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―――翌日、火曜日。
朝、俺が家を出る時間に合わせてナルが朝食を作ってくれた。
出勤する時も玄関でナルのおでこに軽くキスをして
「行ってくるよ。」って俺が言ったら、
にっこり笑って「いってらっしゃい。」と見送ってくれた。
まるで新婚みてー。
俺は仕事をしながらにやけそうになる顔を抑えるのに苦労した。
ちょっと気を抜けばすぐに顔が緩みっぱなしになる気がしたからだ。
昨夜はナルの“突然クビ事件”に驚いたけど、
こんな生活が待っているなら、まんざらクビになったことも悪くないように思える。
別にこのままナルが働かなくても、ナル一人くらい十分食わせていける。
なんならいっそこの流れに乗って、プロポーズまでしようかとも
一瞬・・・いや、思いっきり考えた。
だけど、それじゃきっとナルは納得しないだろう。
それに、ナルは「今日からまた大学時代に戻ったつもりで就活ですっ!」
と、両手で握り拳まで作って張り切っていたし・・・。
俺って・・・焦りすぎなのかな・・・?
それから数日後―――。
俺と今井先生、澄子ちゃんの三人はナルの会社・・・
もとい、元会社へ行った。
矢野との打ち合わせの為だ。
本当は昨日行う予定だったけど、矢野曰く、
「愛美ちゃんがいなくなって、営業部がうまくまわってなくて・・・」
・・・と、そんなワケで打ち合わせで使う資料やデータ、見積もりなんかが
まったく準備できてなかったらしく今日になった。
もちろん、そんな事はあくまでそれは矢野の会社側の事情であって
ビジネスとして俺達には関係はない。
だけど、とりあえず俺は矢野の望み通り予定をずらした。
コイツにはいろいろと“借り”もあることだし・・・。
ナルの元会社に着いて矢野を呼び出してもらう為、
受付に行くと“あの女”がいた。
ナルから日高ってヤツを奪い、そしてナルをクビにした張本人・・・
確か、佐伯とか言ったな。
「『今井建築事務所』の広瀬ですが、営業一課の矢野さんをお願いします。」
「・・・っ!?・・・はい、畏まりました。
あちらでお待ちになっててください。」
佐伯は俺の顔を見ると、少し顔を引き攣らせたが、
仕事で来たとわかるとすぐに作り笑顔で対応した。
ナルの仕返しに来たとでも思ったのか・・・?
佐伯に案内され、俺達はミーティングルームに通された。
ガラス張りのその部屋からは営業部の様子がよく見える。
みんな慌しく動いていて忙しそうだ。
矢野は電話で話しながら、パソコンを操作して書類を書いている。
隣のデスクの上には書類が山積みになっているものの、
誰かが座っている様子もない。
離席という訳でもなさそうだ。
もしかして、あそこにナルが座っていたのかな?
あ〜ぁ・・・ナルがクビになっていなければ、制服姿が拝めたのに・・・。
そんな事を思っていると電話を終え、受話器を置いて急ぎ足でやって来る
矢野の姿が目に入った。
「すみません、お待たせして・・・。」
矢野は少し疲れた様子でミーティングルームに入ってきた。
おいおい・・・まだ午前中なのにもう疲れてんのかよ・・・。
「では、始めましょうか。」
そう言ったわりに矢野はいろいろと資料を忘れていた。
頭の中がとっ散らかってんのか、途中で何度もデスクに資料を
取りに行き、バタついていた。
しかも見積書も数箇所間違っていたし・・・。
おかげで1時間で済むと思っていた打ち合わせは2時間もかかってしまった。
打ち合わせが終わると、ちょうど昼の12時だった。
矢野と俺達3人はついでに昼メシも一緒に食べる事になった。
「そういえば今日、千秋さんは?」
ミーティングルームから見える営業一課のデスクに
ナルの姿がないのを今井先生は不審に思ったらしい。
「あ・・・えぇっと・・・彼女は先日退職しまして・・・。」
矢野は少し言いづらそうに口を開いた。
「えっ!?辞めちゃったの?」
「・・・はい。」
「なんだ・・・それでここ2,3日、電話しても別の人が出てたのか。」
今井先生はよく営業一課に電話している。
ナルが辞める前は営業一課にかかってきた電話はほとんど
ナルがとっていたらしく、以前、俺達の接待に同席していたナルは
明るくて愛想もいいから今井先生にもすっかり気に入られた。
だから今井先生とも仕事がらみだけどよく電話でしゃべっていた。
「もしかして・・・広瀬、結婚するのか?」
先生は俺に視線を向けるとにやりと笑った。
「ち、違いますよ。」
それならどんなにいいか・・・。
ちなみに先生は澄子ちゃんと俺の“強制デート”の一件で
俺の彼女がナルだという事をすでに知っている。
「なんだ・・・違うのか。」
「ついでに結婚すればいいじゃないか。」
俺の後ろにいた矢野が少し笑いながら言った。
「そうだよ。」
右隣にいる今井先生まで笑いながら横目で俺を見た。
俺だってしたいよ・・・。
「俺だけその気でも・・・」
「「お前、プロポーズ断られたのか?」」
今井先生と矢野は同時に同じ事を言った。
「いや・・・てゆーか・・・まだしてない・・・。」
「なんで?」
後ろを歩いていた矢野が俺の左隣に並んだ。
「なんでって・・・今、そんな話してもナルはまた就職する気満々だし・・・」
「愛美ちゃんはまだ仕事していたいって?」
「いや、そんな事は言ってないけど・・・」
「んじゃ、なんだよ?」
「今、プロポーズなんかしたら退職したついでに言ったみたいで嫌だろ?」
「そんなの気にしてたらいつまでたっても結婚できないぞ?」
右隣から少し呆れた声が聞こえた。
「お前は昔から詰めが甘いというか・・・後一歩が及ばないというか・・・」
左隣からもため息交じりの声が聞こえた。
俺ってそんなに煮え切らない男なんだろうか・・・?