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後編

「このわたしをダシに使ってくれたんだから、当然の報いよ報い!」


 高笑いするピアが読んでいたのは、上流階級の醜聞を面白おかしく書き立てる新聞だ。

 一体どこの誰が漏らしているのかは知らないが、王侯貴族のゴシップや風刺は庶民の娯楽。特にここ数日はピアにとっても馴染みのある話ばかりが報道されていた。


 名門伯爵家の嫡男が、社交界にデビューしたばかりの男爵令嬢をもてあそんで捨てた。その後彼は昔からの大本命とちゃっかり結婚。この女の敵たる青年を、有識者は厳しく批判している──


 ボロを着た男女二人を、紳士淑女の皆様方が石を投げて追い払うという風刺画さしえ付きだ。落ちぶれたエドルード達を嘲笑しつつ、自分より弱い者に厳しい残酷な人間達をよく表している。


「あれからもう二か月ですかぁ。そろそろエドルード達も、お嬢様が手を回したことに気づく頃合いですかね?」

「……どうかしらね。すぐ文句を言いにこなかった時点で、あの方がちっともわたしに興味を持ってなかったことがわかっちゃったし。異変には気づいても、原因までは辿れないかもしれないわ。わざわざ教えてあげる人がいれば別だけど」


 眉間にしわを寄せながら、ノンナの淹れた紅茶を受け取る。


 二か月前、エドルードからあのふざけた手紙が届いた時から今日に至るまで、エドルードに謝罪されることはなかった。

 エドルードから接触してくることもない。まるで見せびらかすように、一人の少女を自慢げに連れ歩いていたと、友人伝いに聞かされたことがあるぐらいだ。きっとその少女がマリアベルなのだろう。

 ピアの友人達の話によると、エドルードとマリアベルの恋を成就させるため、メガバーデ侯爵家とニキンセム伯爵家も協力していたそうだ。ユスト男爵家には、どの家からも事前の了承をうかがわれたことなんてなかったけれど。


 もしエドルードから謝られていたとしても、その謝罪を受け取るかどうかは話が別だ。

 純情なんて綺麗な言葉で飾るつもりは毛頭ないが、それでも確かに彼のことが好きではあった。それなのに、本気じゃなかったことが許せない。軽んじられていたことが許せない。他の女との恋を実らせるための、当て馬に使われたことが許せない。


 だからピアは即座に復讐を考えて、実行に移した。


 エドルードがピアの話を真面目に聞いてくれていたのなら。たとえどんな形であっても、ピアのことをちゃんと心に留めておいてくれていたのなら。きっと彼は、ピアが怒っていることに気づいてくれた。ピアが怒っているのだと、彼にわかってほしかった。


(ユスト家の家業がなんなのか、ちゃんと話していたのに。そもそもわたしのことなんて、ちっとも興味がなかったのね)


 ユスト家が代々営み、現在は父のレピウスが会長を務めるラドリエ商会。その業務内容は、紡績業、製糸業、そして織物業だ。

 国内有数の大手繊維メーカー、それがラドリエ商会だった。ラドリエ製の素材は最高の品質を誇ると国内外でも評価が高い。王室御用達の仕立屋も愛用する逸品だった。


 ただし名が売れているのは、職人や商人の間でのことだ。

 最終的な顧客達は、一流デザイナーの名前や格式高い仕立屋の店名は知っていても、原材料を製造する商会の名前までは把握していない。顧客の見えている範囲から逸脱しているのだから。

 最終顧客にとって重要なのは、美しくて立派な服を仕立ててもらうことだけだ。そのための素材がどうやってできているかなんて、彼らには関係のないことだった。


 だからほとんどの貴族にとって、ユスト家は金で爵位を買った成金男爵家にすぎない。ユスト家の直接の取引相手は、上流階級そのものではないのだから。


 けれど仕立屋や卸業者は違う。ユスト家の、ラドリエ商会の、ラドリエ製の製品の価値を、彼らは正しく理解している。


 そこでピアは父に対してこう提案した。「今後、メガバーデ家とニキンセム家、そしてアンゼム家と付き合いのある工房や商会とは一切取引をしない」と。

 その言葉は商会長レピウスの通達となり、またたく間に国内のラドリエ商会全店舗に敷かれていった。

 余った商品はアズのエーシェ商会に売る。これがピアがアズに持ちかけた新規取引だ。軌道に乗る前の試用も兼ねたこの取引に、アズはすぐ乗ってくれた。


 あのみっつの家と取引があるような店なら、他にも貴族の顧客を大勢抱えている。

 聡明な店はすぐにラドリエ商会との契約を更新した。ラドリエ製の素材を失って、他の顧客からの信用を損ねることを危惧したのだ。


 一流の職人なら、道具の質などに頼らず何かを作り出すことはできるだろう。

 だが、作り出されたものを買い、実際に使う側にとって、その職人芸は無意味なプライドの塊でしかない。着心地、肌触り、もちのよさ……粗悪な素材で代用しようとすれば、必ずどこかにほころびが出る。

 職人の腕では消費者の不満までは補いきれない。それまで使っていたラドリエ製の製品が手に入らなくなれば、上流階級相手の商売はできなくなる。


 直接ラドリエ商会が商品を卸していないような店も、卸業者から顛末を聞かされると慌ててアンゼム家達を顧客リストから外した。自分が卸業者にそっぽを向かれると困るからだ。


 アンゼム家、メガバーデ家、ニキンセム家と長年の付き合いがあるとかで渋っていた店もある。ラドリエ商会の動きに対し、その穴を埋めようと商談を持ちかける繊維商会もあった。

 けれどその頃には、すでにピアと母のフィーニが社交界中に噂を広めていた。「娘をもてあそんで捨てた男の恋人が、我が家の製品で仕立てたドレスを着るなんて耐えられない」、と。

 そこで初めてユスト家の家業が上流階級の面々にも大々的に認識され、エドルード達の所業も知れ渡った。噂を広めるのには、ツテを獲得するため手広く人脈を築こうとしていたエーシェ商会のアズも一枚噛んでいる。


 同じような年頃の娘がいる貴婦人や、ピアと同年代の潔癖な令嬢は、ユスト家への仕打ちに義憤を燃やした。今回の件とは無関係の、平民の富裕層の女性達も含めてだ。

 特にドレスに対するこだわりが強い者ほど、ピアへの共感の力は強くなる。そんな連中のためにドレスを仕立てるなんて、彼らの恥知らずな行為に加担するも同然だ。

 店側はただ商売をしているだけなのだが、そんな店は許せないと女性達の自主的な不買運動が始まったので、ラドリエ製の製品の使用の有無に関わらずアンゼム家達を顧客リストから外さざるを得なくなった。


 この波に乗り、ラドリエ商会に追随する繊維商会も現れた。繊維業界の動きに衣服業界が応じ、波紋は別の分野にも広がっていく。エドルードとマリアベルの結婚を支持していると思われたくない宝石業界だ。

 貴族が日常的に大金を使うはずの服飾業界が一斉にアンゼム家達から手を引いたので、まったく関係ない他の業界の商人達も危機を感じて距離を置くようになった。噂がねじれ、彼らの財政や犯罪歴を心配して取引を打ち切ろうとする商人まで出る始末だ。


 ピアをないがしろにしたアンゼム家と、その後押しをしたメガバーデ家とニキンセム家。彼らに対する制裁は、ピアがエドルードとマリアベルを祝福できるようになるまで続くだろう。

 それは、ピアが新しい恋を見つけるまでかもしれないし、彼らの存在を綺麗さっぱり忘れてどうでもよくなるまでかもしれない。いずれにせよ、まだその時ではなかった。


*


 王宮で華々しく開かれた舞踏会に、意外な招待客がいた。エスコートしてくれていた父レピウスと一緒に、ピアは彼らの背中に声をかける。


「ご機嫌よう、エドルード様。もう帰ってしまわれるのですか?」

「ピアか。久しぶりだね」


 苛立たしげに振り返った青年は、最後に見たときよりずいぶんやつれたように見えた。

 彼が手を引いている金髪の少女がきっとマリアベルだろう。ピアのことを愕然と見つめる彼女の目には、嫉妬と焦燥が浮かんでいた。美しく華やかに着飾ったピアとの差が浮き彫りになり、恐怖でも感じているのだろうか。エドルードの手を強く握っているようだ。


 彼女にはどことなく見覚えがあった。そういえばアンゼム家のタウンハウスに招かれた時、毎回給仕をしていたメイドがこんな顔だった気がしないでもない。

 けれど、ピアにとっては赤の他人だ。きちんと紹介されたことは一度もないのだから、知らない人であることに変わりはなかった。


「私達の結婚式だが、アンゼム領で挙げることにしたんだ。身内やごく親しい人だけ招いた、温かいものにしようと思う。君も来てくれるだろう?」

「まぁ。わたくしが貴方がたを祝福できると、本気で思ってらっしゃいますの?」


 嫌味でも当てつけでもなくそう思えるなら、よほど頭が空っぽか、ピアを心のない人形だとみなしているかのどちらかだ。

 きょとんとするエドルードの背中に、マリアベルはおどおどしながら隠れる。まるでピアが悪役だと言わんばかりの彼女の態度に、無性に腹が立った。


「わたくしは、恋を叶える天使ではございません。エドルード様、貴方に騙されて利用されて捨てられた、ただの愚かな小娘ですわ。貴方の想いを実らせたのは、天使の加護ではなくてご自分のお力ではなくって?」


 ピアは皮肉げに微笑んだ。エドルードは眉根を寄せる。


「ですから、幸せな結婚に華を添える祝いのドレスも誓いの宝石も、新調する必要はないのでしょう? どうせ揃えたところで、天使の祝福はないのですから」

「……! い、いや、違うんだ、ピア! 私にそんなつもりはなかったんだが、君を怒らせたのなら謝ろう!」


 エドルードは何かに気づいた……否、思い出したようだ。

 しかしもう遅い。だってピアは、彼からの謝罪など受け取るつもりはまったくないし、何より誠意のひとつも感じられないうわべだけの言葉に意味などないのだから。


「さようなら、エドルード様」


 家格に見合わないみすぼらしい格好をした恋人達を見て、ピアは淑女の礼を執る。

 ピアの隣で睨んでいるレピウスと、自分達を遠巻きに観察するいくつもの下世話な視線を前にして、エドルードにできることは何もない。エドルードは真っ青な顔でマリアベルの肩を抱き、足早にホールから出ていった。


「そろそろ弁護士が、あのみっつの家から慰謝料を搾り取る算段を終えたところだろう。あとは回収するだけだな」

「よかった。やっぱり誠意は目に見える形でなければいけませんもの」


 髭を撫でる父を、ピアは訴えるように見上げる。レピウスはやれやれとため息をつき、小さく頷いた。


 だからピアはホールから離れ、テラスへと向かう。テラスには人影がひとつあった。


「来ていただいてありがとうございます、ピア嬢」

「応じなければ失礼でしょう? それに、父がそこで見ていますもの」


 少し離れたところで威圧感たっぷりに自分を見て微笑むレピウスに気づき、アズは気まずげに苦笑した。


「それで、ご用件は何かしら?」

「……実は私は、初めてここで貴方を見たときに一目惚れをしてしまいまして。あの男の言い回しを使うのは非常に癪ですが、月下で天使が羽を休めていると思ったのです」


 アズは恭しく跪く。ピアは静かに聞いていた。


「それから、非道な仕打ちをされても泣き寝入りせずに立ち向かう強さにまた恋をしてしまいました。貴方ほどたくましい令嬢は見たことがない。……どうか私と、結婚を前提に交際していただけませんか?」

「行く先々の国でそうおっしゃった女性がいるのではなくって? 貴方は貿易商ですもの、異国なら愛人を何人抱えようと気づかれませんわよね?」

「めっそうもない! 祖国にも他国にも、特別親しい女性なんてただの一人もいませんよ」

「そもそもわたくしが立ち向かえたのは、ユスト家の娘だったからですわ。本当になんのコネもお金もないような弱小男爵家の生まれでしたら、彼らの思い通りになっていたでしょう。やり返すことができたのは、わたくしだけの力ではございません」

「ですが発案したのは貴方でしょう。私の出る幕なんてまるでなかった。……あの男が貴方にしたことを聞いた時、私が彼に思い知らせてやろうと考えていたんです。たとえ貴方が無力な男爵令嬢であっても、奴らの思い通りにはさせません。実際のところ、私の助けなんて貴方は必要としませんでしたが」


 アズにやってもらったことといえば、噂を広める手伝いをしてもらったことと、ラドリエ製の商品を高く買い取ってもらったことだ。

 自社の製品を高値で輸出できてラドリエ商会は儲かったし、高品質のラドリエ製の商品を輸入できたことでエーシェ商会の商取引は充実した。これからはラドリエ商会も輸出用商品の製造にさらに力を入れる予定だから、これからも二社の取引はうまくいくだろう。


 ピアが求める理想の旦那様には三つの条件がある。

 婚約者ナシ──スキャンダルの心配がないこと。

 家柄ヨシ──ユスト家、ひいてはラドリエ商会にとっての利益になる相手であること。

 金回りヨシ──ユスト家の金が目当てではなく、結婚後も財政を妻の実家に頼りきりにしないこと。

 異国の大きな貿易商の跡取り息子であるアズなら、平民とはいえすべての条件を満たしていた。


「そこまでわたくしのことを想ってくださるのなら、ひとつだけお願いしてもよろしいかしら?」

「ひとつと言わずいくつでも。挽回の機会を与えてくれるのなら、喜んで叶えましょう。私でも貴方のお役に立てると証明してみせますから、どうぞなんなりとお申し付けください」


 その言葉を聞き、ピアは厳かに右手を差し出す。


「わたくし、失恋の痛みが癒えていませんの。他の殿方とのお付き合いなど、まだ考えられませんわ。ですから、貴方がこの傷を癒やしてわたくしを惚れさせてみせてくださいな」

「ではまずは、ラドリエ商会が扱う商品の中でももっとも質のいいものを個人的に買い付けましょう。貴方の愛らしい桃色の髪に映える、白い布がいい。その布で仕立てたウェディングドレスができあがるまでに、貴方に惚れていただくことができたなら、真剣に交際していただけるということでいかがでしょうか」


 アズはピアの手を取って、その手の甲に口づけをした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 成り上がりは"成り上がれる"のだから現状維持の人よりも能力有るよね。
[良い点] ちょっと捻った面白い逆転劇。 そもそも寝取り要素さえなければ、下位貴族の娘が格上婚を望んだり、男受けする言動や服装をしてもなんの悪いところもないんだよなぁと改めて。(現実の乙女ゲームとかに…
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