深淵。
「任せとけよ理子! お前には指一本ふれさせねぇからよ!」
「僕だって頑張るよ! 」
雄介君と二人で理子さんを威勢のいい言葉で元気付ける。
見上げる理子さんは弱弱しく右手を地面について半身を起こした。
表情に動きはないが、黙ったまますっと立ち上がり、僕たちを見て微笑む。
「私お荷物だけど、街で包帯とか買っておいたから、怪我したら治療はできます。これでも看護婦目指してて、そういうの得意なんです、だから、あの、私」
理子さんは語尾の声色を下げて口ごもった。
ぐっと唇を噛んで、顔を伏せて、黒いローブの膝付近に震える握りこぶしを並べている。
「OK! それで十分や! 俺達のしんがりに控えててくれたらええ」
「うん、理子さん任せて」
「分かった」
ほっとしたように、緊張した顔を弛緩させる理子さん。
彼女は彼女なりに、集団のなかで何が自分にできるか真剣に考えていたんだろう。
理子さんが僕たちに混じって化け物と戦うのは難しいだろう。
武器だって持っていないし、女の子だし無理はさせたくない。
僕たちは彼女のナイトとして、彼女は僕たちの看護婦として、役割を分担するのはいい考えだと思う。
鬱蒼と茂る木々をかきわけ、人為的に草を分けた痕をなぞって歩を進める。
雄介君は先頭を歩いて、剣で邪魔な障害物を時々切り落としていた。
「何も出てこないね」
「そうだなーこれじゃただの森の探索だよな」
「魔物ってどんな奴なんだろうね」
首を傾げて雄介君はさぁなっと一言呟く。
生むが易しと言うが、思ってたほど危険がないので、僕たちは退屈していた。
そんな時、ずっと黙っていた理子さんが口を開いた。
「みんな、ここへどんな風にやってきたの? 」
言われて、召還された時の事が頭をよぎる。
「俺はなーはずかしーんやけど、トイレで大したあと、拭いてたんや、そしたら」
「いい……次」
理子さんがあっさり雄介君の話を遮って、白い顔を僕に向けた。
「僕はね~……」
僕は……確か、母親と喧嘩してる最中だった気がする。
「母さんと話してたよ」
「どんな話? 」
理子さんは口元だけ綻ばせて尋ねてくる。
困ったなぁ……あまりに家庭の事情だし。
「今日の晩御飯はとか、そんな話だよ」
父さんの浮気が発覚して、ピリピリした母の相手をしてたら、
諍いになっただなんて言えやしない。
「いいな~」
朗々とした良く通る声が、静謐を湛える森の中に響く。
「何が? 」
「ううん、ただ、お母さんがいるって羨ましいと思って」
胸に鈍い痛みが走る。
そうか、理子さんには母親が。
僕はこういう流れに慣れていない。
繊細な話だけにどう切り出そうか、しばらく迷っていた。
「ぼ、僕」
「私ね、校舎の上から飛び降りたんだ。そしたら、地上にたどり着く前に……」
沈黙に耐えかねて話そうとした矢先、それを圧殺するような強烈な彼女の告白。
激白と言っても良い。
それは……あまりに重々しい内容だった。
一瞬目の前が暗転して世界が変質したような感覚を覚えたほどだ。
激しい衝撃は僕を貫いて、前を歩く雄介君の足も止めてしまった。