12-地中海にて
イスカはどこまでも広がる青を眺めていた。
空の青、海の青。彼らの旅の最終工程を。
目的地であるドイツへと向かうため、オリバセウスは地中海を泳いでいた。
八月二十九日。
オリバセウス隊は北進を続けていた。最低限の補給を終えドイツへと航路を取る。地中海は国連軍の勢力下ではあるものの、絶えずアフリカ大陸から攻撃を受ける激戦区でもある。油断は決して出来なかった。
そうと分かっていても、イスカの心には大きなしこりが残っていた。
(……僕はいったい、何のために戦えばいいんだろうか)
彼が守ろうとした人々は彼を嫌い、彼を殴り倒して出て行った。あれからも捜索が続けられたが、その影さえも掴むことは出来なかった。恐らくは火星軍の領土に向かったのだろう、というのが大方の見解であった。
彼らはどうなったのだろうか。火星軍にも変わらず不平不満を漏らしているのだろうか? そしてそれは……受け入れられるのだろうか?
(どいつもこいつも、僕みたいにわがままが通じる相手だと思うなよ)
避難民たちが火星軍によって虐げられる姿を想像して、イスカの心には昏い快感が芽生えた。イスカはすぐそれを自覚し、頭を振って妄想を追い出した。
(違う! どんな状況だって、彼らが幸せならそれでいい……)
人が傷つけられることを望むなど、卑しいことだ。例え想像でも嗜虐心を満たすことに、イスカはまだ恥じらいを覚えていた。
「どうかしたんですか、海東さん?」
「あっ……メル?」
声のした方に視線を向けると、薄いカーディガンを羽織ったメルがいた。ちょっと見かけたから声をかけてきた、というわけではないだろう。メルの手にはまだ湯気の立つコーヒーカップが二つあったのだから。
イスカは短く礼を言ってそれを受け取った。二人並んで窓の外を見る。少し前なら喜ばしいシチュエーションだったが、いまのイスカにとってはそんなことを感じている余裕すらもない。現実はブラックのコーヒーよりも苦い。
「……皆さんのことは残念でしたね。見つけることが出来なくて」
「死体だって見つかっていないんだ。きっと、生きてあそこを出ることが出来たんですよ。あの人たちにとっては、その方が幸せだったんだ。僕の傍にいると、死体がどんどん増えて行きますからね……」
イスカは自嘲気味に言った。少し気取り過ぎていたか、とも考える。事実、メルは心配そうな視線をイスカに向けて来た。
「大丈夫、気にしていないよ。僕は大丈夫、ありがとう」
「大丈夫って、自分からそういう人は信じることが出来ませんよ」
「困ったな、そりゃ。どうすれば信じてもらうことが出来るんだろう?」
イスカはおどけたが内心では慌てていた。自覚出来るくらいに自分の精神状態はおかしくなっていた。独り言が多くなり、理由もなくイラつくことが多くなっていたからだ。医者ならばこの状態に何らかの名称を付けるだろう。
「心配なんです、私。イスカさん、ずっと辛そうな顔をしているから」
「それでも、逃げるわけにはいかないんだよ。僕には」
ここから逃げ出すことなど出来ないし、そもそも戦う以外の選択肢などありはしない。初めからそんなものは存在しなかった。
「父さんは怒りとともにキャバリアーの力を僕に託した。父さんの内には火星への隠し切れない憎しみがあった……質量兵器に故郷を、母さんを押し潰されたあの日からね」
「質量兵器攻撃の、被害者……」
「そんなのは、この世界ではありふれた悲劇なんだろうけどね。僕が殺した人たちも、その家族も、仲間も、決して僕を許しはしないだろう。父さんに託された憎しみは、僕にとっての憎しみになっているんだよ。メル」
イスカは大きなため息を吐いた。ほんの数カ月前まで、こんな風になるなんて想像さえしていなかった。普通に生きて、普通に死ねると思っていた。
例え白浜に帰ることが出来たとしても、元の生活には戻れないだろうという思いがあった。血に染まった己の業は、決して自分を許さないだろう。
「何より僕は妹を、御堂さんを、仲間を守らないといけないんだ。それが、この力を託された僕がやらなきゃいけないこと……」
「押し付けられたことをしなきゃいけないなんて、そんなことありません」
イスカは虚を突かれ絶句した。
「やりたくないことを無理矢理やってたって、何にもならないじゃないですか」
「それは……そうだけど。でも、やらなきゃいけないことってあるだろう?」
「そうですね。私だってそう……でもやらなきゃいけないことを、自分の心を誤魔化してまで続けるのはとても辛いことです」
少女は真っ直ぐイスカの目を見る。吸い込まれそうな深い瞳を、イスカは直視できずに視線を逸らした。
「何のためにイスカさんは戦っているんですか? あなたが戦いを始めた時……あなたの心の奥底には、何があったんですか?」
「僕は……」
イスカは知っていた。自分が何のために戦いを始めたのか。だが、それを認めれば……自分が自分ではいられなくなるような、そんな気がした。
「兄さん、機体の調整のことでちょっと聞きたいことが――」
曲がり角の向こう側から夕菜が顔を出した。イスカにとっては救いだった。
「あ……ごめんなさい、お邪魔でしたか?」
「ううん、そんなことはない。メル、ごめん仕事だ。僕は行くよ」
「あっ……イスカさん」
メルは手を伸ばしかけて、引っ込めた。
イスカは振り返ることすらなく格納庫へと向かって行った。
振り返ればきっと、自分は自分自身を認めてしまう。
そんなことは彼にとってあってはならないことなのだ。




