5話
短いです。
「ねえー私の死刑執行の日取りはまだ決まらないの?」
重苦しい鉄格子すら発泡スチロールに見えてしまいそうな気軽さで、床をごろごろ転がりながら死刑囚は僕に問いかけた。
今日の死刑執行は二件。それを終え、昼食をとってすぐにここに来た僕の目に飛び込んできたのは、床が冷たくて気持ちいいと頬を擦り付ける彼女だった。
「開口一番がそれか。」
「だってさあ…」
うつ伏せの状態で顔だけを上げて床に肘をつき頬を支え、彼女はこちらを見上げた。その瞳には灰色が輝いている。一見すると濁ったように見える色は、しかしその奥の澄んだ光が透けてちらちらと透明感すら垣間見える。
「君が来てくれるとき以外は暇だし、それにいつ執行なのか気になりすぎて夜も眠れないよ。」
こう言ってはいるが、昨夜書類の整理を終えた後ここに来た時に彼女は既に夢の中だったのを僕は証言できる。まだ夜の十時前だったはずだ。
「昨夜は良く眠っていたようだが。」
「は!?おまっ…寝顔見たな!?」
乙女の寝顔を!変態!犯罪者!
飛び起きてぎゃんぎゃんと騒ぐ少女からふいっと顔を逸らし、小さな窓から覗く曇天模様の空を眺めた。妙に頭が重いのはこの天気のせいだろう。今夜は雨が降りそうだ。
「…ね、ね、聞いてる?」
一通りの思いつく文句を言い終えたようで、大分落ち着いた声でこちらを伺う彼女に視線を戻す。
「ああ。聞いてなかった。」
「薄情者め。女性に優しくしない男はモテないよ。」
うらめしそうにこちらを見上げる顔を見返しながら、目の前の少女をからかいたい衝動にかられた。
「女に人気のある男が優しいというなら、僕はさぞかし優しいんだろうな。」
「くっ…!」
こいつ…!
冗談の通じない男という認識がいっぺんにひっくり返った。こいつ、私をからかっている。私、こいつにからかわれている。薄く口角を上げこちらを見下ろすこの男は、……この男…この、おとこは…。あれ?私もしかしてこの人の名前知らない?
ぎしぎしと音を立て歯を噛み締めながら睨み上げるのをやめた私を見て、彼は頭上にクエスチョンマークを浮かべた。
「自己紹介は優しい人間の基本だよ。」
「ロアニウス・ルーンシュタイン。職業は死刑執行人だ。よろしく頼む。」
「年齢は?」
「二十八だ。」
「ご趣味は?」
「特にない。」
優しくない男はモテないと言った時にはからかい返してきたのに、今度はちょろかった。自己紹介をしていないと気づいて後ろめたさでも感じたのだろうか。
お見合いのような短い尋問を終えた私はふむ、と考え込む。ロアニウス・ルーンシュタインか。なるほど。
「よし、じゃあロアンだね。」
「は?」
「私は今から君のことをロアンと呼びます。よろしいですね?」
おそらく今までに愛称で呼ばれたことがないのだろう。訳が分からないといった彼の表情が可笑しくて思わずはにかみながら、愛称で呼ぶ許可を請う。
「………ああ…分かった…。」
分かってない、分かってないだろ君。この呼び方は親愛を込めて呼ぶものなんだぞ。まあ許可が取れたので良いことにして、次の段階にすすむとしよう。未だ困惑気味のロアンを期待のこもった眼差しで見上げ、私は笑った。
「うん、それで?」
「それで?」
「君はロアン。じゃあ私は?」
困ったように揺れていた薄水色が、理解の色を示した。
考えてみたら、ロアンは私の名前を一度も呼んだことがない。国の役人が私の名前を知らないはずもないので、私の自己紹介は必要ないだろう。
「ルラ。」
たった二文字の単語に、私の脳は舞い上がる。顔に映した笑みが広がるのが自分でも分かった。
「ふふふ、合格です。これでロアンも優しい人間の仲間入りだよ、やったね。」
「そう簡単な話じゃないだろう。」
確かに彼の言う通り、相手に喜んでもらおうと強く願った訳ではないだろうから、今のは優しいとは言い難いかもしれない。でも、相手を喜ばせようとするのも優しさの一種、その術を一つ知ったのは大きな進歩と言えるだろう。誰が何と言おうとこれはロアンにとっては進歩なのである。多分。
「まあまあ、優しい人間に一歩踏み出したと思って。ね。」
そう言うと、ロアンはふわりと笑った。クリーム色がひとふさ、さらりと揺れたのが目に残った。
ロアニウス は 自己紹介 を おぼえた !