逃亡。
幽霊ってのは普通、人には姿は見えない。
ある特定の人間に見えたのなら、それは何かを訴えるべく幽霊が相手に姿を見せようとしたか、その人間の霊力が強いため、偶然視界に入ったかのどちらかだ。
今回の場合、俺は後者の類に入ると考える。
もしかしたら、前者も含まれるかもしれないが、その説は考えたくない。
「あーえっと、君名前は? 」
「うーん、拓だよ」
「私は三沢真琴よ」
「そうか良い名前だ、じゃ俺遅いしそろそろ帰るね」
俺は苗字を名乗るのをそれとなく拒んだ。
このまま後腐れなく、恙無く彼女と別れるつもりでいたからだ。
苗字知られると、家を探し当てられるかもしれないからね。
「バーイ! 」
「さようならー」
俺は具現化した手を振り、振り返りもせずさっと夜の闇に紛れ込んだ。
幾分速度を上げて移動していた。
しばらくして、辻が見えてくると動きを止めて背後を顧みる。
満月の光が道を薄く照らしているが、怪しい人影も幽霊の姿も見当たらない。
どうやら、彼女はついて来ていないようだ。
俺は安堵し一息つこうとして思い直す。
まだだ、念には念を入れて――
俺は完全に大気の姿に戻ると、猛然と辻の左側に滑り込む。
そして、その勢いのまま、空へ舞い上がり夜空を突っ切った。
家に帰ってくると、まだ俺の部屋には明かりが灯っていた。
テリーの奴は夜遊び大好きで、普段、深夜1時2時まで普通に外で仲間と遊んでたりする。
たぶん、今日も、さっき帰ったばかりなんだろう。
ふふふ、次の生贄はお前だ。
この不良少年が!(死語)
俺は音もなく一階の庭から、窓の隙間をぬって中に入る。
静寂が包む暗い台所を横切り廊下にでると、二階の自室めざし、
大気の体のまま階段を上り扉前に到着。
幽霊ごときじゃ、遭遇しても全く微動だにしないテリー。
今朝も、窓を開けたら蝿のごとく入ってきた浮遊霊のおばさんに、
動じる事なく、丁寧に諭して外へ導き、笑顔で見送っていた。
だが――幽霊でない空気人間の俺に対してはどうかな?
驚く顔が目に見えるようだ。
俺は半分開いた扉から中に入る。
テリーは床に胡坐をかいて、携帯の画面を見たままにやにや笑っていた。
どうせ、女にでもメール送ってるんだろう。
相手は雪乃か、もしくは男友達だな。
こいつに限って浮気は考えられない。
生真面目を地でいくような実直な弟だし。
雪乃を裏切る事はまずしないだろう。
俺はテリーの背後に回り、両腕を具現化させた。
両脇をくすぐってやる。
笑いを堪えながら、テリーの脇に手を持っていった矢先、
「どなたですか? 」
テリーが携帯を指で打ちながら飄々と呟いたのだ。
俺は咄嗟に具現化を解除した。
馬鹿な……なんでばれたんだ。
まさか、こいつも俺の気配を感じる事ができたのか?
一言放ったきり、口を閉ざして何事もなかったように携帯を打ち続けるテリー。
俺は固唾を呑んで、その動向を見守っていた。
しばらくして、入ってきた扉がギィ~っと軋みをあげる。
俺は思わず声を立てそうになった。
なんだかよく分からない緊張感に呑まれていた。
だが、その張り詰めた糸も長くは持ちそうになかった。
俺は気が短いんだ。
どうせばれてるならと、テリーの正面に回り、観念して姿を現そうとした。
その時だった。
「勝手に入ってごめんなさい! 」
「ギイヤアアアアアア!」
背後からの突然の声に、俺は無条件に悲鳴を上げていた。