強迫性
デスゲームなんてやると思ってなかったべ
なんせ…
「鳩ちゃん!」
なんや!
「うんこ踏んでる!」
うんぴーだー!
小学生の時、それはクソガキだった
「これやったの誰?」
先生の座る椅子に靴跡がついていた
「僕見てました!」
「鳩ちゃんとジョウくんと、蓮くんと、美桜ちゃんです!」
は?やってないんだけど?
やってないよ! 私ずっとここ座ってた!
「全員ここに立て」
「やってないですー!」
私はやってない、みんな泣いてるな、冤罪の人もいるんだろうな
それから3分ほど経った頃
「やりました」
1人がやったと言った
すると続々とやったと言い出した
私は椅子の上など座っていなかったが
やりました
泣いたかどうか覚えてない
授業終わり
告げ口した奴が、頭を撫でられている
私はその光景を見ることしかできなかった
でもこんなことがあっても、自分が悪いことをしていなければ、特に苛つくこともなかった
みんなの前で踊ったり、「うんぴー」や「◯◯こ」や「××」
替え歌など小学生が好きなことをやっていた
「宿題やったの?」
「やってません」
「居残りさせるよ」
実際は居残りなどさせなかった
当時は、帰る時間に帰らせなければならないからと思っていた
家では、兄妹喧嘩が絶えない
兄は、私に悪口、たまに暴力を振るっていた
兄は大変頭が良かった。兄ほどの天才は見たことがなかった
でも、強かった。
「こらやめなさい!」
母は泣きながら、喧嘩を止めた
私は喧嘩の終わりには必ず物に当たった。
すごく罪悪感があった
でも、母が止めるのはいつも兄だった
多少違和感があったものの、それが普通だと思っていた
私は兄が嫌いになった。
ある時、兄が汚く感じた、兄の触ったものを触らない
いずれ、それは、触れることができないに変わった
当時は、潔癖症とかいうものだと思っていた
兄も、手洗いには1分ぐらいかかり、
歯磨きに至っては20分はかかっていた
自分もそんなものだろうと
だがそれは違うと徐々に気づいた、
強迫性障害だ
さらに、いろんなものに触れることができなくなって行った。
小学3年生の頃、初めて塾に通った
テストで10〜20点が当たり前だった私は
一年後には、90点以上取れるようになった
塾に通っている自分は幸運だと感じた。
ここから、家と学校での態度の違いが現れている
家では物に当たり暴れる日々
学校ではただのクソガキ
すこしばかり、自分が心配だった、いつか人を殴るような奴になるのではと
中学生の頃、
始め、なぜか私は嫌われていた
オドオドしてるからだったと思う
部活でも嫌われていた
あと、自分では出しているつもりはなかったが神経質な性格もあったのかもしれない
ただ、音楽が大好きだった
「鳩ちゃん、上手だね」
そう言われてから、楽器をだれよりも練習した
そして、自分にもある程度自信がついた
どれだけ、下手と言われようが、何も傷つかなかった
ただ上手くなりたいそれだけだった
「すみません、わたし別な楽器をやりたいです」
「君は別な楽器には向いてないと思うし、必要なんだよ、
君の音が」
「君は1人でやりたいんだよね、姉と似てる、そういうところ」
そう、他の楽器にも興味はあった
ただ、同じ楽器の仲間と演奏のやり方が違った
私はこの時かなり未熟だったんだろう
話し合うってことをしなかったし、
全体ではなく、個人としての練習が大事だと思っていた
それは間違いではなかったと思う。
ただ、やり方をそれ以外知らなかったんだ
全体を変えるために、意識することを統一する
どこが山で、どのような入りで、誰がメロディか、
そんなことよりも、綺麗な音色で、音程が合って、
ソロで聞いたら上手く聞こえるだろう、
こんな感じだった
「なんか、あの子、あまり上手くないんだよね」
「お前、悪口やめろよ」
この言葉が全てを変えた
これ以来、このような陰口を言わなくなり、
言えなくなった
だから、悪口が嫌いになった
悪口を言っている人間の名前を生徒会の意見箱
に書き出したり、
友達と喧嘩したりした
教室ではいじられキャラだった
部活全体では、結果が出るということはなかった。
頑張ること
それが自分の取り柄だと思った
高校は、優秀だと言われるところに入った
バイトは禁止
授業中スマホ禁止
内職禁止
こんなところだろう
だが、学校生活は悲惨なものだった