12話
途中で三人称語りが入ります。
「いらっしゃいませ!…クロゾさん…?」
「レイアちゃんッ!」
まだお客さんの入っていない開店直後の時間帯、常連のクロゾさんが顔を青くして店に飛び込んできた。私の条件反射の笑顔が消えたのは、彼の表情が悪い知らせを運んできたと語っていたからだ。乱れた息を整える間も惜しいというように、彼は途切れ途切れの言葉を発した。
「っ、お前さんの恋人、家って、…赤い屋根、の、宿屋の向かい…だったか…!?」
「え?ええ、そうだけど…」
私がそう肯定した瞬間、クロゾさんの顔が悲壮に歪んだ。最愛の恋人の笑顔が脳裏に浮かぶが、それとは真逆に私の顔は青ざめた。彼に何かあったのだろうか。先ほどより少し息が整ったらしいクロゾさんが重く口を開く。
「さっきその家の近くを通ったんだが、警備団の連中がいて…あの家に住んでる親子三人が、殺された…って…」
クロゾさんの言葉を聞いた私は、店長夫妻に断ることも忘れ店を飛び出した。向かう先はアーゼルの家。そう遠くないはずの距離が永遠のように感じ、額からは嫌な汗が噴き出した。何かの勘違いであってほしい、そんな願いをあざ笑うかの如く運命は進んでいた。
アーゼルの家に着いた私が最初に見たものは、大きな布を被せられ担架で運び出される三つの何かだった。
「この件は我々警備団が先に見つけた!騎士団はお呼びでないのだ、帰れ。」
「なんだと!?犯人との取っ組み合いになりゃあ役に立たない警備団ごときが偉そうに…!っ、おい、なんだお前は!」
「うるさい、通して!」
「おい、部外者がいるぞ!何だこの女は!」
玄関の扉の脇で言い争いをしている各団の団長を無理やり押しのけた先で一つの担架の布を払いのける。愛する人が、鮮やかな髪色に似合わない色を失った顔で祈りを捧げていた。
自分の意識が遠のいていくのにも気づかずに、変わり果てたその姿を呆然と見つめた。
「レイアちゃん…今回のことは、本当に……落ち着くまでお休みをあげるから、しばらくはゆっくり休みなさい?今日ももう帰って良いのよ?」
目が覚めたときには、レイアは定食屋の控室のソファに横たえられていた。髪をを結っていた紐は外され、脇のテーブルの端に垂れている。彼女は定食屋の奥さんの言葉にただ小さくうなずき、無言で身支度を整えた。店長は家まで送ると言ったが、一人でいたかったレイアは一度だけ首を横に振り、夫妻に見送られながら裏口から店を出た。随分と長い間気を失っていたため、太陽は建物の向こうから僅かな薄紫を放射するだけになっていた。今にものまれそうなそれを数瞬眺めた後、彼女は路地裏を歩き出した。その瞳は暗い青色が覆いつくしているし、足元もふらふらとおぼつかない。
「……アーゼル…」
彼女自身の耳に細く響いた呟きに、脳裏にはアーゼルの死に顔が浮かび上がる。首にひどく擦れたような跡があったから、首を絞められたのだろうか。両手が胸の上で祈りの形に組まれていたが、あれは死者の魂が浮かばれると言い伝えられている行為だ。アーゼルを殺した犯人がやったのだろうか。何故そんなことを。
最も重要かつ単純な事実を無意識のうちに避けながら思考を繰り返していたレイアだったが、脇の家から聞こえてきた笑い声にそちらを見遣る。ふと、何かを思い出したような気がしてレイアは足をじわりと止めた。冷めた心には温度の高すぎる温かい光を優しく遮る、パステルカラーのカーテンに彼女の視覚が揺れる。
「ママ、おかわりちょうだい!」
「あら、まだ食べるの?」
「ははは、食べ盛りだなあ。ほら、パパが持ってきてやろう。」
「や!ママがいいの!」
父親のショックを隠し切れない声が窓ガラスを通り越したあたりで、二つ居並ぶ青に光が灯った。光を宿す薄水色のカーテンが以前見た色と重なった。『あの人なら出かけてくるってついさっき出てったから…。』『ここ最近でもう三回目さ。』大きな屋敷で耳にした言葉が彼女の体中を駆け抜ける。まさか。まさか。
思考が纏まるより前に、レイアのつま先は処刑人の屋敷への道筋を示していた。
触れるのは二度目になるベルの紐を引いた私には、今日は目的の彼が出迎えてくれるという妙な予感があった。だから、木製のドアを開けた人物を見たときに感じたのは確信であった。神が事実を知り為すべきことを為せと示してくれたのだ、と。
「どちら様でしょうか。」
「突然申し訳ありません。どうしても貴方とお話がしたくて。」
はあ、と返事かも分からない声を吐いた処刑人を見上げる。色素の薄い整った顔を困らせているのを見る限り、恥じらいを隠そうとする町娘の演技は見破られてはいないようだ。よし、と心の中で拳を握り、道中で考えた会話を続けるべく唇を開いた。
「あの…貴方は何故処刑人に?」
「…父親が革命に協力した貴族でしたので、そのご縁で。」
「人を殺す職業ですよ…?恐怖はなかったのですか?」
「いえ…別に。」
「それは今でも、ですか?」
「はい。」
突然何を言い出すのかと戸惑ってはいるようだが律儀に一つ一つ答えてくれる処刑人。この男に不審を抱く心はないのかと内心眉を寄せながらも、流れとしては思った通りに運べているため本命の質問を口にした。
「人を殺すというのは、どういう感触なのですか?」
「それは、なんというか…いえ…僕はギロチンのスイッチを引くだけなので感触までは。」
正直呆れた。明らかに何かを隠そうと狭い範囲を泳ぎまわる目の前の薄水色は、今まで一度も嘘をついたことがないのだろうかと思うほどに慌てていて。こんな人が死刑執行人という職に就き、更には罪の無い人を殺すだなんてどういうことだろうか。
その動揺は、しかし残虐な犯人が目の前にいるという確たる事実から湧き出る憎悪に浸食されていく。断罪する側のはずの人間が犯罪に手を染めるなんて、そんなことはあってはならない、と。このまま長居しては無計画に何をしでかしてしまうか分からない、そう冷静に判断した私はもう帰る旨を伝える言葉を模索した。
「そ…そうですよね。おかしなことを聞いてすみません…また来ます。」
そう早口で言い切ると、呆気にとられた顔をしている彼に一礼して玄関に背を向ける。明らかに不自然な別れ方になってしまったと一瞬焦ったが、あの処刑人なら多少不審に思えどすぐに忘れるような気がしてそのまま歩を進めることにした。
そのまま正面の垣根をくぐった先で見つけた人物に私は、同じ懸念を抱いているなら協力を仰ごうと駆け寄った。
パン三日分に卵に、肉と野菜を適当に。それから紅茶の買い置き。使用人を雇っていない屋敷での俺の担当となっている買い出しの帰り。買い忘れがないかを何度も確かめながら歩くとあっという間に道は過ぎ去り、屋敷の屋根が見えた。
別に心配性なわけでも几帳面なわけでもない。もう一度買いに出かけるのが面倒くさいからでもない。こうして何かを考えていないと、心臓に巣食う葛藤に全身を埋め尽くされてしまうような気がするのだ。
自らの心の弱さに視線が下がりかけるが、椿の垣根に隠れた玄関から見慣れない青が姿を見せたことで俺の目はそちらに向けられた。青いストレートの髪を冷たい風に揺らす綺麗な女性。知り合いではないからロアニウス様に一目惚れでもして押し掛けたのだろうか。その女性は、道に出て俺の姿を捉えたとほぼ同時に、何を思ったかこちらに駆け寄ってきた。
「あのっ、死刑執行人様の補佐の方ですよね?」
俺の目の前で立ち止まった際に少々邪魔そうに揺れた髪を少しも気にすることなく彼女は話しかけてきた。真っ青な目に宿る光が少しうるさい。一体何だというのだ。
「そうだが、ロアニウス様になにか用事でも?」
「い、いえ、別にそういうわけでは…」
眉を下げ視線をそらすその仕草はどこか嘘くさくて警戒心を呼び起こしたが、俺が先手を打つべく言葉を発するよりも彼女の質問が俺の心を抉る方がやや早かった。
「補佐様は、最近また起きている一家惨殺事件についてなにかご存知ないですか?」
「あれか…すまないが何も知らされてない。俺達は死刑を執行するだけの立場で、調査への介入は許されていないんだ。」
マフラーに隠れた喉元がひくりとひきつるのを感じた。今喋った言葉は震えていなかっただろうか。違和感はなかっただろうか。そんな心配を余所に、目の前の女性は残念そうな顔を作っていた。
「そうですか…突然すみませんでした。」
「いや、こちらこそ力になれなかったみたいで。」
良いんです、と笑って軽く会釈をしてから去っていく後ろ姿を呆然と眺める。
俺は何をやっているんだ。一介の町娘まで心配して調べ回っている殺人鬼を、正体を知りながら見逃している。断罪者としての自分と、アレン・ライアスとしての自分が胸の中でぎしぎしと音を立てて軋んだ。
なんでもできちゃう天才の処刑人は他人の心が分からない。