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婚約破棄された私ですが、このままはイヤなのでお二人の真意が知りたいです。~悪役を買って出た幼馴染の侯爵令嬢は私のために国の法律を変える~

掲載日:2026/05/17

 ――(わたくし)、ロックウッド伯爵(はくしゃく)家長女、ミリシャ・ロックウッドは、どうやら婚約破棄されたみたいです。


 私ことミリシャは今日この場所、幼馴染である、ゼクス侯爵(こうしゃく)家長女、セレーネ・ゼクス様が主催した舞踏会という場で、オクタヴィアス侯爵家長男である、ライオット・オクタヴィアス様と婚約を発表する予定でした。

 しかし、時間になり、ライオット様が隣に呼んだのは、私ではなく、セレーネ様でした。


 そう、ライオット様は、セレーネ様との婚約を発表されたのです。


 ワケが分かりませんでした。だって、予定と違います。プログラムではセレーネ様による舞踏会終了の挨拶で、ライオット様と私の婚約を発表する予定だったのです。

 しかし、呼ばれたのはライオット様お一人だけ。そして、ライオット様の口から、セレーネ様との婚約が発表されました。

 さらに、婚約発表の後、オクタヴィアス家とゼクス家の新事業として、植物を使用した紙の製造、量産、流通も発表され、出席者の方々に植物で作られた紙のサンプルを配られたのです。

 それは、私がライオット様のために研究、開発を行っていた植物紙、その初期サンプルと、とてもよく似ていました。


 植物紙は、高価で分厚く、管理も難しい羊皮紙よりも、安価で薄く、さらに丈夫な紙です。

 そしてライオット様のオクタヴィアス家は南の国境沿いに領地を構え、貿易と防衛の要となっており、ライオット様は時々、貿易の書類の管理が大変だとこぼされておりました。――ちなみに、私のロックウッド家の領地はオクタヴィアス領の隣、セレーネ様のゼクス家の領地は、ロックウッド領の隣となっています。南から王都に向かって、オクタヴィアス領、ロックウッド領、ゼクス領の順番で領地が並んでいる形です――

 それと同時期、私は南方から渡ってきたという植物を使用した「パピルス」という紙に出会い、インスピレーションを受けました。

 幸い、ロックウッド領は自然が豊かな領地。材料となる樹木や植物は山のようにあったため、私はライオット様たちの書類仕事が楽になるようにと、植物紙の研究と開発を進めてきたのです。

 そしてそれは、身分に差がある私とライオット様との婚約を周囲の人に納得させるための、重要なものでもありました。


 配られた紙と、注目を集めるお二人の姿を見て、私は二つの疑問に囚われました。

 ――どうして、私ではなく、セレーネ様と婚約を発表されたのか。

 ――どうして、私が研究、開発してきた植物紙のサンプルを、セレーネ様が持っているのか。


 舞踏会は終わりと共に、ぞろぞろと帰路に就く貴族の皆様の流れに逆らい、私はセレーネ様とライオット様を呼び止めました。


「すまないミリシャ。僕は目が覚めたんだ。侯爵家の人間と、伯爵家の人間が結婚するだなんて、自然じゃなかったんだよ」


 セレーネ様との婚約について質問した私に答えるときの、ライオット様の目と声色は、とても冷ややかなものでした。

 私は、こんなライオット様の姿を初めて見て、驚きのあまり呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

 そんな私に、まるで追い打ちをかけるかのように、セレーネ様が口を開きます。


「そう、これが自然なことなのよミリシャ。貴族社会で伯爵家の人間が侯爵家に嫁ぐなんてありえない。(めかけ)ならまだしもね。あなたがやろうとしていたのは貴族社会のバランスを崩すことにつながる。いくらあなたが植物紙を開発してオクタヴィアス家に取り入ったとしても、紙が普及すればあなたは用済みとなる。残るのは侯爵家に相応しくない伯爵家出身の妻。あなたがその好奇な目とプレッシャーに耐えられるのかしら? 諦めなさいミリシャ。あなたにはあなたに似合う場所があるわ。それと、あなたの作った植物紙の権利、後日買い取らせてもらうから。安心しなさい。これはあなたの発明。あなたが作り上げた紙は、私たちの力でこの国中に広めてあげるわ」


 その声色も、表情も、昔の頃、セレーネ様に誘われ、共に二人きりのお茶会をした時の、あの時の笑顔とは似ても似つかないほどに、冷たいものでした。


 お二人は、私にそれだけを告げ、去っていってしまわれました。

 不思議と、涙は出ませんでした。ただ茫然と、何かが終わってしまった。そんな漠然とした感覚だけが残り、私の心を覆いつくしていきました。

 不思議と、怒りは湧いてきませんでした。婚約を破棄されたこと。植物紙の研究を奪われたこと。そんなことよりも、私は、もうあのお二人とは、身分を超えて、昔のように楽しく、笑いあってお喋りしたり、愚痴を言い合ったり、ボードゲームで遊んだりということは、もう、できないかもしれないということに、絶望するのでした。


■■■


 後日、オクタヴィアス家の方から、婚約関係解消の書類を、ゼクス家の方からは、植物紙の権利譲渡の書類を持った使いの方がやってきました。

 婚約解消の書類には、ライオット様のお名前が、権利譲渡の書類にはセレーネ様のお名前がすでに署名されており、後は私の名前を書くだけで、婚約関係の解消と植物紙の権利譲渡が完了するようになっていました。

 あれ以来、ライオット様とセレーネ様にはお会いしておりません。私とはもう、顔を合わせたくないということなのでしょうか。


 書類を眺めながら、沈んだ気持ちになっていると、隣から「ふざけるな!」とお父様の声が聞こえ、そちらに目を向けると、お父様が使いの方々につかみかかる勢いで怒鳴っていました。

 お父様のお怒りはごもっともでしょう。婚約解消や権利譲渡の書類を自ら持ってくるのではなく、使いの方に持ってこさせられたことに関しては、貴族としての面目は丸潰れでしょうし、侯爵家の方々と親戚関係になることも、私が進めてきた植物紙の開発も、これですべて水泡に帰したのですから。

 お父様には研究資金の援助や町の職人さんと私を引き合わせてくれたりと、植物紙開発をする上でいろいろと助けてくださいましたから、このような結果になってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。


 お父様は隣で「こんな書類に名前を書く必要なんてないぞ!」と言ってくれていますが、それはそれで大変なことになるでしょう。侯爵家の身分は伯爵家よりも上。しかも北と南両方から圧力をかけられているのです。逃げ場はありませんし、断ったら果たしてどんな嫌がらせをされるか。

 私はセレーネ様とライオット様と仲良くさせていただいていましたが、やはりロックウッド家は両家から下に見られていたのでしょうね。子供が勝手にした、――もしくは話がついていたのでしょうか――婚約破棄に対して、家からの謝罪は一切なく署名を迫るだけなのですから。本音と建前というやつです。

 本音と建前といえば、セレーネ様とライオット様。私と仲良くしてくださったことも、建前だったのでしょうか。本音と建前をあまり気にせず過ごしてきた私にはわかりません。


 イヤなことを考えたと、私はため息をつきます。

 とはいえ、たとえ建前であったとしても、婚約までするでしょうか?

 まだ婚約発表前だったらからロックウッド家とオクタヴィアス家の間だけで済んでいますが、婚約発表した後であれば、オクタヴィアス家の評判は下がってしまうでしょう。

 なぜならこの婚約、我々ロックウッド家からではなく、ライオット様、オクタヴィアス家からの提案(プロポーズ)なのですから。


 ライオット様が私にプロポーズしてきたのは、私が植物紙の開発を進め、ライオット様に試作品を見せたすぐ後のことでした。曰く、「ミリシャの植物紙があれば、両親や周囲の人間を黙らせることができる。これはそれだけの発明だ!」とのことです。

 その後、「ずっと君のことを思っていた。結婚してほしい」と突然言われたときは驚きましたが、嬉しくもありました。他人から好意を向けられることは良いことです。

 だからこそ、私はライオット様が婚約を解消した動機がいまだに掴めていません。

 侯爵家と伯爵家の婚約です。愛だけでは成し遂げられないことを、ライオット様は成し遂げました。いろいろと、かなり無理をしたことが想像できます。


「すまないミリシャ。僕は目が覚めたんだ。侯爵家の人間と、伯爵家の人間が結婚するだなんて、自然じゃなかったんだよ」


 そんなことは百も承知だったはず。私はライオット様の言葉を思い返してそう思います。

 であるならば、ライオット様が私からセレーネ様に乗り換えたのには別の理由があるはずです。


 セレーネ様が植物紙の製造に成功したことを、ライオット様ではなく、オクタヴィアス家に伝えた。オクタヴィアス家は同じことが出来て、なおかつ爵位が高いゼクス家との婚約に切り替えた。ライオット様は家の決定に逆らえずセレーネ様と婚約関係を結んだ?

 話の流れとしては一番自然です。セレーネ様もライオット様に思いを寄せていたように感じます。セレーネ様の動機としては十分。そういえば、ライオット様との婚約が決まってから、私を見るセレーネ様の目が前より厳しいものになっていたような。どこからか流れた噂がセレーネ様の耳に入ってしまったのでしょう。


 話の流れとしては一番自然ですが……、しかし、どうも解せません。この経緯であれば、ライオット様は必ず、申し訳なさそうに私に謝ってくるはずです。あのような冷ややかな目と声で、私を突き放すようなことを言うはずがありません。

 あの冷ややかな態度が本音? いえ、さすがに身分差のあるプロポーズを建前でする人はいないでしょう。であれば、建前はあの冷ややかな方ということになります。何か事情があることは確実でしょう。


 ――事情。それを持ち込んだのは、十中八九セレーネ様です。セレーネ様は元々身分による決定的な区別に厳しいお方でした。王には王の、侯爵には侯爵の、伯爵には伯爵の、平民には平民の仕事があると。それぞれがそれぞれの責任を果たすことで、社会が滑らかに回るのだといつもおっしゃっていました。先日も「貴族社会で伯爵家の人間が侯爵家に嫁ぐなんてありえない」とおっしゃっていました。


 貴族社会のレールから外れる私を許せなかった? ……いえ、やはり、それでライオット様を説得したとしても、ライオット様のあの冷ややかな態度はおかしい。むしろ自分の勝手で私やロックウッド家を翻弄(ほんろう)してしまったことに申し訳なさを感じるはず……


「……翻、弄?」


 そこまで考えて、私の中で一つの可能性が生まれました。それは、セレーネ様が、ライオット様と婚約した私を敵対視しているだろうと決めつけていたから、今の今まで気が付けなかった可能性でした。

 だとするならば、ライオット様のあの冷ややかな態度も頷けます。恐らく、セレーネ様からそうするように言われたのでしょう。まるで今まで私に見せていた顔は、建前であったと感じさせるために。私に、伯爵令嬢として生きることを選ばさせるために。


 ――真意を、知らなければなりません。


 私は渡された二枚の書類を巻物(スクロール)にし、次回行われるゼクス家邸宅で行われる舞踏会に参加することを決めるのでした。


■■■


 次回のゼクス家主催の舞踏会は先日の舞踏会から2週間後のことでした。

 舞踏会は王都に近い領地の貴族が主催することが多いです。ただ、貴族と言ってもお金が湯水のようにあるわけではありません。舞踏会の開催は結構お金がかかるのです。ゼクス家ほどの家であっても、大体一か月に一度の間隔で舞踏会が開催されていましたが、婚約発表ということも関係あるのでしょう。今回は短いスパンでの開催となりました。


 あんなことがあった後でも、さすがに招待状くらいは渡されるようで、私は先日渡された二枚の書類と招待状を持って舞踏会に参加致しました。

 廊下を歩いているとひそひそとほかの貴族の方の話し声が聞こえてきます。私を見て、やれセレーネ様にライオット様を奪われた伯爵令嬢だの、やれ上昇婚を狙って痛い目を見た恥ずかしい伯爵令嬢だのと散々な言われようでございました。

 どうやら私とライオット様が婚約していたという噂はかなり多くの人に広まっていたようです。気に留めていないので精神的に痛くも痒くもありませんが、ただほんの少しだけ羞恥心を感じます。

 人の噂も七十五日というくらいです。少々長いですが、皆様がこの噂に飽きるまでの辛抱です。



 ――舞踏会が始まりました。

 まずは主催であるセレーネ様とライオット様との踊りが始まり、お二人が踊り終わって、次々といろんな方々が踊り語らういつもの舞踏会が始まりました。

 私はつい先日、事実上の婚約破棄をされた令嬢ですので、だれも私を踊りに誘う人はおらず、かえって私は気楽でいることができていました。

 セレーネ様が休憩室へ向かわれたことを確認し、私もその後についていきます。

 休憩室ではお茶と間食をつまみながら、先日のライオット様との婚約発表について他の令嬢の皆様から続けざまに質問をされていたようでした。

 涼しい顔をしていますが、私にはわかります。セレーネ様のあのお顔は、少々困っているお顔です。


「セレーネ様」


 私はほかの令嬢の方々に申し訳なさを感じながらも、セレーネ様に話しかける。


「少し、お話をしたいのですが……」


 そう頼む私の姿を見て、セレーネ様は「場所を変えましょう」と私をゼクス邸の応接室に案内してくださいました。


「それで、何についてのお話なのかしら? ミリシャ」


 応接室に入って開口一番、セレーネ様は切り出しました。


「悪いけれど、あなたの研究を盗んだなんて言いがかりはやめてちょうだいね。あの植物紙のサンプルは、あなたの作った植物紙のサンプルを元に、私が作ったものなんだから」


 なんと、どうやらセレーネ様は私の開発した植物紙を見ただけでどのように制作したか分かったということのようです。

 流石でございます。あの方法に至るまで私は3か月かかったといいますのに。目標とすべき完成品があるとしても、どのように作るかは自分で考えないといけないというのに。

 ただ、心の中でセレーネ様を称賛しながらも、やはり相変わらずの冷ややかな視線と態度の前に、私は足がすくみそうになるのでした。


「それに関しては、私としても問題としておりません」


 すくみそうになる足を必死に抑えながら、私は笑顔で、あの頃のように話を続けます。


「私はただ、セレーネ様の真意を知りたいと、それだけでございます」


「私の、真意……?」


「その通りでございます。単刀直入にお聞きします。セレーネ様、あなた様は、私のために、ライオット様とご婚約なされたのではないのですか?」


「ミリシャのために? ハハッ……何を言っているのかしら。私はいわば、あなたからライオットを奪ったのよ? あなたから、あなたが受ける幸せを、私が奪ったのよ? それはあなたを邪魔しこそすれ、あなたのためというわけではないでしょう。私は昔からライオットを慕っていた。ライオットにまとわりつくあなたのことが邪魔だった。だから邪魔したのよ」


「……フフッ」


「は……? 何かおかしなこと言ったかしら」


「いえ……、申し訳ありません。ただ、あまりにも似合っていないものですから……つい」


「……不敬よ」


 今の「不敬よ」はセレーネ様の口癖のようなものです。昔は軽口を叩き合っていたときに、よくセレーネ様の口から出る言葉でした。

 でも、今のやり取りで確信しました。セレーネ様、あなたに悪役は似合いません。


「……失礼いたしました。ただ、セレーネ様、ライオット様をお慕いしていたことは本当だとしても、やはり、私の幸せを奪うために、ライオット様と婚約したとは思えません。セレーネ様。私は、あなた様の真意をお尋ねに参ったのです。だから悪役ごっこは、もう終わりにいたしてくださいますか?」


 そう言って、私は持っていたカバンから自分の名前が署名された婚約解消と植物紙の権利譲渡の書類を、応接室のテーブルに置かれていく。

 私の推測が正しければ、これはセレーネ様の真意を聞くための、最大の武器になるはずです。


「婚約解消、植物紙の権利譲渡、お受けいたします」


 その言葉を聞いて、セレーネ様はひどく狼狽したように一瞬だけ目が泳ぎました。

 どうやら、私の推測は正しかったようです。


「……正気なの? あなた、まさか目を通していないわけじゃないでしょうね……!? 婚約解消はまだしも、権利譲渡よ? もう今後、二度とあなたの家から植物紙を売ることはできなくなるのよ!? あなたが発明した、あなたが作ったものなのに」


「いいんです。ただ、権利を譲渡する代わりに、一つだけ約束をしてください。また、昔みたいに、いえ、これからもずっと、私の友人であってくださると」


「……ッ!?」


 セレーネ様の、隠しきれないその反応を見て、私の推測は確信に変わりました。

 セレーネ様は、植物紙の権利譲渡において、徹底的に争う姿勢でいたのでしょう。

 私と、セレーネ様との友情が、修復不可能になるまで。


 セレーネ様はお優しい方です。伯爵家に生まれ、本音も建前も使い分けられない、見分けられない私が、侯爵令嬢たちの、侯爵家の婦人たちの水面下行われる激しい戦いの前に、潰れてしまうだろうと考えられたのでしょう。だからこそ、私を助けるために、ライオット様と婚約した。でもそれは、私やロックウッド家が進める今後の計画を潰すことと同じ。だからこそセレーネ様は悪役のような態度をとったのでしょう。

 私が、セレーネ様のことを、恨みやすいように。


 ですが、セレーネ様は勘違いをしておられます。

 私は、ライオット様との結婚にこだわっていたわけではありません。私はライオット様との婚約が解消されることよりも、ライオット様やセレーネ様と、もう昔のように笑ってお話しできないことの方が、ずっと、ずっとイヤなのです。


「なにをバカなことを……、私は、あなたからライオットを奪った。私は、あなたの幸せを奪ったのよ……? それなのに、なんで……」


「簡単です。私の幸せは、私が幸せと思うのは、友人と、他愛のない話をしたり、笑いあったりする。そんな些細なことだからです。そのためであれば、私の婚約も、植物紙の権利も捨てられます」


「……おかしいわよ、あなた。私なら、私を陥れた人間は、たとえ相手がどんなに偉い人であろうとも、地の底まで追いつめて後悔させてやるっていうのに……」


 そのように呟きながら、眉をひそめて、自らを抱くようにして腕を組み、顔を背けるセレーネ様からは、先ほどの冷ややかな雰囲気はもうありませんでした。


「ですから、私はセレーネ様の真意が知りたいのです。もし私が至らぬ点がありましたら、なんなりと。たとえどんなに難しいことでも、頑張って直します。だから――」


「――やめて……!」


 私の言葉を遮り、セレーネ様は背を向ける。

 恐らく、涙を流していらっしゃるのでしょう。

 セレーネ様は、侯爵家の令嬢として、いつも優雅で強かな姿を見せておられました。

 でも、だからこそ、私は知っているのです。涙を流すときは、その姿を隠そうとすることを。


 私は、セレーネ様の後ろにそっと近づき、その背中をさすり、ハンカチを手渡します。


「大丈夫です。この部屋には、私と、セレーネ様しかいません」


 その言葉が最後のきっかけだったというように、セレーネ様は化粧が崩れないように、私のハンカチでこぼれる涙を受け止めるのでした。



 涙を流しながら、セレーネ様はぽつぽつと語り始めました。

 私とライオット様の婚約を知り、ライオット様に思いを寄せていたセレーネ様は、私にライオット様を奪われたようで悔しかったこと。それと同時に、伯爵令嬢として生きてきた私が、侯爵家の妻として生きる未来が、暗いようにに思えたこと。身分の差も理解せず、自らのエゴを押し通したライオット様に怒りを抱いたこと。私を侯爵家の妻になる未来から助け出したいと思ったこと。でも、それは私の幸せを奪うということ。

 だからいっそのこと、ライオット様を私から奪うことで、悪役に徹しようと思ったこと。そしてライオット様に、身分の差が私を苦しめることを教え、私がライオット様とセレーネ様に未練が残らぬよう、悪役のような芝居をうっていただいたこと。


 私に、陰で何を言われてもかまわない。略奪者(りゃくだつしゃ)は悪役らしく、そのようにふるまおう。それが、私を翻弄した罰であると。

 まったく、不器用なお方です。勝手に決めないで、ちゃんと説明していただければ、婚約なんてすぐに解消いたしましたのに。


 そんな私にセレーネ様は「貴族としてのプライドはないの?」というような顔をされました。

 もちろんプライドはあります。ですが私には、それ以上に大切なことがあった。ただそれだけのことなのです。


「……どうして? どうしてあなたはそんなにも……。私は、あなたと小さいころから話したり、お茶会に誘ったりしただけなのに……」


 眉をハの字にして、拳を固く握りしめるセレーネ様の手の上に、私は優しく手を乗せます。


「それだけではありません。覚えていらっしゃいませんか? 私がまだ子供のころ、右も左も分からず、舞踏会で迷子になってしまった私に、セレーネ様は手を差し伸べてくださったことを。あの時、セレーネ様は心細くて泣いていた私を、『大丈夫だよ』と抱きしめてくださいました。伯爵令嬢である私を、侯爵令嬢である、あなたが。私は、そんなあなたに人生で初めて憧れたのです。常に前を向き、歩き続けるあなたの力強さに、勇気をいただいたのです。私は、セレーネ様のことが大好きなのです。ですから……」


 私は、震える声を、こぼれそうになる涙をこらえながら、言葉を紡ぐ。


「ですから、このまま……、このまま、セレーネ様と心が離れていくのが、イヤなんですっ……」


「……ごめんね、ごめんね……ミリシャ……、ごめんなさい……!」


 そうして、声を震わせながら、私とセレーネ様は、何年ぶりかの抱擁を交わしたのでした。



 数分後、涙も引いて、落ち着いてきた私たちは、どちらともなく抱擁を解きました。

 そしてセレーネ様は、何か決意に満ちた顔で、私にこう言ったのです。


「ミリシャ、本当にごめんなさい。こんなことをしでかした私の言うことなんて信じられないでしょうけど、聞いてくれる?」


 私は何も言わず、セレーネ様の目を見て、小さく頷きました。


「まず、婚約解消と、植物紙の権利譲渡の書類は不要よ。家に帰ったら、燃やすなりなんなり自由にしなさい。それに対して、あなたには誰からも文句は言わせない。この私が黙らせる。そして、私は今年で20歳。議会への出席が認められる歳よ。誕生日が来たら、私は議会に出席して、ある法律を認めさせる。何をしてでも」


「ちょっ、ちょっと待ってください。政治は男性の世界ですよ!?」


 なにかとんでもないことを言いだしたセレーネ様に私はたまらず声を上げました。

 ですがセレーネ様は、そんな私に不敵な笑みを見せるのでした。


「多少強引な手を使うことになるでしょうね。いいわよ。この長い髪も、ドレスも捨ててやるわ」


「そ、そんなことしたら、今度はセレーネ様が婚約破棄されます!」


「じゃあ私の20歳の誕生日と同時に挙式をしましょう。公に既成事実を作った後ならどうとでもなるわ」


「いや……、ならないと思いますよ? 婦人になったらいろんなとこの舞踏会に参加せざるを得なくなるでしょうから……」


「……それもそうね、なら女性として議会に参加するとしましょう。男性しか議会に参加してはいけないと法律に書いていない方が悪いわ」


「……そ、そんなことをして、大丈夫なんでしょうか」


「大丈夫じゃないでしょうね。両家からも、周りからもいろんなことを言われるでしょうし、ライオットにも迷惑をかけるでしょう」


「ほらぁ……。それが分かっているのに、どうしてそこまで……」


「決まってるじゃない。あなたのためよ、ミリシャ」


 思いもよらぬ答えが飛んできて、私は「えっ……」と小さく声を上げてしまいました。


「ミリシャは、これまで積み上げてきた全てを捨てる覚悟だった。だから私も、自分のすべてを賭ける」


「伯爵令嬢と侯爵令嬢とでは、積み上げてきたものの価値が全く違います!」


「いいのよミリシャ。これは私がやりたいこと。やらなければならないこと。……ねぇミリシャ、2年。2年よ。私はこの2年で、国を動かし、あなたから奪ってしまったものをあなたに返す。約束するわ」


 セレーネ様は、その射貫くような決意に満ちた目を私に向け、そう約束してくださいました。

 はっきり言って、正気とは思えません。ですが、セレーネ様の決意と気持ちを否定するのは、友人として、失格だとも思いました。


「……わかりました。それでは、信じて待っております。ですが、無理はなさらないでくださいね?」


「フッ……、私を誰と心得ているのかしら。私はセレーネ・ゼクスよ。心配する必要はありません。何なら世紀の女傑として、歴史に名を残すほどの活躍をして見せましょう」


■■■


 あの後、舞踏会も終わり、お開きになりましたが、私はセレーネ様に再度応接室に通されました。

 そこにはライオット様いらっしゃり、セレーネ様はライオット様にことの経緯を説明、その後はライオット様からも謝罪されてしまいました。

 勝手に婚約解消したことや、半ば強引に婚約を進めたこと等々。未来と私のことが見えていなかった、自分のことしか見えていなかったともおっしゃられていましたね。

 あの様子を見るに、どうやらセレーネ様から貴族の女たちが繰り広げる水面下での戦争のことを教わったのでしょう。私とロックウッド家を翻弄したことを、申し訳なさそうに謝罪をしていました。


 私としても婚約解消については気にしていなかったので、「気にしていない」と伝えました。そうしたら、ライオット様は少し悲しそうな表情になってしまわれました。

 今考えれば迂闊なことでした。冷静に考えればわかるではないですか。求婚した相手に、婚約解消を気にしていないと言われれば、少し悲しい気持ちになるくらい。


 そんなことがありながらも、その半年後、セレーネ様20歳の誕生日の日に、ライオット様との結婚式が挙げられました。

 婚約解消をされた私も出席し笑顔でお二人の新たな門出をお祝いさせていただきました。

 ちなみにその時、周囲からは婚約解消させられたのに笑顔で祝えるなんて、ロックウッド家の長女はとてつもない心臓の持ち主だと噂になってしまっていたようです。


 その後はセレーネ様の宣言通り、周囲の反対を押し切りながらも、セレーネ様は議会へ参加。約束では2年と言っていましたが、セレーネ様はなんとその半分のわずか1年で、この国に()()の法律を施行させることに成功してしまわれました。

 そう、これが彼女が望んだ形。一夫多妻制の導入でございました。セレーネ様曰く、これで私とセレーネ様、ライオット様はずっと一緒にいられて、私もライオット様の妻になることができるということのようです。

 なんという力業でしょう。セレーネ様の一人しか妻が認められていないのなら二人以上認めるようにしてしまえば良いという発想も、それを成し遂げてしまう実行力にも、私は戦々恐々とするばかりでございます。


 議会でもかなりの大立ち回りをされたようで、伝え聞いた話では、『()が半ば暗黙の了解となっているのならば、第二婦人という枠を作っても良いだろう』『妻の視点だと、どこの誰かも分からない女に金が使われるよりも、勝手知ったる女性と共に主人を支えるという方がまだ精神的に良い』などと、一年間かけて説得をされたそうです。

 外国でやれば宗教を理由に廃案にされていたことでしょう。我が国が自然崇拝寄りの国家で本当に良かったと思います。


 というわけで、というのも変な話ですが、私はライオット様の第二婦人として(めと)られました。

 お父様としては、長女が()()婦人ということが気に食わなかったようですが、二つの侯爵家と家族関係になるというメリットがあると、ライオット様とセレーネ様に説得されてしまっていましたね。

 現在はセレーネ様と共に、ライオット様を支えながら、植物紙の製造、量産、流通を任されております。この紙が多くの方の公務の助けになることを切に願うばかりです。


 なんとも素っ頓狂な落ちとなりましたが、私の婚約解消から始まった物語は、こうして幕を下ろしたのでした。


 私としては、めでたしめでたしでございます。

ごめんライオット。それと植物紙。

君たちの影が薄くなっちゃったね……

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