幕間-火星の二人
二機のバトルウェアが海を裂きながら進む。耐圧装備のないMBT01『ゲルダ』が水中を航行出来るのは、噴射剤の残量と同じだけだ。後は質量で海底に沈み、潰れる。合流地点が指定されているとはいえ、恐ろしいことに変わりはない。
「地球の重力に引かれて落ち、辿り着いたのがこの深淵の地獄とはな……マルグリット少尉、そちらの方はどうだ? 航行に支障はないか?」
『ありません、大尉。周辺に機影もなし、たまに魚影があるくらいです』
火星帝国軍大尉、アルス・シュナイダーは重いメットを外し深呼吸した。じっとりと汗ばんだ顔に長い髪が張り付いていたのを手で払う。
『さすがのアッシュ大尉も、初の地上任務にはお疲れのご様子ですね』
「部下を失ったんだ、少しくらい疲れた顔をさせてくれてもいいだろう?」
『あなたのせいじゃありませんよ……ああ、見えてきましたね』
岩礁の隙間に平べったい潜水艦が止まっているのが見えた。火星を海が占める割合は少なく、海上・水中戦のノウハウはないに等しい。そのため火星軍が地球降下後最初にやったことは、国連軍の潜水艦を奪取することだった。
その外見から『マンタ』と呼ばれるステルス潜水艦。それを原形に機動兵器を搭載可能なように改造したのがこの『ラージ・マンタ』だ。火器搭載用ペイロードの大部分を削り格納庫ブロックに割り当てている。戦闘の際には周囲を小型の魚雷艦で警護する。
「こちらアルス・シュナイダー大尉。着艦許可を求む」
『マンタ1了解。ビーコンに従い、着艦せよ』
2機はマンタの上部が開いたのを確認し、それぞれの入口へと落ちるように入った。うつ伏せになった機体がマンタのアームで固定され、ハッチが閉まる。排水が開始され、数秒後にはエアロックが開く。久方ぶりに両足で地面に立つことが出来るな、とアルス――親しいものからはアッシュと呼ばれる――は考え、コックピットハッチを開いた。
「ご苦労様です、大尉。艦長がお呼びですので、こちらへ」
アッシュは頷き、随行の船員の指示に従い格子状の床を歩いた。ラージ・マンタに搭載されているバトルウェアは全部で7機。8機になるはずだったが、それは叶わなかった。命を落とした部下のことを考え、アッシュは瞑目した。
途中で部下のマルグリットと合流し、艦長室へ。くりくりとした大きな目と人懐っこい表情が特徴的な明るい女性――見ようによっては少女にも見える――だ。だから着慣れた軍服もどこか浮いている。士官学校ではさぞかし人気が高かったことだろう、ここにいるべき人ではないな、とアッシュは思っていた。
「恐ろしい機体でしたね、国連のバトルウェア」
マルグリットは目にかかったショートカットの髪をかき上げながら言った。
「恐ろしいのは機体そのものよりも、パイロットの方かもしれないがね」
「追い詰められたとして、あれと同じことが私に出来るかどうか……」
バトルウェアが人型を取っているのは無重力環境下での作業に適していること、重力制御装置がコアと五対の制御装置との共振によって成ることから適切な間隔で――それは奇しくも五芒星を描くような形になっている――配置するとこの形になるということ、そして人型が撃たれにくいということがある。
人が人を傷つけるというのは本能的な禁忌だ。だから軍人は相手を人間と思わないように訓練する。だが10m大の人型は否応なく、相手が人の形をしていると認識させる。高度な訓練を積んだ兵士でもなければトリガーを引く指が鈍り、そうでなくても急所を外すような攻撃をすると統計に反映されている。しかし。
(彼はバトルウェアを、というよりパイロットを殺すために最適な行動を取った。いったいどんな敵なんだ、国連のパイロットというのは……)
キャバリアーに乗り込んだのがまったくの素人だということを知らないアッシュは、そんなことを考えながら内心で身震いした。
ラージ・マンタ中層、艦長室。彼らを案内して来た下士官は来意を伝えるため扉を数度叩き、すると中から『入れ』という居丈高な声が聞こえて来た。
「アルス・シュナイダー大尉、並びにマルグリット・グラウツ少尉。今回の極東侵攻作戦、及び敵新型破壊作戦参加のため着任しました」
「ご苦労だったな、大尉。これから諸君らの上司となるフランツ・レットだ。まあ、掛けてくれたまえ。地球の重力の感触はどうかな?」
二人は頭を下げてから、それほど質の良くないソファに腰掛けた。
「本作戦はアラスカ・ロシア侵攻と並び重要な作戦だ。主戦場である北米の補給線を断ち、敵軍を疲弊させる。ところで、両名は先ほど……」
「はっ。国連軍の新型と不規則接近遭遇を果たしました」
「残念だったな、キミの部下のことは。致し方ないことではあるが」
フランツは目頭を摘まんだ。
疲れているのだろうか、とアッシュは察する。
「問題は、だ。あれから国連が新たな力を手にするのではないか、ということだ。ゆえに白浜の新型は必ずや、この手で始末しなければならないのだ」
「了解しました。全力を持って任務に当たらせていただきます」
「頼むぞ大尉、これが分水嶺だ。北米を落とし、国連を降伏させるか……あるいは奴らの自力に圧され、我々が再び辛酸を舐めるか……双肩には火星の未来が掛かっている」
アッシュはこくりと頷く。必ずやこの戦いで勝利し、火星の未来を守る……死んだ部下、ウォルトの仇を取るためには、それが一番いい。