7話
視点が3回変わります。
初夏のある日、死刑執行の当日の朝。三人の警備を引き連れて私を牢まで迎えに来た青年は見知った顔を驚愕の色に染めていた。私が顔を上げたことで表情が崩れる直前、一瞬しか見ていないがその表情はきりっとしていてそれはそれは男らしかった。どうやら私の知らない数年で、革命やら何やらを経て彼は立派な大人に成長したらしい。
さらりとした黒髪に薄茶の瞳。成長して顔立ちも体格も変わってはいるが、昔の面影がところどころに見受けられる。紛れもなく私の兄、アレンだ。
「…メ、ル…?」
「こんにちは、死刑執行人補佐さん。」
メル、なんて懐かしい呼ばれ方にふっと笑みがこぼれた。驚いた顔のまま微動だにしない表情筋に内心拍手を送りつつ、男前だねえお偉いさん、と声をかけるが、衝撃の再会に思考が追い付かないのか返事がない。ただの屍のようだ。直立不動の屍ってなんてホラー。
後ろの3人は、兄の小さな呟きは聞こえなかったらしく、その様子を見て怪訝そうな顔をしていた。数秒待っても動かない彼を見かねて、3人のうち一人がアレンの肩に手を置き話しかける。
「アレン様?あまり時間はありません、罪人を処刑台まで送り届けなければ…。」
「…そうだな。今鍵を開ける。」
第三者に声をかけられて多少冷静さを取り戻したらしいアレンは、上着の内ポケットから鍵を取り出して鍵穴の前にしゃがみこんだ。鍵を差すのを数回失敗し、逆向きに回そうとするという過程を経て、ようやく錠が重苦しい音を立てた。正直あくびが出そう。
扉が開いたのを確認した警備員達がアレンと入れ替わりに扉の前に来たのを見て、私はゆっくりと腰を上げた。縄を持っているということは手でも縛られるのだろう。
「出ろ。」
「言われなくとも。」
変わらずゆったりと扉をくぐって牢を出た私の両腕が後ろ手にまとめられ、縄がかけられる。何の抵抗もせず、耐えきれなかったあくびを噛み殺している私に、アレンが眉を顰めながら疑問を投げつけた。
「何故そんなに落ち着いているんだ。まさか逃亡を企てているわけではないだろうな。」
鍵を開けるという単純作業をしたことで落ち着いたのだろうか、その表情はもう役人のそれになっている。兄がこうして上位のカーストに落ち着いて仕事をこなしている姿を見て、名前を偽っていて良かったと心底思った。私の自分勝手の巻き添えで彼まで風評被害が及ぶとか笑えない。
「別にそんなことしないけど…死刑囚が素直に言うことを聞くのってそんなに珍しいの?」
「この役目に慣れている俺が不審に思う程度にはな。」
ふーん、と気のない返事を返して小さな窓から空を見上げる。この天気なら私の虹彩は多分青みがかった色で彩られているのだろう。いい天気だ。なんだか気分が良くて、口角が上がり、目じりは下がった。
「死ぬにはいい日だ。」
私はその後、執行人補佐と警備員に連行された先で後ろ髪を刈られ、気付けのラム酒を飲んだ。
「死…ぅ、ルラ・ラ…。こ…は14さ…若…でじゅう…の家族…のちをむざ…も…」
「なにノロノロしてんだ、さっさとぶった切れ!!」
「いつまで待たせるつもりだ!!こっちだって仕事があんだよ!!」
「殺せ!!」
「早く殺せ!!」
「この悪魔!!」
薄く雲が流れる爽やかな水色を仰ぐ処刑台。ギロチンの前には手をロープで縛られたルラ。その傍には僕が、後ろには僕の補佐であるアレンともう一人の男が立っていた。処刑台のすぐ下では牧師がルラの罪状を仰々しく述べているが、周りに整えられた柵を乗り越えんばかりの勢いの民衆の声にほとんどかき消されている。
この国では民衆革命直後の皇帝一族の処刑以降、公開処刑の味をしめた人々が憂さ晴らし気分で罪人が死ぬ様子を見物に来るようになった。少し遠くに目をやると、付近の建物の窓はすべて開いて中から人が顔をのぞかせ、高い場所にあるベランダなどでは貴族が場所取りをして優雅にティーカップを傾けているのが見える。
見慣れた光景といえなくはないが、やはりこれほど世間を震撼させた犯罪者となると普段とは集まる人間の規模が違う。見目は愛らしい少女であるから罵倒をする者は少ないかもしれないと思っていたが、彼らにとっては罪人であれば他のことはどうでもいいらしい。
ちらりとルラを見遣ると、今朝の空模様をそのまま映したような瞳が楽しそうに輝いていた。どこかで見た色だ、と記憶を探っていると、彼女が徐に口を開いた。
「うん、悪魔っていうのは良いね。私は王国の歴史に悪魔として名を残せるかな。」
「暢気なものだな。今から死ぬのに怯えもしないのか。」
視線を民衆の喚起と期待の渦に戻しつつ、若干の呆れを混ぜた言葉をかける。数日間という短い時間だったがルラと心を交わした僕は、この質問が今更であるということなど百も承知だ。だが、こうして会話のできる最後のひとときくらいは自分に向けられる声を聴きたいのだ。
「ふふん、今更だね。」
知っている。
「でもまあ…怯えはないにしても、緊張はしてるかな。」
心の中で得意顔をしているところにに届いた言葉に、少し驚いた。死を恐れないこの少女でもそれが目前に迫れば緊張するのだろうか。そんな思考は続く言葉に否定されることになる。
「だって今から私を殺すのは君が操作する機械でしょ?結婚式の前とかってこんな気分なんだよ、きっと。」
「…そうだな、お前はそういう人間だよな。」
知っていた。知っていたが、複雑な溜息を禁じ得ない。
おそらく彼女と知り合ってから一番長い溜息で肺の中の空気をを吐き切ったところで、ふとさっきの既視感にピンとくるものが思い当たった。この程度でおぼえるには過ぎた歓喜に背を押され、ルラの瞳に視線を向ける。その薄水色が避難の色を滲ませていようと、そんなのは僕の知ったことではない。
「今のお前の瞳の色は、僕のものとよく似ている。」
そう伝えた瞬間、ルラの瞳の中で歓喜が避難を押しやったのが見えた。彼女の表情に一気に花が咲き誇る。
「今日は本当に、死ぬには良い日だなあ。私には勿体ないほどだよ。」
現在私の左側に立って私をギロチンの板に縛りつけているのは、血のつながった兄であるレオンだ。彼には弁解…ではなく、最後に伝えなければならないことがある。
右側にいるもう一人の補佐らしき人と共同で縄を巻いているので、そちらに聞こえないよう少し首を動かした。できるだけ唇を動かさないように注意しながら言葉を紡ぐ。
「お兄ちゃん、答えなくても良いから聞くくだけ聞いてて。」
数年ぶりに彼に呼びかけると、私を括り付ける手が一瞬止まった。…気がした。気がした、だけかもしれない。一瞬すぎて本当に止まったかどうかの確信も持てないほどだった。カントリーロードもあの町に続いてる気がするだけなんだと思う。十中八九あの町には続いてないんだから期待してはならない。
「あのね、私は自分が愛しすぎて凶悪な犯罪者に身を落としたけど、それでもお兄ちゃんのことは小さいころから尊敬してるよ。すごいなあ、かっこいいなあって。」
きつく縛られているためか少し動かしにくい首を回してに兄を見ると、懐かしい瞳とかちあった。それはすぐにそらされたが、幼い頃、私を一人家に残し出かけるときによく見た、申し訳なさげな、愛おしげな色を思い出して、胸がほっこりして思わず笑顔がこぼれる。
瞼を落として未だ幼いままの感情を辿る。多忙だった家族と共に過ごす時間は短かったかもしれない。両親が帝国兵に殺された時も、悲しくはなかったから涙だって流れなかった。それでも、そんなの辻褄が合わないと言われても、家族に対してのこの思いは紛れもなく私の本音なのだ。
「あのね、大好き。」
そう口にした瞬間、ぐっと縄を縛り終えたアレンが後頭部を鷲掴み、力づくで私の顔を板越しの民衆の方を向かた。んぎぁ、と舌を噛んだ猫のような声が出た。いたい。首の筋がイった気がする。今から切られる首だしどうだっていいけど。
民衆達は飽きもせずに、心を尽くした罵詈雑言を唾と一緒に放っていて、喉が枯れないのかと少し心配になる。
「…馬鹿が。そんなの俺だってずっと同じだ。」
ああ、やっぱり、ほんの一瞬見えた瞳が不自然に輝いていたのは見間違いじゃなかった。喉にひっかかったような声を聞いてそう確信したと同時に、私が縫い付けられている板が前へと倒れた。視界に入る木目が下に向かって移動した後、首元を冷たいものが固定するのを感じた。
「ロアン、君が優しい人になれることを切に願うよ。」
「なら僕は君が今幸せを感じていることを願う。」
見えない優しい言葉に目を細めていると、ガン、と何かがぶつかる衝撃音が耳元に響いた。一瞬遅れて視界が動き出し、もうついていないはずの全身に凄まじい痛みが走る。ごとりと側頭部に衝撃が走るが、そんなものは首から下に比べれば何でもないものだ。表情を歪めずにはいられない痛みのはずなのに、動くのは瞼だけ。耳鳴りに交じり、様々な声色の歓声が遠くから聞こえてくる。
数回瞼を開閉したところで、目の前に人がしゃがんだことに気が付いた。顔にかかった黒い髪をさらりと避けてくれるその手を感じた瞬間、私は人生最大のひらめきを得た。ああ、なんて幸せな日だろうか。
ロアニウス・ルーンシュタイン。どんなものにも代え難い最愛の感情を、私はそう呼ぶことに…___
僕がギロチンのスイッチを引いたことで、小さな頭が胴体から離れ、鈍い音を立てて処刑台の上に転がった。断面から血が流れ出ているそれにゆっくりと近づいてしゃがみこみ、狂気に取りつかれたように雄たけびを上げる民衆に気づかれないよう、自然な動きを装って顔を隠す髪を避ける。空色は、その中心にたたえる紺色に少しずつ浸食されていくところだった。
小さくても存外重量のある頭を持ち上げ民衆に向けて掲げると、叫び声が更に興奮したものに変わっていく。
ずいぶんと長い間心に巣くっていた気がする悩みは、もう消え失せていた。
ルラ・ライアスという小さく優しい、果てしなく愛おしい悪魔に憑りつかれた僕の人生の新章、理性を薙ぎ払ったその目でとくと見るがいい、恐れるがいい。そう笑った僕の顔は、理性を取り持っている者が見れば悪魔の笑みと評されたのかもしれない。
更新をさぼっていましたが、第一章はこのお話で完結です。ありがとうございました。
次話からは、メインの登場人物を新しく加えて第二章に入ります。