波乱の幕開け。
世の中そんなに旨い話は転がっていない。
そんな金言をかみ締めながら、俺は事務所の倉庫で輝と一緒に掃除に勤しんでいた。
アルバイト初日、やってきてすぐに真琴に指示を受けて、倉庫の壁や床の埃ばらいや、段々に詰まれた椅子や机の整頓といった雑用をさせられていた。思ってたのとまるで違う仕事内容ではあったので、不満げに直訴したら、真琴に鋭い視線で、下積みは大切よなどと一蹴された。
「なんなんだよ、俺こんなんしにここへ来たんじゃねぇぞ」
「仕方ないよ、仕事なんだから」
昨日の妄想200%の浮かれ気分は異次元の彼方に吹き飛んでしまっている。今は突然先輩ぶって俺達をこきつかう真琴に憤懣としたものさえ覚えていた。
黙々と部屋にモップをかける輝は案外楽しそうに見える。
こんな単純作業何が楽しいんだか。
俺はもっと霊的な力をふんだんに活用できるような仕事をしにやってきたのだ。
今日は事務所に前田の姿はなかった。
何やら仕事で出ているらしい。
俺達の出勤日は既に今週分は決まっていた。
本日、火曜日、木曜日、土曜日。
壁に張られた出勤表に俺達の名前が日付の欄に並んでいた。
「真琴さん、一通り掃除終わりました」
「はい、ご苦労様! 休憩10分ほど挟んでいいわよ」
俺はそれを聞いて一息つくと、応接室の壁際にあるスツールに腰を下ろした。
輝はすっかり日が沈み星が瞬く夜空を窓に寄り添って眺めている。
腹減ったなぁ。
一仕事終えて、腹減りに気づいてお腹を摩る。
今日は家に帰らず、そのまま事務所に直行した。
家に帰って御菓子でも摘んでくれば良かったが、面倒なのでそのまま来てしまった。
コンビニで何か買うこともできたが、バイトしにいくのにお金使うのもなんだか馬鹿馬鹿しいのでやめた。
「みなさん、お腹すいたでしょう」
奥の扉が開け放たれる。
入ってきたのは所長の彼女、佐山明美さんだ。
どこか色気が匂い立つ顔立ちは大人の熟練した女性の証明とも言える。
彼女は銀色のトレイに、スパゲティを3人分皿によそって持ってきてくれた。
天の助けとはこの事だ。
食欲を誘う香ばしい匂いが殺風景な室内を満たし俺の鼻腔をくすぐる。
「美味しい! 」
「本当だ、佐山さんお料理上手ですね」
「いやぁね、レトルトパックを湯で沸かしただけよ」
「あはは、でも美味しいです」
円テーブルでほんわかと談笑の花が咲き、フォークを操る手の動きも軽やかだ。
俺達はアトホームな雰囲気にすっかり馴染んでいた。
まぁ、一人は無言でスパゲティの麺を口に運びながら黙々と食してらっしゃるけど。
「真琴さん、この後の仕事は? 」
なんだか浮いて見えるので、真琴に仕事に関した話題を振ってみる。
真琴は麺を一筋口に吸い込むと、フォークを音を立てずに皿に置いた。
そして、壁掛け時計に目をやった。
「7時に所長から連絡があると思う……」
どこか慎重な調子で言葉を紡ぐ。
何だろう、この真琴の緊張に強張る表情は。
俺はごくりと息を呑んで、彼女の横顔をしばし見つめていたが、不意に真琴がテーブルに置いた携帯の着信音が鳴り響く。
「はい、真琴です。はい、はい、えええ、はい、わ、分かりました。今すぐ連れて行きます」
真琴は携帯を折りたたむと、鋭い視線を俺達に回していった。
その顔は影が幾筋も刻まれ青ざめてるようにも見える。
穏やかならぬ空気を感じ取って、円座の人々は一様に真琴を見たまま黙っていた。
「ど、どうしたんですか? 」
沈黙に耐えかね、俺が最初に口を切る。
「あ、えっと、今所長から連絡あったんだけど」
「はい」
所長と聞き、明美さんは色を失い口を開いた。
「何かあったの? 」
「えっと、その~」
逡巡したように真琴は口ごもったが、やがて観念したように明美を見て言った。
「う、動けないらしいです」
「え? 」
「だから、私たちですぐ行ってきます! ほら二人行くわよ! 急いで!」
真琴は何か言いたげに口元を振るわせる明美を尻目に、俺達に檄を飛ばして事務所の扉を出て行く。
俺達は訳も分からず呆然としていたが、我に返って弟とともにその後を追った。