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図鑑。


 大きな岩の間を走る隘路を縫うように歩いていく。

 靄とも霧ともつかない白い膜がほんの少し先の視界をも朧にしていた。

 今は俺は狼に変身している。

 何がいるか分からない場所で、人間の動きでは突発的な奇襲に対処できない。

 俊敏性の高い狼、この悪路を進むにはうってつけの動物だ。


「ん? 」

 靄の中で何かの気配を目で捉えた。

 ちらっとだが、何かが岩陰の向こうで動いたのだ。

「うわ」

 岩陰の向こうに耳を向けて音を探っている間に、背中に何か小さな物が覆いかぶさってくる。

 狼の警戒網を潜って、避ける暇を与えず接触してくるなんて。

 俺は動転して、体を揺さぶって背に纏いつくものを振り落とそうとした。

 その時だった。

「Ψαζζδ……」

 耳元で低い声で紡がれる謎の言葉。

 どこかで聞いた事のある……

「あ!? 」

 瞬時に思い当たって、この状況が最悪である事を悟る。

 首筋をちりちりと焦がす焦燥に突き動かされ、闇雲に走ろうとした。

 が、既に体の自由がきかなかった。

 神経系統が所々寸断され、脳からの命令が手足に伝わらない。

 もう一瞬の躊躇も許されなかった。

 あのイマージュが流れ込む前に――

 俺は咄嗟に目を固く閉じ、頭の中で熊をイメージした。

「な!? 」

 背中にへばりつく相手に動揺の気配。

 と、同時に、体を束縛していた見えない力から解き放たれる。

 チャンスだ。

 俺は前足と後ろ足を交互に繰り出し、猛烈な勢いでその場から離脱した。

 後ろからさっきのアイツが追ってきているのが分かる。

 この隘路と視界でも途切れる事のない小さな足音。

 相手はこの場所を良く熟知している者に違いない。

 見る間にその距離は縮まっていく。

 もう、すぐ後ろまで足音は迫っていた。


 

 さっき熊に変身したのは失敗だった。

 図体がでかいということは、相手は的を失いにくいのだ。

 それに気づいて、岩を飛び越えた瞬間、蚊に変身して事なきを得た。

「どこいっちゃんたんだろ」

 独り言を囁きながら、霧の中で素早く辺りを行き来している小さな影。

 その凶悪な追っ手の正体は、年端もゆかぬ少女だった。

 たぷたぷの深緋色のつなぎ服を纏い、腰の辺りを赤い帯で閉めている。

 肩までの光沢のある黒髪に、大きなぱっちりとした瞳、抜けるような白い肌。

 その小柄な体はまるで忍者の如く、靄に消えたかと思えば、大岩の上に突っ立っていたりと、身軽に辺りを飛び回っていた。

 

 さて、どうしたものか。

 相手は子供とは言え、その動きは常軌を逸している。

 見かけにそぐわぬ身体能力は驚嘆に値する。

 そして、彼女が俺に仕掛けようとした術は、明らかにゾルジ魔術だった。

 遠のきかけた意識の中で耳にした、忌まわしい呪文は脳裏に焼きついていた。

 このままの姿でここを立ち去ることはできよう。

 だが、何故かそうすることを勿体無く感じてその場に留まり続けていた。

 こんな辺鄙な場所でゾルジ魔術を使う少女と遭遇した。

 危険ではあるがこの稀有な状況はそうあることではない。

 俺は二度も背筋の凍るような思いをした。

 普通ならゾルジ魔術の使い手と出くわしたくないと思うのが道理だ。

 だが、俺の感性は狂っていた。

 ゾルジ魔術になぜか興味を惹かれていたのだ。

 あの少女になんとか取り入って、色々話を聞けないものだろうか。

 恐怖に慄きながらも一方で、接触する機会を望んでいた。

 だが、並の動物に変身しても、相手に捕まればまたさっきのような目に合う。

 かといって、人間の姿で彼女の前に現れても果たして話を聞いて貰えるだろうか。

 相手の立場を考えると、見ず知らずの人間への対応は自ずと推測できる。


 俺は彼女がいた場所から少し離れた。

 そこで人間の姿に戻る。

 そして、おもむろに手の平を宙に掲げて、

「変身図鑑! 」

 と、口にした。

 直後、手の平には赤い本が握られていた。

 この本は俺が変身する対象を頭にイメージしやすいように、あらかじめ変身能力のオプションとしてつけたものだ。様々な動物や、植物、神話の化け物や、妖怪、悪魔、天使、など、多岐に渡る種族を各々、図と説明文を添えて載せてある図鑑だ。片手に収まる薄手の軽量の本ではあるが、魔法が付与されているため、そこに収録されているものは、裕に1万を超えている。実に都合のいいアイテムだ。

 

 俺はページを捲りながら、あーでもないこーでもないと頭を悩ます。

 何に変身すれば、彼女とうまく接触できるか考えていた。

 小岩に座り込んで、図鑑に首っ引きになっていた。

 ミミズ、蝙蝠、ぬらりひょん、象、鬼、様々な種族を眺めては、ため息を漏らし、また次の頁に移る。

 これをしばらく繰り返していたが、ふと、ある生き物に目が釘付けになり頁を捲る手が止まった。

 胸元で両拳をガツンとかち合わせる。

 図鑑のある生物を視界に入れて、萎縮していた心が大きく膨れあがっていく。

「なめくさってからに、ガキめ! こうなりゃ、力でねじ伏せてやる! 」

 心の内で哄笑しながら、すっと立ち上がって俺はさっきの場所へ戻ることにした。

 


 

 

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