世間の風。
『磯野(仮)! いつになったら仕事覚えるんだ! 』
『履歴書に書かれていた言語を使えるというのは嘘だったのか? 』
『磯野さん、ごめん、わりぃけど、11月までの納期で仕上げて」
現実ではPGとした働き始めたのだが、己のスキル不足がもとで、
毎日苦闘する日々だった。
職場で怒鳴られることは、それほど多くないのだが、
納期が差し迫った時は、みんなカリカリして嫌味を言ってくる。
先輩PG達は、無能な俺を放っておいて、分からない事を聞きに言っても満足に教えてくれない。
入社して間もないんだから、もう少し丁寧に教えてくれたら……
苦しい、やめたい、もっと面倒見のいい人間がいる会社に勤めたい……
助けてくれ……限界なんだ。
「はぁはぁ……」
ここはどこだ……
胸苦しさに目を覚ますと見慣れない部屋に俺はいた。
青白い光に満たされたこの部屋は……
手で暗闇を探ると、薄い布地の感触、その先はつめたい木板の肌触り。
束の間、床を指の腹でこすっていると、冷たい雑巾で殴られたように全てを思い出した。
そうだった、俺は仮想世界にきていたんだ――
俺は食事が終わった後、ホタルちゃんの家で宿泊することになったのだ。
あの歓待の席で俺は……
とんでもない大法螺を調子にのって吹きまくった。
恥ずかしい。今思い出しても赤面ものだ。
『傭兵をやっています』
『傭兵をやっています』
『傭兵をやっています』
『村に鎧、村に鎧』
『恥恥恥』
阿呆だ、俺はなんてことを言ってしまったんだ。
ここが崖っぷちなら、迷わず飛び降りてそうなくらい恥ずかしい。
罪悪感と恥辱で死にたくなる……
仮想世界にきても、無様な生き恥をさらして、
なにをやっているんだ。
自分の愚行を思い出すたびに死の衝動が走る。
阿呆だぼけだかすだ。
しばらく俺は身震いするような恥辱に、両手で顔を覆った。
俺なんか死んでしまえ、お前なんか死んでしまえばいい。
「……」
こ、これは軽躁状態の反動だな。
今頃猛烈に鬱が心身を蝕んでいるようだ。
ほんの少し冷静な判断が戻ってくると、
すぐに敷かれた布団の横に置かれた携帯をひったくった。
『ドレドミン、マイスリー一か月分』
鬱の症状を和らげるSNRIと睡眠導入剤を、
仮想世界に反映させる。
このままでは、明日動けなくなりそうだから。
次に目が覚めた時は、気分は大分上向きになっていた。
起き上がって着ている衣服を正し部屋の扉を開けると、真っ白な陽光が飛び込んできて反射的に目を細める。
木戸はとっくに開かれていて、濡れ縁が廊下の向こうに横たわっていた。
濡れ縁の向こうには、草木が薄っすら生えた庭、柵、村の内部に点在する家々、最奥に畑のようなものが見える。
この村の人々は農耕で生活を営んでいるのかもしれない。
それにしても――
ホタルちゃんを村娘にしたために、ランダム設定が働き、村や畑や多数の人々が自動的に追加された。
一つの言葉がもとで、あらゆるものが連鎖的に生み出される。
見方によっては便利だが、うかつな事は書けないな……
長い廊下を渡り、角をまがった。
ホタルちゃんを探している。
彼女に会わないとなんだか落ち着かない。
迷子の幼児が、母親を求めて右往左往している時のような、
切迫感に駆られて、家の内部を渡り歩くが、
彼女の姿は見当たらなかった。
そのうち、白いほっかむりをした蛙顔のお婆さんが現れる。
「どうした? 傭兵さん」
「あ、いや、その、ホ、ホタルちゃん、ちが、ホタル殿はどこですか?」
「ホタルなら、台所で朝食の準備してますわ、この廊下の突き当たりを右に曲がったところ」
「そうですか、かたじけない、言ってみますわ」
「はいな」
あー日本語崩壊……違和感があるのかないのかすら分からない。
とにもかくにも、言われたとおり、歩を進めた。
早くホタルちゃんに会いたいが一心で。
安心が欲しい、安定が欲しい。母親はお子様の安全基地。
ちがう、俺は大人だ……
だが、そんな道理はどうでもよくなるくらい、
ホタルちゃんを求めていた。
急ぎ足で廊下を進んでいると、曲がった先の廊下の奥に、
アーチ型の入り口のようなものが見える。
上から白い布のようなものが垂れ下がっている。
あそこか……
俺は小袖の前をしっかり合わせると、
背筋を伸ばして、ゆったりとした足取りで歩み寄った。
が、その時、天使の囀りが聞こえてきた。
ホタルちゃんだ。
勇んで声をかけようとした直後のことだった。
瞬時に体が動かなくなる。
「昨日さ、連れ帰った客人、なんか変な奴だったね、何者だろうね」
「知るか、お前が連れ帰ったんだろうが」
「そりゃそうだけどさ、なんか怪しいから、アキジも見張っといておくれよ」
…………
どこをどう戻ってきたのか、思い出せないが、
気がつけば元いた部屋の中に突っ立っていた。
のろのろした動きで、布団の中にもぐりこむと、
マイスリーの錠剤を緑色のケースから取り出し2錠口に放り込んだ。