプリン、お召し上がり下さい」
「ああ、ありがとうございます」
エリスマン亭は普段カフェとして営業しており、そこの手作りプリンだ。
卵の黄身の乗った珍しいプリンで、とても美味しい。
「ちょっとはやる気出たか?」
いきなり、イルカに言われて私は思わず顔を赤らめた。
「あ、あるに決まってるでしょ!」
……というのは嘘だ。
でも、知ってても社長の前で暴露しないで欲しい。
「エリ、雑念ばっかで全然集中できてねーよな。 ちょっと来いよ」
「……」
イルカに連れられて、塗装の終わった壁にやって来る。
「社長の塗った壁、見てみ。 全然ムラねーだろ」
言われた通り、確かに社長の塗った壁はムラが一切無い。
「んで、次はお前の壁」
移動して、私の方を見る。
「……これ、ヒドイ」
「だろ?」
改めてみると、よく分かる。
各所でダマが出来てるし、塗れてない所もかなりある。
「子供の塗り絵と、プロの仕事の違いだよ。 余計なこと考えて出来る程甘くねーから」
イルカには見透かされていた。
いや、社長だって私の仕事を見たら、すぐにやる気の無いのは見抜くだろう。
「友達のこととか、仕事中は関係ねーから」
イルカの真剣な眼差しに、私は少し、目が覚めた。
「……分かった」




