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前編

「なんなのよこれ……! どういうこと……!?」


 愛しい恋人からの手紙を握り締めてわななくのは男爵令嬢ピア・ユスト。たった今しがた、彼女は幸福の絶頂から力ずくで叩き落された。


「なんでっ、なんでエド様の婚約者がわたしじゃないのーーー!?」


 淑女らしからぬ渾身の絶叫が、ユスト家の小さなタウンハウスを大きく揺らした。 


*


 事の起こりは半年前の王宮で開かれた夜会である。十五歳を迎えたピアは華々しく社交界デビューを飾り、母のフィーニやメイドのノンナ、そして目付け役の老家庭教師とともに未来の旦那様探しに奔走していた。

 彼女達の鋭い目つきはさながら歴戦の狩人だ。そしてその雰囲気にたがわず、ピアの放った愛の矢はさる麗しい貴公子の心臓をまっすぐに射止めた。


 青年の名はエドルード・アンゼム。歴史あるアンゼム伯爵家の嫡男で、婚約者ナシ・家柄ヨシ・金回りヨシの三拍子そろった良物件だ。このみっつを満たす相手こそ、ピアの探し求めていた旦那様だった。


 商人上がりの新興男爵家であるユスト家の長女が狙うにはやや高望みではあったが、そこは長年磨き続けてきた庇護欲を誘う可憐な美貌でどうとでも覆せる。

 ピアの目論見通り、エドルードは自分に群がる蝶達の中からたった一人ピアを選んだ。ダンスを一緒に何曲も踊り、今度デートする約束も取りつけたのだ。

 獲物をしとめた女達は馬車の中で祝杯を挙げ、彼女達が帰宅すると当主と長男も諸手もろてを挙げて快哉を叫んだ。


 その夜会以降、ピアの元には定期的にエドルードから花束や宝飾品といったプレゼントが届くようになり、観劇や舞踏会などの誘いも来た。

 ピアをエスコートするエドルードの眼差しは、どう見ても最愛の恋人に向けるそれだ。

 ピアはエドルードにしなだれかかり、決して逃がすまいとさりげなく腕を絡めた。


 半年間の蜜月は、濃密ながらもあっという間に過ぎ去っていく。

 先日、とうとうエドルードは「結婚したい人がいる」と顔を赤らめながら言い出した。

 その日は一緒に王宮の舞踏会に出席した日で、彼の目の前にいるのはピアで、夜風が少し冷たいけれど輝く星がよく見えるテラスには二人きりしかいない。あまりにロマンティックな、これ以上ない絶好のロケーションだ。それ・・以外の解釈が挟まる余地はどこにもなく、ピアは胸を高鳴らせながら恋人の次の言葉を待った。


「喜んでくれるかい?」

「はいっ、もちろん!」

「よかった。君ならそう言ってくれると思っていたよ」


 ハグか、キスか、あるいは両方か。いや、その前に婚約指輪を差し出されるかもしれない。どちらにせよ訪れるはずの祝福の瞬間を待ちわびて、ピアはうっとりと頬を染める。


「今までありがとう、ピア」

(……え? なに、その別れの言葉みたいな言い回し?)


 だが、何か漠然とした違和感を覚える。それにエドルードは、ピアに対して何もしようとしてこない。情緒的な間を取っているというには長すぎた。


「あの、エド様?」

「それじゃあ私はそろそろ帰るよ。君も気をつけて」


 にこやかな笑顔を浮かべ、エドルードは片手をひらひらと振ってそのまま立ち去った。あまりに自然なその姿に、つられてピアも見送ってしまう。


「……は?」


 取り残されたピアは、夜風で酔いを醒まそうと偶然一人でテラスにやってきた青年に声をかけられるまでその場で固まり続け、困惑したまま一人で帰るしかなかった。


*


 昨日のことは夢だったのかもしれない。そう思うぐらいには、エドルードの行動はわけがわからなかった。少なくともピアには理解不能だ。

 昨夜の出来事が現実ではなかった可能性に望みをかけたピアだったが、その願いはたった一通の手紙によって打ち砕かれる。内容は以下の通り。


『親愛なるピアへ

まずは君の協力に感謝を。君という天使に出逢えたことは、私にとって人生で三番目に幸運だったことだ。君のおかげで、私はついに最愛のマリアベルと結婚することができるのだから。

君がいてくれたからこそ、マリアベルの本音を引き出すことができた。マリアベルに想いを自覚させてくれた君には、本当に感謝してもしきれない。

私達の結婚式にはぜひ君も招待しよう。真実の愛を実らせてくれた天使として、みんなに君のことを紹介させてもらいたい。私とマリアベルの新しい門出に、天使からのさらなる愛の祝福もいただければ光栄だ。

    君の友人 エドルード』


「誰よその女! ふざけるんじゃないわよっ!」

「お嬢様ぁ! お気持ちはわかりますが、大事な証拠品! 証拠品ですから破くのはよくないかと!」

「マリアベル? 知らない知らない、本当に誰!? エド様の恋人はわたしでしょ!?」

「お嬢様ー! たいそう勇ましくて結構ですけど! 淑女らしからぬ舞を舞うのはおやめください!」


 姉妹同然に育ってきたメイドのノンナのとりなしで、ピアはなんとか我に返った。

 途中まで破られて力いっぱい床に叩きつけてぐしゃぐしゃに踏みつけられた手紙をノンナが丁寧に修復している間、この大騒ぎを聞きつけた両親と弟、それに使用人達が集まってくる。

 ピアは涙ながらに事情を説明したが、やっぱり誰も状況が呑み込めていないようだ。当事者たるピアだっていまいち理解しきれていないのだから当然だろう。いや、ピアの場合、理解はできたが納得はまるでできないと言ったほうが正しいか。


「つまり、エド様の本当の想い人は別にいたってこと! わたしはエド様に騙されて、もてあそばれたのよ!」

「姉さんの本性がバレて、ていよくフラれたわけじゃなくて?」

「それはないですっ! お嬢様の猫かぶりが完璧だったことは、このノンナが保証いたします!」

「じゃ、飽きて捨てられたんだ。ベタベタするから鬱陶しがられてたのかもね」


 冷笑する長男レインはピアの三つ年下の十二歳。反抗期真っ盛りだ。そんな生意気な弟に、ピアは満面の笑みを向ける。


「!」 


 絶対的強者への服従の本能を強制的に呼び起こされたレインはたちまちびしっと背筋を伸ばした。


「レイン、もう一回言ってみてくれる? お姉様、よく聞こえなかったの」

「はい、申し訳ございませんでした、お姉様! お姉様は世界中の誰より可憐で最高で完璧なのに、他の女を選んだエドルードは見る目のないマヌケのクズ野郎だと思います!」

「よろしい」


 さくっと弟をわからせたピアは、また弱々しく涙を流して母に抱きつく。


「ああ、可哀想なピア。まさかエドルード様がこんなひどいことをなさるだなんて。これは、あの人の本性を見抜けなかったわたくしの責任よ」


 母も目に涙を浮かべながら、傷ついた愛娘をぎゅっと抱きしめ、その頭を優しく撫でた。

 使用人達も口々にピアを慰め、エドルードを罵っている。ユスト家はアットホームな家なので、雇っている使用人達はみな家族同然だった。


「それにしても、この手紙にあるマリアベルというのは誰なんだ? エドルード殿は真面目で浮いた話ひとつなく、特別懇意にしている女性などいないと聞いていたんだが……」


 ノンナの努力の甲斐あって完璧に復元された手紙をしげしげと眺めながら、父のレピウスは首をひねっている。そんなこと、ピアが一番知りたい。


 そんな中、来客を告げるベルが鳴る。すわエドルードが釈明に現れたのかとみな殺気立ったが、来客は予想だにしない人物だった。


「本来ならまず御社にご挨拶にうかがうべきなのですが、突然お宅に押し掛けてしまった無礼をお許しください。昨夜のお嬢様の様子があまりにおかしかったので、どうしても個人的に気になってしまって」

「めっそうもありません。こちらこそ、わざわざわたくしのことを気にしていただきありがとうございます、エーシェ様」


 やってきたのは、昨日テラスで放心していたピアに声をかけてくれた青年だ。

 爽やかな好青年の登場に、どうエドルードを袋叩きにしてやろうか構えていたユスト家の面々はたちまち毒気を抜かれてしまった。


 彼、アズ・エーシェは最近王子に気に入られたという他国の貿易商で、その縁で昨日の夜会にも特別に招かれていたらしい。まだこの国ではあまり商会の名が知られていないようで、販路拡大のために顔を売りたかったのだろう。

 ユスト家が手掛けるラドリエ商会もエーシェ商会との取引に興味があったので、当主レピウスは昨夜の夜会以前からエーシェ商会についてある程度調べていた。その過程で、ピアも彼のことは小耳に挟んだことがある。


「エーシェ商会のご令息にご足労いただけるとは光栄なことです。わざわざ娘を気にかけていただけるとは。さ、どうぞこちらへ」


 レピウスは手にしていた手紙をレインに渡す。こだわりをもって毎朝丁寧にセットしている自慢の髭を撫で、レピウスはアズを応接室に案内した。フィーニもそれに続いたので、ピアとレインもちゃっかり同席しておく。


「不躾なことを承知でお聞きしますが、一体何があったのです?」

「実は……」


 ピアはハンカチを目元に当てて、洗いざらいぶちまけた。以心伝心とはこのことで、すかさずレインもアズにエドルードからの手紙を渡している。


 ピアの話を聞きながら、アズは目を丸くした。


「そんなひどい仕打ちをするなんて。同じ男として恥ずかしい限りです」

「そこでエーシェ様に、ご相談があるのですけれど……」


 ピアはさりげなく父に目配せした。父はやれやれとため息をつき、小さく頷く。“とりあえず好きなように言ってみなさい”の合図だ。


「我がラドリエ商会と、新規取引していただけませんこと?」


 あまりに脈絡のない申し出に、アズは興味深げな表情で続きを促した。

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