迷い蛾
「ドッペル君、俺の家は任せたよ」
「はい、拓様、お気をつけて」
家を出る事にした。
理由は単純、家族とのしがらみはここでは不必要だからだ。
ただ、突然、息子がいなくなっては大騒ぎになるだろうと、ドッペル君に俺の代わりになってもらい、この家で暮らしてもらうことにした。
「いいの? 拓」
「いいんだよ」
俺は悲しそうな顔をわざと拵えて低い声で斜里に返す。
「家出かよ、まだ高校生だろお前、神様だかなんだかしらないが、親不孝ものめ」
小憎らしい顔でエドワードはほざいた。
『まぁ、いいじゃねーか、拓様にも考えがおありになるんだ、口を慎しまんかエド』
親王は俺に対しては敬語だが、ほかの連中の前では上から物を言う。
つまり、上位関係は俺、親王、そのすぐ下に越えられない壁があり、それを隔ててほかの連中なのだ。
「かーあんたに指図される覚えはないね」
「エド、口は災いのもとだ」
といっても、その相関図は親王の頭の中だけに存在する。
ちなみに、親王の姿は誰にも見ることはできないが、その声を予め決めた範囲にある人間に聞かせる事ができるようだ。だから会話が成り立っている。
俺は無能な仲間はいらない。
だから、ここにいる連中は皆、特殊な能力を一つ備えさせた。
まぁ、親王だけは怨霊ということだけあって、幾つか能力があるようだが。
「斜里、迷い蛾頼む」
「はーい」
薄暗く人の姿のない公園で、野宿――などするつもりはない。
斜里は首から提げた小さな笛を口にくわえると、闇に不思議な音を響かせた。
すると、俺の顔際を何か白っぽいものが掠めた。
「なんだそれは? 」
「迷い蛾だ」
「蛾? 」
斜路の小さな手に舞い降りた白い立派な羽を持つ大きな蛾。
胴体の部分は太く、卵色の柔毛がみっしり生え揃っている。
「ただの蛾ではない」
俺は薄笑みを浮かべてエドを眇目で眺める。
「な、なんだ、きもちわりぃな、なんだよそれ」
「すぐ分るさ、じゃ、斜里頼むわ」
「おっけー」
斜里は端正な白い顔に悪戯っぽい笑みを浮かべてエドを見た。
「な、なんだよ、なにするつもりだよ」
ただならぬ気配を察したか、エドは青褪めた顔を引きつらせた。