動く。
「真琴ちゃん、頼んだ件うまくやってくれたか? 」
「えーっと、だ、大丈夫だと思う……」
「なんか頼りないないなぁ……」
この間の画像検証から5日が経っている。
俺達はどうやれば、真相に近づいていけるかあの時議論した。
散々意見を出し合って悩んだ末に、取りあえず、真琴の親友、真下雫と会って事件当日の話を聞く事が必要だという結論に達した。それが直接事件解明に繋がるとは思わないが、俺達には情報を拾える相手も手段も少なすぎる。まず、身近なところから活路を見出すしかないのだ。
「そろそろ来るわね」
「本当に今日なんだろうな」
「カレンダー見たら母がめもってたからきっと来るよ」
真下雫は今日、親友を弔うために真琴の家に来る事になっている。
俺は真琴に案内されて、真下雫より先に真琴のアパート前に辿り着いた。
彼女がアパートに入る前に接触しようという算段だ。
輝は来ていない。バイクで骨折した友達の見舞いに病院へ行くとか。
仕方ない事情なので2人で来るほかなかったが、輝がいないと心細い。
「ぼろっちいでしょ、アパート」
「そ、そうでもないよ」
俺は言葉を濁してごまかす。
「うち父さん2年前に亡くなって、母のパート代と父の残したお金で細々とやってたんだ」
「そ、そうか」
照れくさそうに眺める真琴の視線を追って、道路に面するアパートを見上げた。
確かに目の前の建物は古びていて、お世辞にも普請が行き届いているとは言えなかった。
外を覆う壁はもとは真っ白だったと思われるが、長年雨風にさらされ灰色がかっている。
所々皹を補修した痕はあるが、まだいくらか裂けた部分が残存していた。
金属製の赤茶けて錆びた外階段も、うらびれた外観を際立たせていた。
「母さん、ずっと元気ないんだ、ハハ……これじゃなんかほっとけないよね」
「…………」
彼女は死後もずっと母の近くを離れずアパートに住み着いているらしい。
母が寝静まった頃、夜を散歩するのが彼女の日課だった。
その時、たまたま俺とばったり出くわしたわけだが。
「残された母があんな顔してるのが心配でね、でも私が心配しても仕方ないよね、幽霊だし何にもしてあげられないしさ」
「そうだな……」
健気に微笑みを崩さず語る真琴を見ていると、急に鼻の奥がつ~んと痛み、目の裏に火照りを感じた。
夫と若くして死に別れた彼女の母親……
日々の生計を立てるため、そして、娘のために、身を粉にしてパートで働いていたに違いない。
真琴は母親にとって唯一の心の支えだったはずだ。
その掛け替えのない娘を不慮の事故で亡くした。
残された母親の悲痛は幾ばかりだろうか。
自分の母親にその像を重ねると、真琴の今の気持ちは痛いほど理解できた。
アパートの前の道は東西に長く伸びている。
俺達はアパートから少し離れたところに移動していた。
「あ、母さんだ」
「あれか」
黄昏時、オレンジ色に染まった道の向こうに、人影が見えアパートの辺りで消えた。
太陽を背負って黒い輪郭しか分からなかったが、真琴にはその影が母だと判別できたようだ。
「ていうことは、そろそろか? 」
「うん、母とは逆方向から来るはずよ、駅がそっち側にあるから」
「き、来たよ」
唐突な真琴の声に驚いて振り返る。
気がつくと、真後ろ3mあるかないかの場所に制服姿の女の子が立っていた。
「あ、あの~」
「…………」
突然、真下雫が目の前にいるので、動転して言葉が出てこない。
赤っぽい縁の眼鏡をかけた彼女は一見大人しそうに見える。
淡い水色の制服を着ているが、夕日を受けているので彩色の判断は難しい。
彼女は一言発して黙って俯いていた。
眼鏡の奥の黒い瞳は何かに怯えるように震えていた。
「ほ、ほら、早く話して」
真琴が背後から急かしてくる。
て、てめぇ……こんな至近距離で知らせやがってその態度は何だ……
腹の底に憤懣としたものを感じつつ、第一声に乗せる言葉を捜す。
「えっと……」
「はい!? 」
俺の声に反応して彼女は、肩をびくんと一度波打たせ顔をもたげる。
視線が合ってしまった。
これ以上は伸ばせない。
頭を急速に整頓して一か八か切り出してみる。
「あ、あなたを待っていました」
俺は何を口走ってるんだろう。
彼女は呆然と俺を見据えたまま押し黙っていた。
だが、明らかにその表情は驚愕に震えていた。
「ほ、本当だった……」
気まずい沈黙を破り、彼女は何か仕えが取れたように小さな唇から言葉を漏らした。
眼鏡の奥の黒い瞳は大きく見開かれていた。