13話
処刑人が一家惨殺事件の犯人であると確信したあの日から、二週間と三日が経った。私は今、垣根に囲まれた屋敷を、道を挟んだ近くの建物の隙間から覗いている。毎日夕食を食べるとすぐに家を出て、時計が十二の上で重なるまで処刑人の屋敷を見張る。そんな生活も、不条理を巻き起こす犯罪者を止める希望が先に立てば苦ではなかった。
処刑人の断罪で頭がいっぱいだった私はウーガルタ一家の葬式にも出席しなかったが、きっとアレンは許してくれるだろう。むしろ、よく頑張ったねと褒めてくれるかもしれない。
手元の時計を見るともう十一時を回っているが、私の瞼は微塵の眠気も感じることなく開き続けている。と、そのとき、処刑人の屋敷の玄関が開く音が聞こえてきた。その音に反応して時計から顔を上げる。月明りの反射するまぶしい赤色を散らす垣根、その陰から現れたクリーム色を見て、私の胸は緊張と歓喜に震えた。補佐にも出かける旨を伝えていることから裏口を使うことはないだろうと予想をしていたが、その考え通りに表から出てきた処刑人に口角が上がる。
上着のポケットに懐中時計を押し込み、タオルで包んだ重みをしっかり胸に抱えて、黒いローブを纏った処刑人の後をつけはじめた。
たった今、ロアニウス様が出かけてくると補佐二人に伝え玄関を出た。前回の親子三人の殺害からまだ二週間と少し、今までとは比べ物にならない早さで次の犠牲者が決まったようだ。俺は今から誰が殺されるのか、だいたい予想がついている。家族の為に盗みを働き、その際誤って相手を殺してしまった男がいた。三日前のその男の処刑の際、双子と思われる幼女達とその母親が泣き叫ぶのを眺めていたロアニウス様の目は、妹の目元とどこか似ていた。
自分に与えられた部屋のドアを閉め、暗がりの中しゃがみこむ。俺の瞳は今夜の月明りを嫌い、床の木目をなぞった。
俺の両親は平民出身だったが、革命の際に活躍し平民の信頼を一心に集める存在となった。しかし、勝利の直後、メルを迎えに故郷へと向かった彼らは運悪く敵の残党と遭遇してしまい、二度とは帰ってこなかった。悲しみに暮れながらも前へ進もうとする人々を支えるべく、死刑執行人補佐という比較的重要な役割を担ってもう八年以上。より住みやすい国を作るための職の責任は自覚しているし、何をするべきかもわかっている。国の重役たちに真相を告げるべきなのだ。
頭に浮かぶのは、今から殺されるであろう家族のことと俺の妹であるメルの笑顔。一組の家族の命と死人への想いを天秤にかけるなど馬鹿げた話だと言われるかもしれない。だが、双方の軋みがギリギリと大きくなる脳内には、客観的視点を受け入れるスペースなどもう無かった。
「く、そ…」
妹と同じ色の髪を抱き込んだとき脳裏に浮かんだその考えは、本当に突飛なものだった。メルと同じように、死を経験したい、と。
瞬間、心臓を壊さんとするほどの軋みが嘘のように消え去り、その代わり憧れにも似た何かが胸の内を支配した。断頭台を目の前にしたメルは、こんな気分だったのだろうか。流れるように動く思考に任せてまず向かったのはキッチン。一番切れ味の良いナイフを手に取って、入ってきたのとは反対側の壁に張り付くドアを開け、裏庭に出た。ここなら血が飛び散っても後始末は楽だろう、なんて、面白いほどに冷静な自分の脳に苦笑しつつナイフを首に押し当てる。
「ルラ、俺は選べなかったのかな…それともこれは、お前を選んだことになるのかな。」
返ってこない返事を待つことなく、柄を持つ手を斜め後ろに引いた。
処刑人の跡をつけ始めて十五分は経っただろうか。家二件分ほど前を歩く処刑人は、こちらに気づく様子を一度も見せていない。私は尾行などしたことがないのに、ただ鈍いだけなのかそれとも気づかないふりをしているのか、前者であることを願うしかない。処刑人が格闘技に優れていれば護身術をかじっただけの私では敵わないのだから。
緊張に歯を強く噛み合わせながら物陰に隠れて処刑人の行く先を見つめていると、彼は突然道から外れ路地裏へ入った。慌ててその後を追おうとすると談笑しつつ申し訳程度の巡回を行っている警備団が視界に映る。彼らの目から逃れようとしたのだと納得し、姿勢を低くして気づかれないよう注意を払いつつ、処刑人の入っていった路地へと足を進める。
再び視界に捉えた処刑人は、着ているローブのフードを被り長い髪をしまうところで、全身黒に覆われた後ろ姿はともすれば見失ってしまいそうだ。顔を隠したということは標的の家が近いのかもしれない。
ここは人通りも明かりもない路地裏。やるならここしかない。そう思うが早いか、私は胸に押し当てていたナイフからタオルをはぎ取り、処刑人に向かって駆け出していた。
「…?」
こんな路地裏で人の足音が聞こえたことに驚いたのかフードに隠された顔がこちらを向こうとする。だがその動作が終わる前に、彼に向けた刃は目標を達成した。
「!?ぐ、ふっ…」
肉を切り裂く生々しい感触に体がぶるりと震える。一瞬で収まるかと思ったのだが、この恐怖はどうやらそんなに生易しいものではないらしかった。だがここで負けてしまっては意味がない。私は彼を断罪しなければならないのだ。
「あなたなんてッ、断罪者じゃ、なぃ…わた、私こそが、真のだんざ、しゃ、なんだわ…!!」
自分でも聞き取りづらいほどに震えた声が脳に響き、恐怖しているのだという実感がぞわぞわと体中に駆け巡って思わずナイフから手が離れる。そのはずみで目の前の身体ががくりと膝をつき、宙を見上げた頭部からフードが滑り落ちた。
「ル、ラ…」
処刑人の発した聞き覚えのある響きに視界が揺れた。一家連続惨殺事件の悪魔、ルラ・ライアス。たった二文字の単語で、私は全てを理解した。こんな性格の処刑人が連続殺人を引き起こすなど、おかしいとは思っていたのだ。
今までの出来事がカチリと音を立ててあるべき場所に収まったような、そんな感覚。それに後押しされて為すべきことを思い出した私は、哀れな操り人形の背中を貫くナイフを力任せに引き抜いた。その拍子で激痛が走ったのか処刑人が声にならない声をあげ、私は私で肉の感触と掌に滑る液体に体が竦む。負けてはならない、ここで負けるわけにはいかないと自身に言い聞かせてナイフを振りかぶったところで、幸せそうな声が耳をかすめた。
「その色は…見たこと、が、無かった…」
「あなた…あの悪魔に憑りつかれてたのね…」
「その色をみて、はじめて、気づいた…お前、は…兄に、よく似てるな…」
噛み合わない会話に、もうこれ以上時間を使う意味は無いと、頭上に掲げた腕に力を籠める。
「今、解放してあげる。」
思い切り振り下ろしたナイフが頭蓋骨を砕く直前、ちらりと見えた処刑人の目元は私には計れない愛情を宿しているように見えた。
その色に困惑したからなのか、初めて人を殺し動揺したからなのか、近くの家の二階の窓のカーテンが薄く開いていることに、私は全く気付かなかったのだ。
悪魔の再来だと国、主に王都を騒がせた事件は、三件の犠牲を出して終焉を迎えた。
再来の悪魔の補佐を務めていた俺は、彼が亡くなった今処刑人として取り立てられている。今日の処刑は一件のみ。その仕事を済ませ、家から作ってきた昼食を食べようと、雇った補佐二人を引き連れ控室に向かう。補佐達もだいぶ打ち解けてきたようで、俺の後ろで腹が減ったやらあの侍女がかわいいやら、雑談に花を咲かせている。
悪魔の件は公には、偶然捕まったひったくり犯が真犯人で、証拠の提示と拷問により連続殺人の罪を認めたとして処刑された。それはおそらく国がロアニウス様が真犯人であることを恐れたからだろう。騎士団と警備団が手柄を上げようと躍起になっていたところに、国王や重鎮達が待ったをかけたのだ。被害者は全員死刑に処された者の家族という事実、事件の終焉と重なるロアニウス様の死。そこに証拠が一つでも出てきてしまえば、国王の信頼する重役が犯罪を犯したということで国が混乱しかねなかったのだ。
愚直で鈍い人間のふりをしていた俺の失敗は、青い髪の女にロアニウス様が夜屋敷を留守にすることを話してしまったというその一点につきるだろう。より近くで人間を観察したいがために馬鹿のふりをしたというのに、あの女が屋敷を出たロアニウス様をつけていったのを見たときには、自分は本物の馬鹿になってしまったかもしれないと驚愕した。ロアニウス様に絞殺は一番物音が立たない殺し方らしいですよ、とか、警備団も路地裏回らないなんてぬるすぎですよね、とかいろいろと吹き込んだのが全て水の泡である。
「あの人は割とシビれたからこそこそ手ぇ回してたのにな…」
「ハルド様?何か仰いましたか?」
「いや、腹が減ったと思ってな。」
「そうですね、部屋に戻ったらすぐお昼にしましょう!今日はサンドウィッチを作ってきましたよ。」
そう笑う補佐に楽しみだと笑い返して前を見る。まあ、いつの時代も見ていて飽きない人間はいることだし、また探せばいいだろう。王宮一の美人と評判の侍女とすれ違いざまに軽く挨拶を交わし、俺はく、と喉を鳴らして小さく笑った。
二章完結です!!
ハルドには三章の物語も見せてあげたいなあと思って目立たせました。楽しみだねハルド君。