9話
直接的ではないものの、ギロチンで首を落とす描写があります。
「あの悪魔が地獄から戻ってきた。」
そんな噂がまことしやかに流れ始めたのは、悪魔が処刑されて一年と九ヶ月が経った秋の終わりのことだった。
最初の被害者は自営業で細々と薬草店を営む一家、…祖父母と母親、そして息子の四人。その次は、未だ困窮した暮らしから解放されない者達の住む王都の一角のスラム街の家族。こちらは双子の娘を母親が一人で育てていた。その二組の家族がここ三ヶ月の間に、全員が無残にも殺された姿で発見されたのだ。この二つの事件は王国民にルラ・ライアスという黒い悪魔の恐怖を思い出させ、王国内は再び震え上がっていた。
「警備団も騎士団も、被害者が死刑を執行された者の家族という以外には何も手掛かりをつかめてないようだな。」
「それと、二件とも王都内で起こっている、ということくらいか。」
王宮内にある死刑執行人控室。死刑囚の牢にほど近い場所にあるこの部屋には今、僕とその補佐二人、そして警備員三人の計六人がいる。補佐のハルドとアレンは、ここ最近王宮内での話題を総ざらいしている事件について話をしていた。
もともと皇帝の傍以外の警備体制が全く整えられていなかったこの国では、犯罪の取り締まりの制度が確立されないまま警備団と騎士団が入り乱れて調査を行っている。この状態では取り締まりも捜査も混乱してしまうため政府も奮闘しているようだが、どちらの団もプライドからかその任を頑として譲ろうとしないらしい。僕にとっては好都合なことだ。
日差しが温かくなってきたのを感じ壁に掛かった時計に目を向けると、その針は下手くそな逆くの字を示している。
「ハルド、そろそろ時間だ。」
「あっ、本当だ。じゃあ迎え行ってきますね。」
警備員三人に合図をし、ハルドはこれから死刑が執行される男を迎えに行った。それを確認した僕がアレンに目を向けると、ルラにはなかった色がぴりりとこちらを見つめていた。
「どうした、アレン。」
「いえ…なんでもありません。処刑台に行って準備をしましょう。」
毒を飲み込んだような顔をして目を逸らし扉に向かったアレンに首を傾げつつ、僕もその後を追った。
「この男、グリード・ウーガルタは勤務している屋台で販売している飲み物に毒物を混入させ、無差別殺人を謀った。悪逆非道な行為により五人が尊い命を奪われ、その中には小さな子供も…」
「早く殺せ!!」
「卑劣な犯罪者が!」
「…ぅ…」
牧師が今から刑に処される男、グリードの罪状を述べる中、今日も今日とて罵声が飛ばされている。ルラのときとは比べ物にならない程少ないものの、毎回よく飽きもせずに同じ言葉を唱えるものだ。
慣れ切ったそれを冷めた目で見下ろしていると、隣の罪人が何かを呟いた気がして、そちらに目を向けた。俯いていて表情は見えないが、その体は震えている。
「極悪人を殺せ!!」
「死ね!!」
「この人殺し!!!娘を返してッ!!!」
「っ、違う、ちがうんだ!!!!」
罵倒の中にひときわ感情的な女性の声が響いた瞬間、グリードはばっと顔を上げ叫んだ。背は曲がり顔は青ざめ、その声は絶望に掠れているが、先ほどの呟きとは明らかに違い、緑の瞳には何かを伝えんとする意思が乗っている。
「僕はやってない、僕はあんなことはしない!!!!違うんだ…!!!」
「うるさい犯罪者!!!私の宝物を奪った罪、絶対に許さない!!!」
民衆が注目する中で大声で会話をして恥ずかしくないのかと不思議に思いながら叫び声の主であろう女性に目を向けた。その双眼は憎しみの涙に爛々と輝いている。無心に罵倒の言葉を浴びせる群衆よりもずっと理性が削り取られた顔をしているから、周りのことなど目に入っていないのかもしれない。
一心に向けられる憎悪に意思を射抜かれたらしいグリードは、目を見開きただ小さく首を振りながら、ちがう、ちがう、と呟いている。
そんな中牧師が彼の罪状を読み終えこちらに合図を送ったためハルドとアレンがギロチンの板にグリードを縛り付けはじめた。濁り始めた緑色に絶望を浮かべるグリードの様子を横目に見る。おそらくこれは冤罪なのだろう。今の警備体制ではこういった例を無くすことはできないと思われる。
そんな中、諦めに支配されていたグリードの意識を引き戻す声が処刑台へと届いた。
「兄さん…!!!」
「「グリード!!」」
「…ぁ…父さん、母さん…アーゼル…」
白髪の混ざり始めた夫婦に、グリードと同じ色彩の青年。家族だろうか。表情を失っていたグリードの瞳に一寸の光が宿ったとき、彼を縫い付けた板が傾き始めた。その様子を見て、夫婦の手を引いていた青年が必死の様相で柵を掴み乗り出した。
「やめてくれ!!兄さんはあんなことをする人じゃない、これは冤罪だ!!!」
「うるさいぞ小僧、邪魔するんじゃねぇ!!」
「そうだ、すっこんでろ!!」
「違う、兄さんじゃない!!やめてくれ!!!頼む!!!」
青年がどれ程声を張り上げようと、死刑判決は覆らない。縮こまって震えて泣いているグリードの首が固定されたのを確認して、僕はギロチンのスイッチに手をかけた。それを引くと同時に、叫ぶことを止めない青年とその少し後ろで顔を覆って寄り添っている夫婦を見遣る。日の光に照らされた緑色から深い悲しみが零れ落ちて、次の犠牲者が決定した。
人の不幸は蜜の味?