07-湧き上がる疑念
その日はシミュレーションにも訓練にも身が入らずにいろいろとミスを連発する羽目になった。アスタルから叱責を受けるものの、彼の態度はいままでと違ってやや柔らかい。それは自分の欲望を満たすことが出来たからか。
彼だけではない。他の船員たちにもそんな雰囲気が蔓延していた。どことなくみんなが優しい、それが逆にイスカには不気味だった。
(みんな、僕と同じように……人を傷つけることを楽しんでいるのか?)
夕菜に『人殺しを楽しんでいる』と指摘された時、ショックを受けた。自分がまるで人間ではない、化け物に変わってしまったような気がして。
だが、と思う。ここにいるすべての人間が自分と同じように、一皮剥けば単なる化け物に過ぎないのではないかという妄想が止まらなかった。
(考えるな、考えるんじゃない。きっと、みんな疲れているだけなんだ……)
疲れて、荒んでいるからそんな考えが浮かんでくる。この戦争がみんなを変えてしまったのだ。イスカはなるべく考えないようにしながら医務室へと向かった。訓練を終えた後メルと会うのが最近の楽しみになっていた。
扉を三度叩いた。だが、その中から聞こえて来たのは聞き慣れた声。
「あれ……どうしたんですか、御堂さん? こんなところで」
室内にはカートを押す御堂がいた。
カートには弁当が満載されている。
「よっ、お疲れさん。俺もただここに置いてもらうだけじゃあなんだからな、何か出来ることがないかって聞いてみたんだ。んで、この任を仰せつかった」
大仰な物言いだが、ようするに配膳係を押し付けられたというわけだ。
「そうですか、それはお疲れ様です。メル、気分はどうだい?」
「最近、調子がいいんです。もうみんなにご迷惑をおかけすることは……こほっ」
「無理をしちゃいけないわ、メル。あなた、元々体が弱いんだからね?」
「その通りですぞ、お嬢様。あなたのお体はあなた一人のものではありません」
ちょっと咳をしただけなのだが、彼女の侍従である二人は天地がひっくり返ったかのような大騒ぎだ。特に最近起きた、髭面の老人は。
アストン・マーティンと名乗った老人はハーフフレームのメガネをかけたしわがれた老人で、白髪と長い白髭が特徴的な男だった。枯木のような外見をしているがとても精力的な男で、起きるなり恭しくメルの世話を焼き始めた。
「アストンさん、そんなに大袈裟なことをしなくたって……」
「いえいえいえ、メルお嬢様に何かがありましたらこのアストン、御父上に何とご報告すればよいか。あれは忘れもしませぬ、あの立ち枯れの日……」
アストンは幼い頃メルの祖父に、そして一緒にいたメルの父に拾われてアストン家の侍従となった。それだけに家への忠義は深く、強い。こうしてたまに自分の世界に入り込み、昔話をすること以外は本当にいい人なのだ。
「んじゃ、お邪魔虫は消えてなくなるよ。それじゃあな」
「お邪魔虫ってなんだよ、僕は決してそんなことを考えては……」
自分の邪まな考えが看破されたのかと狼狽したイスカは御堂に反論する。語るに落ちるとはまさにこのことだろう。御堂は高笑いを上げながらカートを引っ張って退出、あとに残されたイスカは非常に気まずい思いをすることになった。
「……? どうしたんですか、イスカさん?」
「い、いや大したことじゃないんだよ。あの人が変なことを言うからさ」
と、誤魔化そうとしたがアストンは誤魔化されてくれなかった。
「お前……もしやお嬢様に劣情を抱いているのではないのか?」
「そんなストレートに言わないでください、僕だって恥ずかしいんです!」
「ならん、ならんぞ。どこの馬の骨とも知れぬゾウリムシの如き小僧が栄光あるアルタイル家の敷居を跨ぐことなどまかりならん。いや、そもそもこの空間で呼吸をしていることこそがお嬢様の慈悲の産物であり、それ以上を望むなど……」
凄まじい早さでとんでもない罵詈雑言をまくしたてられた。
「そもそも、存在価値が雑草にも等しいお前と違ってお嬢様は選ばれた――」
「よして下さい、アストンさん……!」
それは、メルから出た珍しい否定の感情だった。
「こ、これは申し訳ありませんお嬢様。出過ぎた真似をいたしました……」
「私が何者であろうとも……イスカさんはイスカさんです。私のことを守ってくれた、大切な方です。私とイスカさんの間に差なんてありません」
そう言ってメルは困ったような視線をイスカに向けた。
「ごめんなさい、イスカさん。不快な思いをされたでしょう?」
「いや、いいんだ。ああいう罵倒を受けるのには慣れているからね」
平静を装っていたが、内心でイスカはある違和感を覚えていた。
(メルが……彼女が、選ばれた存在?
それは、いったいどういうことなんだ?
アルタイル家の跡取りとして選ばれた……
ってわけじゃないよな?)
何となく、アストンのニュアンスにはまた違ったものが含まれていた。まるで本当に、彼女が普通の人間とは隔絶した、また別の価値を持っているかのような物言い。それが何なのか、もやもやとしたものがイスカに渦巻いた。
考え事をしていたため、話しには身が入らなかった。途中メルが何度か不安そうな顔をしたので慌てて取り繕うも、多分誤魔化せてはいないだろうなと思った。
「っと、こんな時間か。それじゃあ、メル。また、今度ね」
「……はい、分かりましたイスカさん。また今度、お会いしましょう」
メルは困ったように笑った。参ったな、と思う。自分が放った言葉の微妙なニュアンスの違いを、メルははっきりと掴み取っているようだった。
ある意味では当たり前だ。これまではずっと、イスカは『また明日』と言ってきた。それがいきなり『また今度』になれば聡い人間なら気付くだろう。
(僕の周りには、分からないことだらけだな……)
イスカは気付かれないように、扉を閉めてから大きなため息を吐いた。
「オイオイ、どうしたんだ少年? そんな顔してちゃあ彼女も心配するぜ?」
「うえいっひゃああああ!?」
考え事をしていたので、隣にいた御堂にはまったく気付かなかった。
「オイオイ、どうしたんだ? お前、最近おかしいんじゃないか?」
「おかしいのはあんただよ! 何してんだよこんなところで!?」
「いやあ、恋に悶える少年を見るのも面白いなあ、と思ってさ」
御堂はあくまで軽い調子だ。イスカの内心とは裏腹に。大きなため息を吐いた。
「おい、何だよその呆れたようなため息は?」
「御堂さん……あなたはメルちゃんのこと、どう思いますか?」
「どう思うって、可愛いとか持ったらロリコンまっしぐらじゃん。可愛いとは思うけどさあ。あー、もしかして俺に取られるとかそんな心配してんの?」
「そんな頭の湧いたことは心配してないですから安心して下さい」
そんな下らないやり取りをしているうちに、少しだけ心が軽くなった。
(ああ、そういえば……ここ最近はずっと、話をしていなかったからなぁ)
今更ながらに、自分が軍人の世界に染まり切っていたことに気付いた。




