10話
薄い窓ガラスは夜の冷たい空気は防いでも、重い空色までは遮ってくれない。小さなランプを灯しただけのアーゼルの部屋で、私たちは理不尽に苛まれていた。
「兄さんがあんなことをするはずない…絶対に冤罪だったんだ、それなのに…」
アーゼルの兄であるグリードさんが、毒物を使った無差別殺人の罪で処刑されてもう二週間が経つ。アーゼルもその両親も、外にいるときには普通に振舞っているが、その実、グリードさんが罪を着せられ処刑されたショックから立ち直れないでいる。ベッドにもたれ項垂れるアーゼルの頭を優しく撫でると、私の好きな色の瞳から涙が零れ落ちた。
「ごめん、ごめんなレイア。こんな…落ち込んだって今更どうしようもないのに…」
「良いのよ。悲しいときは泣かなきゃ…」
右手で少し癖のある感触を撫でながら、それに、と続けた。
「納得できない気持ちは私も分かるわ。グリードさん、何年間もここに通い続ける私にも嫌な顔一つせず優しくしてくれたんだもの。」
あの人は無差別殺人なんてする人じゃない。絶対に、何か勘違いがあるのだ。
兄の首が落とされる瞬間を思い出して夜眠れないというアーゼルが寝付いたのを確かめた後、私は死刑執行人とその補佐が三人で暮らしている家へと来ていた。厚いコートを着ているとはいえ、今は冬、風が吹くと寒気がしてぶるりと体が震えた。赤い花をつけている垣根をくぐり、他の家と比べると一回り大きい屋敷を一度見上げてから、ドアの脇にあるベルを鳴らす紐を緊張しながら引く。リン…と小さな音が屋敷の中から届き、大きな音でなくて良かったと深夜の暗がりの中少しほっとしていると、トントンと階段を降りる音が聞こえた。
時刻は深夜零時をまわり、こんな時間に家を訪ねるなんて非常識だと理解はしている。やるせない気持ちをどこかにぶつけたい、いわば八つ当たりのような行動だ。明日反省しよう。死刑判決を下したのは死刑執行人ではなく裁判長であるというのも知っている。だが、裁判長は王宮に住んでいるため会うことは叶わないのだ。そんな、感情だけで無礼な来訪をしてしまったうしろめたさを感じる私の目の前で、鍵の開く音がした後に木製のドアが小さく開いた。
「こんな時間にどちら様?」
薄く光りを漏らすドアの隙間から覗いた目は、しかし私の望んでいた色ではなかった。こちらを用心深く睨む紺色の瞳の持ち主は、確か死刑執行人補佐のうちの一人だったはずだ。わずかに落胆しながらも、私はできるだけ小さな声で話した。
「こんな時間に申し訳ありません…。死刑執行人の方とお話がしたいのですが。」
「ロアニウス様?あの人なら出かけてくるってついさっき出てったからいませんよ。」
「え?こんな時間に?」
処刑人の予想外すぎる動向に思わず少し大きな声を上げてしまった。目を見開く私に、補佐の男は少しだけ警戒を解いてうなずいた。ふっと私から視線を外し月を見あげる紺色。その表情には、少しだけ羨ましさがにじみ出ているように見える。
「ここ最近でもう三回目ですよ。意中の女性でも見つかって逢瀬してるのかねえ。」
「そ…そうでしたか…こんな夜中に、本当に申し訳ありませんでした。」
何に対して羨望を抱いているのかと思ったらそんなことか。死刑執行人の補佐として働いている人間も、考えることは普通の人と同じなのだと理解し、いつの間にか力んでいた肩から少し力が抜けた。
「いや、良いんですよ。男だったら問答無用で追い払ってたところだがこんな綺麗なお嬢さんじゃねえ。ロアニウス様に来訪があったと伝えます?」
「いいえ、結構です。ありがとうございました。」
なんだか拍子抜けしてしまい、お門違いな行動はやめにしようと思ったため補佐の男からの提案は断った。もう一度だけ非礼を謝罪しおやすみなさい、と頭を下げると、彼も軽く頭を下げた。扉が閉まり、カチャリと静かな音を立てる。
きっと神様が、強い気持ちを感じると暴走してしまう悪い癖を咎めたのだ。グリードさんの理不尽な死は悲しすぎる出来事だが、今私にできることはアーゼルと両親を支えることだろう。明日も仕事が終わったら彼の家にお邪魔しようと決心し、私は屋敷を後にした。
ここ最近復活したと噂される悪魔の正体に心当たりがあると言えば周りはどんな顔をするのだろうか。自分が補佐として仕えている死刑執行人の様子は、俺の妹、ルラが処刑された頃から随分と変わった。それ以前は不愛想で他人に興味がないような態度を取っていたが、今では優しげな笑みを浮かべた姿をよく目にする。だが、その優しさを絵にかいたような瞳の奥には、狂気が見え隠れするようになっていた。
この心当たりは、ただの勘というわけではない。あの人はここ最近で二回、深夜に、補佐二人に要件は伝えずに邸宅を離れていた。その両方とも、次の日に一家が惨殺されている現場が見つかったのだ。
今日もどこか舞い上がったような様子で、夜は留守にすると僕たちに伝えてきたロアニウス様は、他人の言葉を疑うことを知らない人だ。自分が疑われているとは思っていないのかもしれない。星空が寒く輝く下で、見慣れないローブのフードを被った黒い彼は、僕が後をつけているのにも気づかずに、路地裏へと入っていった。
次回、グリードに着せられた罪についての説明のおまけ回。