観察。
壁は木材を使っている。
ライターで炙れば火付けできるだろうか。
元の人間の姿に戻った俺は、蹲って外の壁にライターの火を近づけた。
が、火が燃え移らない。
「やめた……」
俺はため息をついて、ライターを懐にしまう。
内心ほっとしていた。
火付けしようと考えたものの、やはり、俺はそこまで悪党ではなかったのだ。
いや、犯罪者になり切れない男だった。
「さてと……」
俺は立ち上がって、視線を左側に逸らしたところで、戦慄を覚える。
「なにしとんじゃ? 」
お爺さんが半分開いた扉から、頭だけ出し鋭い眼光をこちらに向けていたのだ。
犯行は未遂ではあったが、その現場を家主に目撃されてしまった。
ヤルか?
逃げるか?
選択肢は少なかった。
変身はできるが、目の前でそれをするのは避けたい。
スーパーマンだって(古)、ルパンだって、姿を変える瞬間は他人には見せない。
俺も顔が割れているので、能力は知られたくなかった。
その場は逃げることにした。
老人の視界を切ることは容易だった。
建物の外郭の角で折れて、老人の視界を遮って蜂に変身。
これでもう俺の追跡は不可能だった。
まぁ、変身後、老人は追ってこなかったわけだけど。
どうやら、そのまま扉を閉めたらしかった。
「アイツは一体……」
それでも、ライターの火を見てしまっては、扉を閉めて鍵をかけても安心はできない。
数分経って恐る恐る、出てきた老人は家の周りをうろうろして俺の姿を探っていた。
当然の成り行きだ。俺はそれを読んでいたので、開いた扉からなんなく中に忍び込めた。
「何者なんじゃ……」
窓の外を眺めてさっきからぶつぶつ言っている。
辺りは暗くなっていた。
窓の外は黒一色、真の闇が外にある。
大きな体の両肩をいからせ、皺だらけの右手にはベッドに立てかけた斧の柄が握られている。
まだ警戒しているようだ。
何か悪いことしてしまったな。
俺は何にでも変身できる。
変身した相手の特性は付与されるが、本来の人間の五感は失われることはない。
現在、蛾に変身して壁に張り付いてはいるが、老人の姿は視界の下方にカラーで映りこんでいた。
「いつまでそうしてるつもりじゃ? 」
不意に爺さんが独りごちた。
俺はそれを聞いても泰然としていた。
大きな羽を少し揺らして燐粉を宙に振りまくに留める。
独り言が多いのは老人の特性だ。
記憶の海で、見知った者と話をしているんだろう。
そう高を括っていた。
「この家に居るのは分かっている、さっきの少年じゃろ? 」
だが、この発言は聞き流せなかった。
一瞬の焦りが、バランスを失わせる。
足が壁から離れたのに気づいて、羽を二三回動かすが遅かった。
ベッドと壁の間にぼとりと落ちてしまう。
体が軽いのと、羽の浮力で大して痛みはなかったが、音を立ててしまった。
俺は細い足を操りすぐに方向転換をして、床の下から様子を窺った。
ベッドの上から伸びる黒い長靴は床に固定されたままだ。
どうやら気づかれていないようだ。
この爺さん、どうやったかは知らないが、俺の気配に勘付いている。
俺がこの家に潜んでいる事を知っている!
「どこだ!? 」
その証拠に今も見えない相手に声を張り上げ続けている。
なぜ分かったんだ?
超能力か? 魔法か?
たぶん、後者だな……剣と魔法の世界と最初に設定したから。
「臆病者! 」
だが、正確な位置までは把握していない。
それは今俺が床にいるのに、見当はずれの場所へ声を散らしているので分かる。
お爺さんの声の調子は不安げで上ずっている。
見えない相手に怯えているようだ。
胸は痛むが、姿を現してやるわけにもいかない。
相手は斧を持っているんだ。
しばらく床の下から、老人の出方を待つ事にした。