村。
青々とした草原を少し歩くと、川のせせらぎが僕たちの耳に届いた。
木組みの短い橋の下には、澄んだ水を湛える小川が流れている。
透明の冷たそうな水面は、降り注ぐ陽射しを受けて、幾重の白光の筋を抱いていた。
「あれ、なんだろ? 」
橋を渡ってすぐ、木の柵のようなものが遠くに見えて僕は指差した。
「たぶん、村だ、そうや、それ以外ない! 」
雄介君はそう言うなり、いきなりダッシュした。
「ええ! ちょっと! 」
僕は気後れしたが、雄介君の言葉を耳にして内なる高揚感は隠せない。
しかし、走るほどのスタミナは残されていない。
「まぁいいか」
村であるかどうかの見分は雄介君に委ねて、結局、ゆっくり歩を進めることにした。
万が一、全力疾走したあげく、村ではなく廃墟かなにかであったら、僕は立ち直れそうにないので。
「元気だね……」
理子さんも森を出たときは、いつになくテンション高めだったけど、派手に跳ね回った分、今その反動が来ていて、亀の歩みでそう呟くのがやっとだった。
木の柵沿いに進んでいくと、建物らしき影がその奥にいくつか認められた。
柵が途切れた場所を見つけて、そこから中に入っていく。
「いやっほおお! 」
離れた場所から雄介君の歓喜の雄たけびが風に乗って聞こえてくる。
よっぽど嬉しかったんだろう。
彼の影は僕の視界の中で、黒いボールほどの大きさになっていた。
それを見て焦りを覚え、足を弾ませたところで、最後尾の理子さんを思い出す。
背後を振り返ると、まだ亀の歩みは継続中だった。
緩やかな傾斜の下方にその姿がある。
「理子さん! 早く! 」
それでも雄介君を一人だけにしているのも心配だ。
立ち止まって、僕は軽微な思考に耽り、程なくある決意を心に打ち立てた。
ゆるやかな丘を下って理子さんに駆け寄る。
「あ、あのさ」
「どうしたの? 」
理子さんがきょとんとした顔で僕を見た。
顔がかーっと火照ってくる。
熱い血潮が体中を乱暴に巡って、体温を上げているのが分かる。
だけど、もう躊躇している場合ではない。
さっと彼女に背中を向けてしゃがむと、
「僕の背でよければ、どうぞ! 」
言っちゃった。
普通やらないよなぁ、こんなこと。
今時、おんぶとか。
例えカップルであっても、恥ずかしいに違いない。
そう思いながらも、それほど大きくない僕の背中は、理子さんの柔らかい体の重みを期待して止まない。だけど、沈黙が長引き始めて、
「ご、ごめ」
僕は忸怩たる思いに駆られて腰を浮かそうとした。
「よいしょっと! 」
だが、つと掛け声とともに覆いかぶさってきた重みで、浮き上がろうとした腰が再びかくんと沈み込んで僕は慌てた。
「有難う……遠慮なく。さぁ、行きましょ、一人だと彼何しでかすか分からないし」
理子さんは淡々と、いつもと変わらない調子で言った。
特に照れた様子もその声色からは感じられない。
「え、あ、うん……」」
彼女が平然としている分、僕は余計に照れくさくかんじて口ごもる。
「よいしょっと」
理子さんに気の利いた一言も返せないまま、爺臭い掛け声と共に立ち上がった。
首筋辺りに理子さんの柔らかい息遣いを感じて、鼓動まで高鳴ってくる。
胸の前で回される彼女のしなやかな腕。
背に感じる柔らかい彼女の……
だけど、そんな甘美な感覚もいつしか遠のいていく。
元々体力がないので、歩き始めた時にはそんな色香を感じる余裕はなかった。
歯を食いしばり覚束ない足取りで、ただ、理子さんを落とすまいと必死に歩を進めていた。
村が間近に見える範囲までやってくると、僕はもうよれよれになっていた。
「下りるね」
「あ、うん」
身軽になった僕は、今にも倒れこみたかったが、男としての見栄がそれを潔しとしなかった。
震える足でなんとか体を支えて、背筋を伸ばし理子さんに辛うじて微笑む。
「いないねー」
「どこ行っちゃったんだろうね」
村の建物が軒を連ねている。
木板の壁と三角屋根、その造りはきわめて純和風。
僕たちを奇異の眼差しで見つめる幾人かの村人達の服装も、綿シャツにズボンみたいな、日本にいても見かけそうな、ありふれた服装だった。
「あんたたち」
一人の禿頭の白い髭を生やした老人が笑顔で声を掛けてくる。
「腕輪しとるか? 」
そう尋ねられて、理子さんと顔を見合わせる。
腕輪と聞いて思い出すものはアレしかなかった。
老人の目の前で袖を捲って見せた。
理子さんは怪訝な顔で眉間に皺を寄せていたが、やはり同じように袖をめくって腕輪を突き出す。
「やはりそうか、君たち三人はつい最近、こちらへ召還されたんじゃな」
「ええ」
僕が頷くと、周りを取り巻く空気が一変した。
先ほどまでの警戒するような目つきは村人達から消え、一様に愛想の良い笑顔を浮かべている。
「無事全員、ここにたどり着いたか、これは朗報じゃ、わしはこの村の長老、秋の夜長じゃ、歓迎するぞ、さぁ、君たちのお仲間が既に歓待の席についている、こっちへいらっしゃい」
僕達は呆然としながらも、相手に敵意ではなく歓迎の意を認めて、ほっと胸を撫で下ろした。
老人に誘われて村の中心へと歩いていった。