享楽の罰
朝が来た。
ブレイズ教会の朝は早い。シスターと孤児全員で昇る朝日に向かってお祈りをすませ、それから朝食の支度が始まる。
食堂では、孤児の子供達が忙しく配膳の手伝いで動き回っている。
そんな慌ただしい朝食の場に呼ばれた俺達は、目の前に置かれた物体を目にして絶望していた。
どうしてだろう。どうして俺はシスターを信用してしまったのだろう。
恐らくこれは見せしめなのだ。
孤児院のガキ共に、偏った食生活をする者がどんな末路を辿るのかを教える為。
俺達は、生贄に選ばれてしまったのだ。
「残しちゃいけませんよ。栄養あるんですから」
モイカ棒。
どのご家庭にも用意されている、非常食兼保存食かつ、懲罰用の食品である。
細長く、滑らかな棒状をしている。
モイカの樹の太枝を皮を剥いてから煮込み、干して作られるこれは、非常に安く、長く保存が効いて、しかも人間が生きるのに必要な栄養素が全て揃っている完全食品だ。
内側に樹液溜まりが存在していて、先端に切れ目を入れてこれを吸い出すという食べ方をする。
そんな素晴らしいモイカ棒だがこれを非常時以外に好んで食べる人間は存在しない。
不味いのだ。あまりにも、不味すぎるのだ。
匂いは生臭い。味は恐ろしく苦い。しかも樹液はドロドロしており、舌に纏わりついて長く味が残る。
モイカ棒さえ有れば人は生きれるが、モイカ棒しか食えないなら死を選ぶ。そう言われる食品だ。
樹液をオブラートに包むとかカプセル状に加工するといった研究も進められたが、樹の枝から取り出した時点で信じられない速度で劣化するという性質を持っており、直接口で吸い出す以外の食べ方は見つかっていない。
昨日、確かにマキナさんは栄養の有るものを食べさせてくれると言った。
だからといって、これは無い。
「うわ、本当にモイカ棒だ。死ぬ気かな」
「あれ、本当に食べるの? 正気?」
「誰が吐くか賭けよー!僕は清十郎に300!」
ガキ共が好き勝手な事を言う。
特に賭けを提案したセイル、覚えてろよ。
完食して損させてやるからな。
「誰か、1000、いや、2000マール出す!妾の代わりにこれを……!」
あやかし丸があまりに見苦しい姿を見せる。
そんな不正を、マキナさんが見逃す筈がない。
「駄目ですよ、あやかし丸ちゃん。食べる気が無いなら、無理矢理食べさせます」
マキナさんの鋼の腕が、あやかし丸にモイカ棒を握らせ、口に近づける。
必死に抵抗しても、馬力が違いすぎる。
機械の無慈悲なパワーが、モイカ棒をあやかし丸の口に近づける。
「嫌じゃ!食いとうない!生臭い、近づけるな!助けて、助けてくれ清十郎!嫌、い……ンググ」
モイカ棒が口の中に突っ込まれ、チューブを絞り出す要領でモイカ棒が握り潰された。
結果、中身が一気に口に注がれる。
「ン……ンン、苦、ウエ、んぐ、んぐ」
不味い、ああ、素直に、不味い、少しづつ飲めば、不味い、苦しまなくても、不味い、不味い、済むのに、不味い、抵抗するから、不味……くない、脳が危険信号を発して味覚を停止した、そんなに苦しむのだ。味覚が停止してる間に全て飲み込む。
ククの方は激辛調味料のデスレッドペッパーで味覚を殺してからモイカ棒を食べている。コイツは昔から悪さをしては食わされていたので慣れてるのだろう。
「皆、ちゃんと好き嫌いせず何でも食べないと、モイカ棒で栄養補給することになりますよ」
はーい、と元気なガキ共の返事が響き渡る。
どうやら子供達は駄目人間3人組の末路からちゃんと教訓を学んだらしい。
いつも緑ニンジンをセイルにこっそり食べて貰ってるミナが、今日は自分で食べていた。
気になってる女の子に頼り甲斐を見せるチャンスを失ったセイルは少し悲しそうだ。
人を賭けの対象にした罰だろう。ざまあみろ。
○
朝食を終えて、皿洗いを手伝った俺達は、そろそろお暇することにする。
「おい、そろそろ帰るぞ」
「あ、ああ……」
最も苦しいモイカ棒の食べ方をさせられたあやかし丸は、目の光を失っている。
返事も上の空で、聞こえてるか怪しい。
「あら、もう行くんですか? また、いつでも帰って来て下さいね。ここは、あなた達の家でもあるんですから」
また来て、ではなく、いつでも帰って来て、というその言葉が、家族の繋がりを感じて何となく嬉しい。
「今度は、もう少しこまめに顔を出します。もうモイカ棒を食わされるような食生活はしません」
「嫌……やだ……近づけるな……」
今回でトラウマを植え付けられたあやかし丸の為にも、二度と不養生はすまい。
「アタシもちょくちょく来てガキ共と遊んでやるかな、じゃ~な、シスター」
ククが箒に乗って飛び去る。
残された俺達に、マキナさんが語りかけてきた。
「清十郎ちゃん、約束はちゃんと守っていますか?」
約束。俺とマキナさんの間で単に約束と言えば、指す物は決まっている。
「はい、ちゃんとお天道様に顔向け出来るように、極悪人だけを選んで、出来る限り大義名分を持って殺すようにしています」
それは、殺しに関する取り決め。
シスターであるマキナさんが、人を殺さないと生きられない俺に誓わせた誓約。
「よろしい。貴方が人を殺さなければ生きられないのは、仕方がない事です。人には誰にでも生きる為に抗う権利が有るのですから。それ自体の是非については、とやかく言いません」
仕方が無い、というのはある種万能の言葉だ。それを唱えてしまえば、あらゆる物事を自分の中では正当化してしまえる。
「でも、仕方が無いからと簡単に人殺しをするようなら、貴方は人間じゃ無くなります。
ただの化物です。偽善でも傲慢でも、大義名分を求める心を忘れてはいけませんよ」
マキナさんの鋼の顔には表情が無い。だけど、その仕草と声で、本当に俺の事を心配してくれているのが伝わってくる。
俺の今の生き方は、妥協の産物だ。
人を殺してでも生きて欲しいというお母さんの願い。
むやみに人を殺してはならないというマキナさんの聖職者としての教え。
この2つに板挟みにされた俺が選んだ妥協点が、極悪人のみを、大義を持って殺すというもの。
多分、お母さんが俺をマキナさんの所にやったのは、こうした倫理を叩き込んで貰って、俺が殺人狂にならない様に歯止めを掛ける為だったのだろう。
「絶対に忘れませんよ。もう一人のお母さんとの約束なんですから」
「もう、私はお母さんなんて歳じゃないのに……お姉ちゃん、が妥当でしょう」
いや、それは年齢的に無理が有る。
シスターは聖職者であって、姉妹では無いのだ。
勿論、口には出さない。文字通りの鉄拳制裁はゴメンだ。
俺は見送るマキナさんを時々振り返りながら、道を歩いて曲がり角を曲がって……10秒程待ってマキナさんが中に戻った事を確認してから教会の前に戻った。
懐から「脚長おじさんより」と書かれた現金入り封筒を取り出して、寄付金入れに突っ込む。
ここで世話になった恩返しで儲けがあったらある程度寄付する事にしているのだ。
本当は直接渡したい所だが、中々受け取って貰えないのでこうして匿名で寄付しないといけない。
曰く、恩返しなんか要らないから、その分困ってる人を助けてあげて、とのこと。
……そうは言われても、心が咎めるんだよなぁ。
この孤児院の運営費がどうなってるのか知らないが、庭から湧き出している訳では無いだろう。
お世話になった恩返し=金というのもどうかと思うが、金は万能なのだから仕方あるまい。
今度こそ去ろうとすると、ククも戻ってくるのが見える。
アイツも同じ事をしてるんだろうな。
「結局今回の儲けほとんど寄付してしもうたのか」
「俺達が持ってるよりずっと有意義な使い方してくれるよ」
「まあそうじゃの。妾達では生活費除いたらゲームくらいにしか使わんじゃろうし」
「ゲーセンにでも寄ってから帰るか」
まだ朝早いが24時間営業のゲーセンが近くにある。
「新作入ったからファーストプレイ、ワンコインクリアやってみようぜ」
「あれは都市伝説じゃろう。STGベリーハード初見クリアなど出来る筈がない」
「伝説は塗り替えるもの、俺が最初の一人になってやる」
繁華街の方角に足を向ける。
今日は懐が暖かい。思う存分遊んでやろう。
○
一時間程して、俺達はゲームセンターから出ていた。
「絶対におかしい。あの時絶対にボム押したって。あの台のボタン、ヘタレてるんだよ」
「いい加減負けを認めんか、見苦しい。というか2面でボム使ってたらクリアなんぞ無理じゃろ」
結局ファーストプレイ、ワンコインクリアは失敗した。
ゲームセンターの整備不足のせいだ、そうに決まっている。
事務所への帰り道を歩くと、人だかりが出来ている。なんだろう。
背伸びして、前のエルフの肩越しに人だかりの中心を見ようとする。
そこに居たのは……ああ、見なけりゃ良かった。
「獣人が斬られたんだってよ」
「可哀想に、まだ若いのに」
そこに倒れていたのは、紫のローブを被ったハイエナ族の女性。
昨日、市場で狼族の奴隷詐欺の売り子をしていた子だ。
周囲の血の乾き具合を見ると、斬られてそう時間は経っていない。
ああ、糞。なんで昨日顔を見た人が殺されてんだよ。完全に知らん奴なら可哀想ですんだのに。気分が悪い。
この国は治安が悪い。あらゆる世界の技術によって信じがたい速度で拡大する街に、警察機構が全く追いついていない。
ヤクザが非合法な賭博現場で腕を斬られた位なら警察は放っておく。密入国者が殺された位なら、大した捜査も行われない。
だからこんな風に道端にハイエナ族の死体があるというのは、そんなに珍しいことでは無い。
……この人、身内はいるのかな。
いないのであれば、この人の死体は適当に焼かれて終わりだ。
俺は一応ブレイズ教の神官としてマキナさんに認められており、葬儀くらいはしてやれる。
警察に行って身内がいなければ、引き取ってうちの教会で火葬してやるかな。これも人助けだ……そう考えて、気付いた。
まだ、生きている。
僅かに、胸が上下して呼吸をしている。
誰も助けようとはしない。
当然だ、この子の身なりはあまり良いものでは無く、どう見ても治療費なんて持っていない。
この世界に皆保険制度なんて素晴らしい制度は存在しないので、全治数ヶ月の負傷で無保険なら、目玉の飛び出るような金額を請求される。
親切心で医者に連れて行く位の優しさは有っても、身銭を切る程の余裕がある奴は少ない。
俺だって面倒くさいし、厄介事に巻き込まれたくない。だけど、
マキナさんに、言われてるんだよなぁ。
私に恩返しをするくらいなら、同じように困っている人に親切にしてくださいって。
タダより高いものは無い。マキナさんから受け取った無償の愛は、お母さんの望みと同じ程に俺の生き方を拘束する。
「あやかし丸、助けるぞ。医院に連れて行く」
「金、足りるかの?」
「昨日の儲けの残り全部吐き出せば足りる」
「……ちょっとくらい贅沢な暮らしが出来そうだったんじゃがのう」
あやかし丸が呆れ顔でそう言う。
「そんな事を言わないでくれ、俺だってこんな事したくない。できるなら受けた恩を厚顔無恥で踏み倒す、そんな気楽な生き方がしたい。でも、そんな人間になれないんだから仕方がないだろ」
「了解、全く面倒くさい性格だの、清十郎は」
「苦労をかけるな」
「よい、妾は刀、使い手がそうすると決めたなら、従うまでじゃ。それに……女子供を斬り捨てた輩。これぞ、斬って捨てるにふさわしい極悪人じゃろう。そのためなら、あの娘を助けて関わるのも悪くない」
「ああ、そうだ。トラブルの先には、きっと極悪人が居る」
俺達は野次馬をかき分けると、ローブの女の子に声をかける。
「しっかりしてください。今、治療できる場所まで連れて行きます」
俺の声は聞こえていないようだ。
無理にでも連れて行こう。
持ち上げると、とても軽い。
これだけの怪我をしてると下手に動かさない方が良さそうだけど、この区画では救急車なんて用意されていない。米俵の要領で担ぎ上げる。
ここから一番近い医院は……あそこか。
行くべき場所を思い浮かべて、走り出す。




